2021年5月5日水曜日

読書・「須賀敦子全集第2巻」須賀敦子著・河出文庫

 

 「イタリアの小さな村の物語」というTVの番組が好きでよく観ているのですが、先日サルデーニャ島のティンヌーラという村に住んでいる女性が、自生している植物のアスフォデロでかごを編んでいるのを見ました。

 あっ、須賀敦子さんのアスフォデロだと気が付いたのですが、この植物の茎をさいてかごを編むことができるのだというのを、初めて知りました。



 須賀敦子さんは、「ヴェネツィアの宿」という本の中で「アスフォデロの野をわたって」というエッセイを書かれています。(須賀敦子全集第2巻)須賀さんはご主人のペッピーノさんがまだお元気だったころ、ソレントに休暇に行かれ、ペストゥムのギリシャの遺跡を訪ねられるのですが、その時の話です。

 イタリアができる前、ペストゥムの辺りはギリシャの植民地だったとか・・。そのポセイドンの神殿などが残る遺跡の夏枯れの野で、須賀さんはご主人のペッピーノさんを突然見失なわれ、不安にかられるのです。そして、そのときに、突然ホメロスの詩のオデュッセイアのこんな一節を思い出されたのだそうです。

 「アキレウスは、アスフォデロの野をどんどん横切って行ってしまった。」

 オデュッセイアは冥界で、トロイでいっしょに戦った勇者アキレウスに出会い、彼の壮絶な最期を讃えます。でも、アキレウスは「英雄として死ぬよりは、百姓になって土を耕している方がずっとましだ」といい、アスフォデロの野をどんどん横切って行ってしまったというのです。

 須賀さんは、アキレウスのように、ペッピーノさんもアスフォデロの野に消えてしまうのではという不安にかられたのだと思います。事実この旅が須賀さんとペッピーノさんにとって最後になられたのですから・・。



 このエッセイの最後で、須賀さんはアスフォデロが花の名前だったのか、ただ忘却の意味の名詞なのかはっきりとわからないと書かれています。

 以前に「追悼特集 須賀敦子」という文藝別冊の本の中で、多田智満子さんがイタリアに長く住んだ彼女ほどの知識人がこの花を知らなかったとはと、驚いて書いていらっしゃるのを読んだことがありました。

 須賀さんは、わたしの考えでは、ちょうどアスフォデロの花が咲いている時期に出会わなかったのでご存じなかっただけなのだと、思います。

 わたしもこの花が分布している地中海沿岸の国や島に旅したことがあるのですが、気がつきませんでした。ギリシャのコリントの遺跡に行ったときに黄色の小さな花が咲いているのを見て、紀元前からこの種を守ってここに咲いているのだと思うと、なぜか感動してしまったのをいまでもはっきりと覚えていますので、もしかしてアスフォデロも花が咲いていれば、わたしも気がついたのかもしれません。

 そのときに、黄色の花の名前を調べようとギリシャで、英語の植物の小さな本を買い、いまでも大事に持っているのですが、その本を開いてみると、「アスフォデロ」もありました!!!

 英語の本なので、アスフォデル(ASPHODEL)と書いてあるのですが。
    

 本には「TALL ASPHODEL or KINGSPEAR」と英語名が書いてあります。高さが3~4フィートということですので、1メートル前後の背の高い花のようです。ギリシャ神話では、冥府へと向かう場所に咲く花と言われているとか。

 「アスフォデロの野をわたって」は、須賀さんにとっては、ペッピーノさんとの大事な最後の旅の思い出だったのだと思いました・・。

 






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