毎年、冬のこの季節になると、朝焼けや夕焼けがきれいで、いつも見惚れてしまいます。
今朝の朝焼けに染まったばら色の雲・・。
ふわふわの綿菓子のようでした。
プルーストの「失われた時を求めて」を、最初に手にとったのは、井上究一郎訳の「プルースト全集」の1冊目の単行本でした。
この本は、わたしの記念すべきプルーストのはじめの1冊ですが、わくわくしながら読んだのを覚えています。
初版の第一冊発行が1984年9月10日で、その後、全18巻プラス別巻の全集が完成したのは、15年後の1999年の4月とのこと。
翻訳なさった井上さんは、完成の少し前の1999年の1月に亡くなられていますので、彼のライフワークともいうべき「プルースト全集の個人全訳」だったと思います。
井上さんのことを思うとき、わたしはなぜか、「失われた時を求めて」の中で作家のベルゴットの本が、彼の死後に本屋さんのショーウィンドウに飾られているというような場面があったのを思い出してしまったのですが、調べてみますと、こんな風に書いてありました。
井上究一郎さんの翻訳からの引用です。
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彼は埋葬された。しかし弔の終夜、あかりのついた本屋のかざり窓に、三冊ずつならべられた彼の著書が、つばさをひろげた天使たちのように通夜をしていて、いまは亡い人にたいする復活の象徴のように見えるのであった。
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引用「失われた時を求めて」井上究一郎訳 8「第五篇 囚われの女」324p
井上究一郎さんは、15年もの歳月をかけて、「プルースト全集の個人全訳」を最初になさったのですから、すごいことだと思います。そしてその翻訳が、わたしたち読者に「プルーストの読書のよろこび」を与えてくださっているのですから・・。
この単行本は、とても豪華なのですが、わたしにとっては、大きくて読みにくく、高額だったということもあり、初めて全巻通して読み終えることができたのは、ちくま文庫の出版を待ってからでした。
このちくま文庫の全巻読了には、2年かかったのですが、読み終えたときの感動はいまでも忘れられません。
わたしのプルーストの「失われた時を求めて」への長い読書の旅は、ここから始まったのですが、もう30年近くもたってしまいました。
その後は、鈴木道彦訳全巻、吉川一義訳全巻、高遠弘美訳6冊までと、まだまだ、旅の途中ですが・・。
どの翻訳本からも、ランダムにページをめくると、プルーストの本からは、いつものなつかしい人々が出てきておしゃべりをはじめ、わたしのそのときの感性や知性に応じて、読書の喜びや楽しみをもたらしてくれるのです。
プルーストは、読書とは自分を読むことと言っているのですが、わたしもいつも読書によって自分を読んでいるのだと素直に思います・・。
このような本を、個人全訳で最初に翻訳してくださった井上究一郎さんには、とても感謝し尊敬しています・・。
左から、
「失われた時を求めて」マルセル・プルースト 井上究一郎訳 ちくま文庫 全10巻
「失われた時を求めて」マルセル・プルースト 鈴木道彦訳 集英社文庫 全13冊
「失われた時を求めて」プルースト作 吉川一義訳 岩波文庫 全14冊
「失われた時を求めて」プルースト 高遠弘美訳 光文社古典新訳文庫 6冊まで・・
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