サガンが自身を語ったこの本「私自身のための優しい回想」は、1984年にフランスのガリマール社から、日本では2年後の1986年に新潮社から朝吹三吉訳で、出版されています。日本で出版された直後に単行本で手に入れていますので、わたしの本箱では大分長く見かけている本の1冊になりました。
わたしは以前にこの本を読んだとき、サガンがサルトルの最晩年の1年の間に、10日に一度ぐらいの割合でレストランで夕食を共にするような関係だったことや、サガンとサルトルの誕生日が同じ6月21日だったということ、「頭のいい人は必ず親切なものなんだ。」とい
うサルトルの言葉などが、とても印象に残っていました。
今回、読み直してみますと、「愛読書」という項目がおもしろかったです。サガンの10代の頃からの読書についてですが、13歳で「地上の糧」ジッド・14歳で「反抗的人間」カミュ・16歳で「イリュミナシオン」ランボーに出会ったとのこと。
とくにランボーの「イリュミナシオン」のあの「ぼくは夏の曙を抱いた。」で始まる詩をサガンは言葉をつくして、受けた衝撃を語っていますが、この部分は、わたしもこの詩には同じように感銘を受けたことがあるので、共感を持って読みました。
そして、サガンはついに、この特別な3冊の本の後、プルーストの「失われた時を求めて」に、出会ったのでした。それは夏休みで過ごした祖母の古い家の屋根裏部屋だったとのことです。
それは、14巻のうちの「消え去ったアルベルチーヌ」の巻で、後に彼女は多くの人が読む進むことができなかったというのを聴くにつけて、この巻に最初に出会ったことを、幸
運に思うとのこと・・。
サガンはプルーストのこの本から、文学の作品の材料は、人間を対象とするものである限り、無限であることなどなど、「プルーストからすべてを学んだ」と、言い切っています・・・。
その後、サガンは「悲しみよこんにちは」で衝撃的なデビューをすることになるのですが、やはりプルーストが彼女の作家人生に大きな影響を与えていたのだと、再確認した読書でした。
「サガン」というペンネームは、「失われた時を求めて」に出てくる「Princesse de Sagan」からとっているとのことです。
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