今年初めてカッコーのなき声を聞いたのは、5月26日でした。朝早く庭に出た時に、遠くの方でかすかに「カッコー」とないているのが聞こえてきたのです。
わたしはこの季節にはいつも「カッコー」の初めてのなき声を聞くと、とてもうれしくなり、こころがワクワクしてきます。
カッコウの声をもう少し身近で聞いてみたいと思い、昨日は標高の高いところにある牧場まで行ってきました。
さわやかな風の吹き渡る高原は、見ているだけでも気持ちが良かったのですが、思っていた通りカッコーのなき声が、広い牧場に響き渡っていました・・。
ワーズワースの詩に 「To the Cuckoo」「郭公に」という、わたしの気持ちを歌っているような、すてきな詩があります。その詩の最初のところで、ワーズワースは、はじめてなくカッコーのことを「O BLITHE New-comer !」と、言っています.
「こころが浮き立つような新しく来たお客さま」なのですね!!!
日本語訳は、彌生書房出版の世界の詩37「ワーズワース詩集」に前川俊一訳が出ていますので、引用させていただきます。
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「郭公に」
ウィリアム・ワーズワース 前川俊一訳
おう、快活な新来の客よ、かってきいた君の声を
いま聞いて僕はうれしい。
おう、郭公よ、君を鳥と呼ぼうか
それとも君はさまよえる声か。
僕が草上にねそべっていると
君の二声(ふたこえ)の叫びがきこえて来る。
丘から丘へとその声はすぎ行くようだ。
ここかしこ、いたるところに。
日光と花の便りを
谷間に喋りつづけるだけでなく
郭公よ、君は僕に
幻ゆたかなりし日を語ってくれる。
ようこそ見えた、春の寵児よ。
君はいまもって、僕にとっては
鳥でない。目に見えぬあるものだ。
声だ、神秘だ。
私が学童の時分に
耳すませたのと同じ声だ。
藪を、木を、空を、ここかしこ見廻らせた
あの呼び声だ。
君を捜そうとして、僕はよく
森や野をたずねあるいた。
君はいつも希望であり、愛であった。
常にしたわれながら、姿を見せぬものだった。
僕はいまでも君に耳かたむけられる。
原っぱに寝そべって
耳すませていると、いつしらず
幼なかりし日の喜びがよみがえって来る。
鳴呼、しあわせの鳥よ、僕等のあゆむ大地が
まぼろしの仙女国であるかのような
感じがまざまざと蘇って来るのだ。
それこそ君にふさわしい住家だ。
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引用 「ワーズワース詩集」 前川俊一訳 彌生書房 115p~117p
前川俊一さんは、「O Blessed Bird!」を、「しあわせの鳥」と訳していらっしゃいますが、わたしにとってもカッコーは、鳴き声を聞くだけで、しあわせな気分になれる鳥なのかもしれません・・。
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