10月に写したキュートなクサギの果実です。パリの15街区の街路樹にも植えられているとのことですが、春には、すてきな香りの花が咲きます。クサギという名前は、葉や茎を折ったりすると、不快な匂いがするからとのこと。
秋にこの果実が実ると、なぜかいつもパリを思い出してしまいます。
前回の読書で井上究一郎さんが書かれた「ガリマールの家」に、ネルヴァルの「シルヴィ」
のことが書かれていたので、久しぶりに再読してみました。
この本は、プルーストの「失われた時を求めて」に影響を与えたといわれている本ですが、今回は、「何か儚く美しい夢のような物語」だという感想を持ちました・・。
ネルヴァルは、父が軍医で任地を転々としていたため、生後に母方の大叔父のところにひきとられ、幼児期はヴァロアで育ったことから、その土地が彼の作品に霊感を与える場所になったとのこと。
翻訳をなさった坂口さんによれば、「シルヴィ」には、「ヴァロアの思い出」という副題がつけられているとのことですが、その副題のように、ヴァロア地方の風景が詩情豊かに描かれていると思いました。
わたしは特に、ひなぎくやきんぽうげが一面に咲いている牧草地とか、ジギタリスをつんで大きな花束にするなど野の草花の様子や、シジューカラやアオゲラが木をつつく音などの野鳥の描写にも惹かれ、ヴァロアの自然の豊かさを感じたのですが、そういえば、プルーストの「失われた時を求めて」にも、野に咲くキンポウゲの花や、花ざかりのりんごの木に群がるシジューカラなどが目に浮かぶように書かれていたことを思い出します。
物語を読んでいると、これは現在のことなのか、過去の思い出なのかわからなくなってしまうような不思議な感じがしてくるのですが、読んだ後に残る余韻は、あまりにも詩的で、わたしには「美しくはかない夢」の中のお話のようにも思われました。
プルーストは、この「シルヴィ」について、「プルースト評論選」の「サント・ブーヴに反論する」の中で、こんなふうに書いていましたので、引用してみます。
・ー・-・-・-・-・-・
「『シルヴィ』の青味がかった、あるいは深紅に染まった雰囲気だ。この言い表しえないものを感じ取れずにいると、私たちは自分の作品が、感じとれた人間の作品に比肩できるとまで思いあがってしまう。要するに言葉は同じなのだから、というわけである。だがそれは、言葉のなかにはないのだ、言い表されてはいないのだ、言葉と言葉のあいだに深く混じりこんでいるのだ、シャンティイのある朝の霧のように。」
プルースト評論選 Ⅰ文学篇」穂刈瑞穂訳 ちくま文庫 の中の
「サント・ブーヴに反論する」
引用69p
・-・-・-・-・-・
わたしが、「夢のようなはかない物語」だと漠然と感じたことを、プルーストは、このように表現しているのですが、さすがと思いました。
「青味がかった、あるいは深紅に染まった雰囲気で、言葉では表すことができないようなまるで、シャンティイのある朝の霧のような物語である」と・・・。
プルーストがこの物語「シルヴィ」から受けた霊感は、まさにこのようなことだったのだと納得したのでした。
0 件のコメント:
コメントを投稿