2025年11月28日金曜日

読書・「異郷の季節」鈴木道彦著 みすず書房 

 


 散歩道のあちこちではまだ、こんなうすいむらさき色のすてきな実を見ることができます。ムラサキシキブというゆかしい名前がついているのですが、今年の秋は、もうしばらくは楽しめそうです・・。



 プルーストの「失われた時を求めて」を翻訳なさった鈴木道彦さんのエッセイ「異郷の季節」を、読みました。

 鈴木道彦さんは、昨年の2024年に亡くなられているのですが、須賀敦子さんと同じ1929年のお生まれで、戦後間もない同じころに、フランスに留学なさっているのを知り調べてみましたら、須賀さんは、1953年からパリのソレボンヌ大学に、鈴木道彦さんは1954年からと一年違いだったようです。

 このエッセイは、フランスに3回留学なさった鈴木道彦さんの回想記ですが、鈴木さんのお言葉によれば、「第一部はフランスでの生活や、アルジェリアでの見聞、第二部は、社会の余白に生きる人々、欄外から攻め上がろうとする人びとと接触した記録、そして第三部は鈴木さんの専攻するフランスの文学や思想にかんするもの」と、まとめていらっしゃいます。

 この本の中での事実や行動は、鈴木さんの知識人としての人生の生き方を決められたのではと想像できました・・。



 わたしは、サルトル追悼という鈴木さんのサルトル論を、いちばんおもしろく読みました。   サルトルは、鈴木道彦さんの生き方を変えたような偉大な知識人ですが、最後にサルトルへの感謝をのべてこのエッセイは終わっています。

 鈴木道彦さんは行動する知識人として社会に参加する生き方を選ばれたのですが、そういえば、須賀敦子さんもイタリアでは、コルシア書店というキリスト教左派の運営や、帰国なさってからもやはり一時エマウス活動にかかわるなど、お二人ともに社会活動に関する生き方をなさっていて、翻訳という共通点もあり、興味深く思ったのでした。

 鈴木道彦さんの異郷の季節とは、異国の人々とのかかわりあいの中で過ぎ去っていった人生の季節なのかもしれません・・。

    ご冥福をお祈りいたします・・・・・。







2025年11月22日土曜日

読書・「ユリイカ」 総特集=プルースト (ベンガル薔薇を見つめるプルースト)

 

 10月に散歩道で写した、ウリハダカエデの紅葉です。黄色からオレンジ色にかわる紅葉のグラデーションがすてきで、まるで絵本の表紙のようにすてきな構図になっていました・・。



 「ユリイカ」という1987年発行の古い雑誌を持っています。それには「プルーストの総特集」が載っており、大事にしている本です・・。

 どこを読んでもプルーストファンのわたしにとっては興味深く、わたしのお気に入りのプルースト関連本の1冊です。

 その中でも特に、吉田城さん編訳の、レーナルド・アーンの「散歩」という短いエッセイが、好きです。

 レーナルド・アーンは、一時プルーストと恋愛関係だったとのことですが、その後は、ずっと生涯の親友でした。そのアーンが、「散歩」というエッセイの中でプルーストについてこんなことを書いています。

 アーンがプルーストと知り合って間もないころ、二人で女ともだちの田舎の家で、数日いっしょに過ごしたことがあったそうです。

 二人で庭を散歩していたとき、プルーストは突然、咲いていた「ベンガル薔薇」の前で立ち止まり 、アーンに先に行ってくれるようにたのみ、しばらくじっと薔薇を見つめていたとのこと。

 その姿はアーンにとって忘れがたく、そのようなことは、それ以後も何度もあったのだとか・・。

 アーンは、このような時のプルーストのことを、

「自然と芸術と人生と、完全に交感した瞬間」で、

 それはまさに

「神がかりのような状態に入ること」

であったと、書いています。

アーンの短いエッセイですが、わたしの記憶に残るプルースト像です。

 



2025年11月14日金曜日

音楽・秋に聴くブラームス・・・

 


 11月に入り、散歩道も秋が深くなりました。雑木林の木々も一雨ごとに葉を落とし、落ち葉を踏みしめる音が、かさこそと秋を告げています・・・。


 

 先日の11月9日の日曜日の朝8時過ぎに、NHKラジオを聞いていましたら、あのなつかしいブラームスの曲が流れてきたので、少しびっくりし、うれしくなりました。

 その番組は、奥田佳道さんの「音楽の泉」で、ブラームスの「ピアノ協奏曲第二番」のさわりの部分、特に第一楽章のはじめのあのなつかしいようなホルンの音色と、ピアノが答える旋律に、「あっ、ブラームスだ」と直感したのでした・・。

 その切り取られた部分の音色がまた、たまらなくすてきで、ブラームスの人柄がにじみでているようで、あたたかい気持ちになれたのでした。

 そして、その音を聴いていると、突然、むかし、ドイツの黒い森をドライヴしたときに、このブラームスのピアノ協奏曲第二番が、カーステレオから流れていたのを思い出したのです。ドイツをドライヴするのだったら、ブラームスと思って持参していたCDだったことも・・。

