昨日の散歩のときに、ツリフネソウが群れていっぱい咲いているのを、見ました。釣舟とは、舟の形をした花器のことで、床の間の天井からくさりで吊り下げるもののこととか・・。花の形がその釣舟に似ているというので、「ツリフネソウ」という名前が付けられたということです。
堀田善衛さんの書かれた「方丈記私記」を、久しぶりに読み返してみました。改めて読んでみると、やはり名著だなあと再認識しました。
堀田さんは、東京大空襲を経験なさっているので、そのときの体験から方丈記に書かれている京都の大火災の様子にふれて考察を始められています。
当時は、大火ばかりではなく、地震やつむじ風などの天災も多く、世の中も乱れていて、大変な時代だったようですが、鴨長明はそのような時代を現実的に生きたというのを堀田さんは強調なさっています。
わたしが興味を持ったのは、定家などの歌壇の歌論にも触れられていることです。当時の現代語の拒否と、本歌取りなどは、新古今集の和歌も、そうなのですよね。
そしてさらに、この本歌取りの文化は、わたしたちの文化と思想の歴史の中に生き続け、創造よりも伝承になり、花道、茶道、剣道、柔道、そして、学問や神道にまで及んでいるのではと、論考なさっています。
「方丈記私記」堀田善衛著・ちくま文庫
堀田さんは、東京大空襲を経験なさっているので、そのときの体験から方丈記に書かれている京都の大火災の様子にふれて考察を始められています。
わたしが興味を持ったのは、定家などの歌壇の歌論にも触れられていることです。当時の現代語の拒否と、本歌取りなどは、新古今集の和歌も、そうなのですよね。
そしてさらに、この本歌取りの文化は、わたしたちの文化と思想の歴史の中に生き続け、創造よりも伝承になり、花道、茶道、剣道、柔道、そして、学問や神道にまで及んでいるのではと、論考なさっています。
このことから、堀田さんは、日本人の深部にある日本文化の伝統主義的なものに対しての批判にまで、暗に触れられているのは、おもしろいと思いました。
最後にこう締めくくられていますので、引用させていただきます。
「そうしてかかる「閑居の気味」は、中世芸術家たちの憧憬の対象となり、またまた、今度は鴨長明自体が本歌取りの対象にされてしまう。」
(方丈記私記の237pからの引用)
最後にこう締めくくられていますので、引用させていただきます。
「そうしてかかる「閑居の気味」は、中世芸術家たちの憧憬の対象となり、またまた、今度は鴨長明自体が本歌取りの対象にされてしまう。」
(方丈記私記の237pからの引用)
「方丈記私記」堀田善衛著・ちくま文庫
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