2021年8月28日土曜日

須賀敦子さんの「どんぐりのたわごと」

 

 久しぶりに須賀敦子さんの本を読みました。「須賀敦子全集第7巻」河出文庫の中の「どんぐりのたわごと」と、「日記」です。「どんぐりのたわごと」は、須賀さんがローマ留学時代に、日本の友人に送るために書いたミニコニ誌ですが、自分たちのことをどんぐりにたとえていらっしゃいます。


  その記念すべき第一号に、須賀さんは「どんぐり」について、こんな風に書かれていますので、17pから引用してみます。

「つやつやと光っていて、いつもわらっているようなどんぐり。しかもまた何と小さくて威厳のないことか。でも私達は、どんぐりでなければもつことのできない、しずかな、しかもいきいきとした明るさを、よろこびを、みんなのところにもって行けるのではないでしょうか。」            



 ご自分や友人、仲間たちのことをどんぐりにたとえた須賀さんの感性がすてきです。

 第8号には、不毛の山岳地帯にどんぐりを育てて木を植え続けた男性のエピソードが「希望をうえて幸福をそだてた男」という題で載せられています。

 この話のような文献の母体は、あのコルシア・ディ・セルヴイ誌からのものが大半で須賀さんが翻訳して「どんぐりのたわごと」に載せていらっしゃるとのこと。このコルシア・ディ・セルヴイ誌は、須賀さんが結婚なさったペッピーノ・リッカさんやほかの仲間たちで作られていたようです。後に須賀さんは、「コルシア書店の仲間たち」という本で、この仲間たちについて書かれています。


        


  本の後半には、須賀さんの日記も収録されています。パートナーであるペッピーノさんが突然亡くなられてから4年後に、日本に戻られるまでの間の日記で、大学ノートに書かれていたとのこと。

  日記にはペッピーノさんを亡くされた後の須賀さんのミラノでの孤独の日々がつづられているのですが、わたしは4月19日に書かれていた「自由と孤独」についてのところが、印象的で、こころに残りました。479pからの引用です。

 「もう四年になる。この四年、わたしは生きすぎてしまった。あの頃知らなかった「自由」による幸福の時をさえ持ってしまった。もちろん、自由と孤独とは、壁一重のとなりあわせである。孤独を生きることをおぼえたところから自由がはじまるのかもしれない。」




  「孤独」の中で、「自由」のしあわせを知った須賀さんは、書くことに目覚め、あの「須賀敦子さん」になられたのですね。 

 「どんぐりのたわごと」と「日記」は、須賀さんのこころの軌跡なのかもしれません・・・・。

    




    


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