ナタリア・ギンズブルグが書いた「ある家族の会話」を、読みました。
翻訳は、わたしの好きな須賀敦子さんですが、須賀さんは、このような小説を書いてみたいと思っていたと「コルシア書店の仲間たち」という本のなかで書かれていたので、興味を持ち読んでみた本でした。
「ある家族の会話」は、著者自身の育ったイタリアのブルジョアの知識階級の家族やまわりの人々のことを、実名を使って家族の会話という形で書いている本です。ファシズムが迫ってきている時代で、ナタリア・ギンズブルグの夫もドイツへのレジスタンス運動で失うなど、家族や友人もファシズムに巻き込まれ辛い時代を生き抜いているのですが、簡潔な彼女の文体が、この物語を、読みやすくしているように思いました。
11月に咲いていたバラ
ナタリア・ギンズブルグは、彼女の家族を描くことによって、イタリアのある時代の歴史を物語っており、わたしがおもしろいと思ったのは、大学教授の厳格な父親の話し言葉などに、クスリと笑ってしまうようなユーモアが、感じられたことでした。
この本の中に、プルーストの「失われた時を求めて」のことが出てくるのですが、ナタリアの母もプルーストを熱愛していたそうです。わたしは、「失われた時を求めて」をたぶん母もまわりのひとたちもみなフランス語で読んでいたのではないかと思います。母が父にプルーストのことを説明したとき、「プルーストは不眠症だったので騒音をふせぐために、部屋や床にコルクをはりつめていた」と話すと、父は「ひどいとんまだったに違いない」と答えたということですが、このエピソードには、笑ってしまいました。
12月11日の同じバラ
ナタリア・ギンズブルグは、後にプルーストの「失われた時を求めて」を、イタリア語に翻訳しているのですが、彼女の翻訳はイタリアでも定評があるとのこと。彼女は青春時代からプルーストの話をするような家庭環境に恵まれていたようです。
「ある家族の会話」の「訳者あとがき」の須賀敦子さんの文からは、彼女のギンズブルグに対する憧憬のようなものが感じられました。須賀さんにとっては、ギンズブルグのこの本は、人生での大事な1冊だったのだと改めて思いました。
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