2021年5月15日(土)と16日(日)に開催された日仏シンポジウム「プルーストー文学と諸芸術」に、オンラインで参加しました。
このシンポジウムは、プルーストの「失われた時を求めて」について様々なジャンル(プルーストと批評・プルーストと音楽・プルーストと現代作家・プルーストと美術・プルーストと教会/建築・プルーストと大衆文化など・・)からの、日本とフランスのプルースト研究者や作家、芸術家そして、失われた時を求めての翻訳者の方々の興味深いご発言がありました。
両日ともに、とても豊饒な時間を持つことができ、この1週間ずっとその余韻に浸っていたのですが、その間なぜかわたしは、フランスの詩人のマラルメのあの言葉を思い出していました。
「世界は1冊の書物に至るために作られている」・・・という言葉です。
マラルメは、文学中心主義と言われていますが、やはりプルーストのこの本には、批評も音楽も美術も建築も大衆文化もほかの人生のこともすべていろいろのことが含まれているという意味で、マラルメの「世界は1冊の書物に至るために作られている」という考えも、すんなりと納得できるように思えました。
マラルメの詩の一節の引用は、プルーストの本にも出てきます。プルーストは「消え去ったアルベルチーヌ」という巻を短くして書き直している草稿が発見されているのですが、その本の中です。(日本では、光文社から高遠弘美さん訳で「消え去ったアルベルチーヌ」として、出版されています。)
プルーストは、話者が恋人のアルベルチーヌに買ってあげたいと思っていたヨットとロールスロイスに、マラルメの詩句を彫らせるつもりと言った詩の一節を、それぞれ引用して書いているのです。
プルーストもマラルメの詩は、好きだったのだと思います。
わたしの持っている西脇順三郎さんの訳の「マラルメ詩集」の解説の141pには、マラルメの思索はもう哲学思想であるとして、こういう言葉を書かれています。
「一つの美しい本に帰着する」・・・・・・・・と。
この言葉も、プルーストのこの本「失われた時を求めて」のことのように思えてなりません。
プルーストの「失われた時を求めて」は、わたしにとって人生の大事な1冊と再認識させてくれた今回のシンポジウムでした。
このような機会を与えてくださった関係者のみなさまに、感謝いたします!!!
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