 あれは、多分イースターの休暇の頃だったと思うのですが、通りすぎる車の窓からは、ドイツの田舎の風景の中に、黄色のらっぱ水仙があちこちに咲いているのや、リンゴの白い花が花盛りに咲いていたのが見え、そんな早春の景色の中、なぜか途中からちらほらと小雪まで舞い始めてきたことも、絵のように浮かんできたのでした・・。

 それにしても、奥田さんのチョイスはすばらしく、ブラームスの人柄がにじみ出ていると感じられる音を切り取って、聴かせてくださったのでした。

 ブラームスの友人で 詩人のヨーゼフ・ヴィクトール・ヴィートマンは「ブラームス回想」という本の中で、ブラームスは子供好きで、特に貧しい子供に共感を示したというエピソードを書いているとのことですが、彼のハンブルグで過ごした貧しかった幼少時代を思わせます。

 子供が好きだったというブラームス、彼はクララとも、その後に好きになった女性とも結婚することなく生涯独身で暮らし、子供がいたクララの家にはいつでも自由に滞在できる友人としてクララを一生愛することができたのは、彼にとってはしあわせなことだったのかもしれないなどと考えてしまうのは、やはり秋だからでしょうか・・。

 いま、アシュケナージのピアノで、ウィーンフィル、指揮者は、ベルナルド・ハイティングのブラームス・「ピアノ協奏曲第二番」のCDを聴きながらこのブログを書いているのですが、このCDは、あの日ドイツのブラックフォレストでドライヴしながら聴いた古いCDなのでした・・。

 秋にはやはり、ブラームスが似合っているように感じます・・・。



 

 


2025年11月10日月曜日

読書・「シルヴィ」ジェラール・ド・ネルヴァル 坂口哲啓訳注 大学書林語学文庫

 

 10月に写したキュートなクサギの果実です。パリの15街区の街路樹にも植えられているとのことですが、春には、すてきな香りの花が咲きます。クサギという名前は、葉や茎を折ったりすると、不快な匂いがするからとのこと。

 秋にこの果実が実ると、なぜかいつもパリを思い出してしまいます。



 
 前回の読書で井上究一郎さんが書かれた「ガリマールの家」に、ネルヴァルの「シルヴィ」
のことが書かれていたので、久しぶりに再読してみました。

 この本は、プルーストの「失われた時を求めて」に影響を与えたといわれている本ですが、今回は、「何か儚く美しい夢のような物語」だという感想を持ちました・・。

 ネルヴァルは、父が軍医で任地を転々としていたため、生後に母方の大叔父のところにひきとられ、幼児期はヴァロアで育ったことから、その土地が彼の作品に霊感を与える場所になったとのこと。

 翻訳をなさった坂口さんによれば、「シルヴィ」には、「ヴァロアの思い出」という副題がつけられているとのことですが、その副題のように、ヴァロア地方の風景が詩情豊かに描かれていると思いました。

 わたしは特に、ひなぎくやきんぽうげが一面に咲いている牧草地とか、ジギタリスをつんで大きな花束にするなど野の草花の様子や、シジューカラやアオゲラが木をつつく音などの野鳥の描写にも惹かれ、ヴァロアの自然の豊かさを感じたのですが、そういえば、プルーストの「失われた時を求めて」にも、野に咲くキンポウゲの花や、花ざかりのりんごの木に群がるシジューカラなどが目に浮かぶように書かれていたことを思い出します。
 
 物語を読んでいると、これは現在のことなのか、過去の思い出なのかわからなくなってしまうような不思議な感じがしてくるのですが、読んだ後に残る余韻は、あまりにも詩的で、わたしには「美しくはかない夢」の中のお話のようにも思われました。

 プルーストは、この「シルヴィ」について、「プルースト評論選」の「サント・ブーヴに反論する」の中で、こんなふうに書いていましたので、引用してみます。

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 「『シルヴィ』の青味がかった、あるいは深紅に染まった雰囲気だ。この言い表しえないものを感じ取れずにいると、私たちは自分の作品が、感じとれた人間の作品に比肩できるとまで思いあがってしまう。要するに言葉は同じなのだから、というわけである。だがそれは、言葉のなかにはないのだ、言い表されてはいないのだ、言葉と言葉のあいだに深く混じりこんでいるのだ、シャンティイのある朝の霧のように。」

         プルースト評論選 Ⅰ文学篇」穂刈瑞穂訳 ちくま文庫 の中の
              「サント・ブーヴに反論する」
          
                          引用69p
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 わたしが、「夢のようなはかない物語」だと漠然と感じたことを、プルーストは、このように表現しているのですが、さすがと思いました。

「青味がかった、あるいは深紅に染まった雰囲気で、言葉では表すことができないようなまるで、シャンティイのある朝の霧のような物語である」と・・・。

 プルーストがこの物語「シルヴィ」から受けた霊感は、まさにこのようなことだったのだと納得したのでした。