10月も半ばを過ぎ、木々の紅葉が始まりました。ガマズミの実も赤くなり、陽の光をあびると、つやつやと輝いてかわいらしく見えます。
「失われた時を求めて」③ 第二篇「花咲く乙女たちのかげにⅠ」プルースト
・-・-・-・-・-・
高遠弘美訳では・・
「ここもとをいまにも発って、遠国(おんごく)へゆかれるとか」
光文社古典新訳文庫 36pからの引用
・-・-・-・-・-・
吉川一義訳
「急なご出立(しゅったつ)で、お別れしなければならないとか・・・」
「失われた時を求めて3花咲く乙女たちのかげにⅠ」 岩波文庫 46pから引用
・-・-・-・-・-・
鈴木道彦訳
「あわただしくも遥かな国へ、われらを離れてご出立とやら・・・」
「失われた時を求めて3 花咲く乙女たちのかげにⅠ」集英社ヘリテージシリーズ
40pからの引用
・-・-・-・-・-・
井上究一郎訳
「急にはるかへお発ちになるとやら・・・」
「失われた時を求めて2第二篇 花咲く乙女たちのかげにⅠ」ちくま文庫
27pからの引用
・-・-・-・-・-・
フェードルの本は、岩波文庫から「フェードル アンドロマック」ラシーヌ作として、 渡辺守章訳 で出版されているのですが、渡辺守章さんはフェードルのセリフをこのように訳されていました。
渡辺守章訳
・-・-・-・-・-・
「急なご出立(しゅったつ)で、お別れしなければならないとか。」
・-・-・-・-・-・ 185pからの引用
吉川一義さんの訳とまったく同じでした。
ラシーヌの悲劇「フェードル」は、1677年にブルゴーニュ座で初演されたという古い歴史があるのですが、日本でも2017年と2021年に大竹しのぶ・演出は栗山民也で上演されているようです。
プルーストの「失われた時を求めて」に出てくる「フェードル」は、架空の女優のラ・ベルマが主役のフェードルを演じていて、主人公はマチネで観るのですが、最初は失望してしまうのでした。
「フェードル」は、プルーストの時代には、実在した有名な女優のサラ・ベルナールが主役を演じているのですが、当たり役だったとか。この悲劇女優の試金石ともいわれる「フェードル」をサラ・ベルナールが初めて演じたのは、1874年で30歳だったとのことです。
プルーストが生まれたのは、1871年ですから10代のころに、サラ・ベルナールの演じる「フェードル」を見た可能性があるのかもしれません・・。
フランソワーズ・サガンの著書「サラ・ベルナール」によれば、サラは、グラモン家で1,2度プルーストにあったことがあるとのことですので、プルーストが「失われた時を求めて」の中で「フェードル」を書いたときに、架空の女優のラ・ベルマを登場させたのは、サラ・ベルナールのことが念頭にあったのかしらとも思ったのですが、どうなのでしょう・・。
アンドレ・モーロアの「プルーストを求めて」という本に、プルーストが20歳のころの質問に対する答えが書いてあるのですが、架空の物語の中の好きな女主人公はという問いに、フェードルと最初に書き、それを消してベレニスにしたという記述がありました。
フェードルは、やはりプルーストにとってセリフを暗記してしまうほどの、魅力ある演劇だったのかもしれません。
「ここもとをいまにも発って、遠国(おんごく)へゆかれるとか」は、
やはり古典劇にふさわしい重厚な名訳だと改めて思いました。
0 件のコメント:
コメントを投稿