きょうは立春です。今年は1月20日の大寒の後に来た寒波の影響で寒い日が続いていたのですが、我が家の庭はずっと雪に埋もれたままで、まだこんな感じになっています。
この本は立花隆さんが、ご自分で書かれた本の中でいちばん気に入っていらした本とのことですが、わたしは、この本から彼の詩情や哲学が感じられ、彼はロマンチストだったのかもと思ったのでした・・。
立花さんがそもそも遺跡と衝撃的な出会いをなさったのは、30歳の時イタリアのシチリア島のセリヌンテにおいてとのこと。歴史書に書かれていない圧倒的な存在として残存している神殿の遺跡に出会われたとき、知識としての歴史は、フェイクであると思われたとのことです。
そして、そこに遺跡として残っている神殿は、4世紀にコンスタンティヌス大帝がキリスト教に改宗したあと、異教の神殿として破壊された跡で、千年単位の時間が見えてくるとも・・。
立花さんは、このように圧倒的な時の経過を感じる遺跡をご覧になられ、ニーチェの哲学のあの永遠回帰の思想にまで思索をめぐらされています。
「万物は永遠に回帰し、われわれ自身もそれとともに回帰する。」・・・・・・
このニーチェの思想が、人気のない海岸にある遺跡で、黙って海を見つめていると、納得できるような「気がすることがある」と、書かれているのですが、わたしにも何となくわかるような気がしました。
海はさらに、彼にこんなポエチックな言葉をいわせるのです。
「見えた 何が 永遠が」
これは、たしかにランボーの詩の言葉ですが、立花さんはその境地にまで思いをめぐらされているところにも共感できました。
遺跡・海・哲学と詩、どれからも、彼のロマンが感じられたのは、わたしだけだったのでしょうか・・・。
わたしも、30代のころにギリシャのコリントの遺跡で忘れられない経験をしたことがあるのを思い出します。
それは、コリントの遺跡の廃墟のあとの地面に、這うようにして咲いていた小さな黄色の花を見つけたときのこと。
こんなに小さくてかれんな黄色の花が、ず~っと遠い昔からこの場所で、自分の種を守って、咲き続けているのだと思うと、愛しくて胸がきゅんとしてしまったのでした。
その花の名前を調べてみようと、ホテルにもどってから植物の本を買ったのですが、名前を特定することはできませんでした。でもその本は、あの時の大事な思い出の本として大切にいまでも本箱にあります。
わたしにとって、あのコリントで見た小さな黄色の花は、永遠を感じさせてくれた花でした。
立花さんのこの本は、忘れてしまっていたコリントでのささやかな思い出をよみがえらせてくれた読書でもありました・・。
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