エミール・ゾラの「制作」上下2冊を読みました。この本は、長年本箱にあって積読状態だったのですが、この夏の思い出に読んでみました。
「制作」は、ゾラの幼馴染みのセザンヌをモデルにして、ゾラ自身も出てくる芸術家の苦悩を描いた作品です。読み終えてみると、思いがけない発見が2つもありました。
それは、高村光太郎がこの本を1910年に冒頭部分を翻訳したことがあり、題名を「制作」と訳したということでした。わたしは以前に彼の詩が好きでよく読んでいたのですが、このことは知りませんでした。
また、もうひとつは、絵の色彩についてです。この「制作」の主人公のモデルと思われるセザンヌが、作品の中でポプラの木の色を、コバルトブルーに描いていたのですが、その絵を見た妻に、なぜ緑ではないのかと問われ、よく観察すれば光の具合で、コバルトブルーにも見えると答えている場面がありました。
それを読んだ時、わたしはすぐに高村光太郎の評論「緑の太陽」を思い出しました。光太郎は、太陽を緑に描く人がいても、否定しないと書いていたからです。
光太郎の年譜で調べてみると「緑色の太陽」という評論を1910年の4月にスバルに掲載したと書いてありました。高村光太郎が「制作」を少し翻訳したとされる年も1910年ですので、もしかしたらこの作品の中のポプラの木のコバルトブルーという色彩感覚に影響を受けていたのかもしれないと思いました。
セザンヌの絵は、パリのオルセー美術館で2度、観ています。オルセー美術館で買った日本語の本の「オルセー美術館案内」を開いてみると、セザンヌのところに、ゾラのこの小説「制作」について書いてあるのを見つけました。セザンヌはこの作品に出てくる主人公のクロード・ランティエのモデルは自分だと考えて、同じエクサンプロヴァンス出身で幼少の頃に知り合った友人のゾラと絶交してしまったということでした。
セザンヌの画家としての芸術家の苦悩を、自らの自死という形で書いたゾラですが、彼自身も苦悩を持ったひとりの芸術家だったのだと思います。
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