6月は水無月ともいいますが、水無月の無はないという意味ではなく、「の」という意味で「水の月」のことだとか・・。
きょうはときどき雨が降る水無月らしい天気でしたが、雨の晴れ間に外に出てみると何とも言えない良い香りがただよってきました。
6月は水無月ともいいますが、水無月の無はないという意味ではなく、「の」という意味で「水の月」のことだとか・・。
きょうはときどき雨が降る水無月らしい天気でしたが、雨の晴れ間に外に出てみると何とも言えない良い香りがただよってきました。
ハルジオンがあちこちで咲いています。やさしい風情のある花ですが、大正時代に観賞用として、日本に持ち込まれた北米原産の帰化植物とのこと・・。花のまわりにうつむいて付いているつぼみも、つぎつぎに咲いてにぎやかになります。
堀田善衛さんが書かれた「定家明月記 私抄」を読みました。堀田善衛さんの本を読むのは、「方丈記私記」についで2冊目でしたが、久しぶりにとてもおもしろい読書でした。多分、わたしのベスト10に入る本になりそうです。
明月記は、定家が漢文で書いた日記ですが、この難解な本を堀田さんがはじめて手にとられたのは戦時中のことで、定家のこのような文に驚かれたのが、きっかけだったとのことです。それは、
「紅旗征戎(コウキセイジュウ)吾ガ事ニ非ズ」
堀田さんは、定家のこの和歌をこんなふうに語られているので引用してみます。
・-・-・-・-・-・
「よくもかくまでに、雲さえて、峯の初雪、有明の、月と、白色、あるいは蒼白の色を重ねあわせて、あるいは重ねあわせるだけで一首の歌を構成しえたものと感歎せざるをえず、薄墨の朦朧たる背景に音階、あるいは音程を半音程度にしか違わぬ白の色を組み合わせて配し、音の無い、しかもなお一つのはじめもおわりもない音楽を構えて出していること、それは実におどろくべき才能であり、かつそれ自体で一つの文化をさえ呈出しえているのである。」
・-・-・-・-・-・ 引用017p
わたしも堀田さんの和歌の解釈には、全く共感したのですが、それ自体で文化になっているという彼の達観はさすがで、このように和歌を評価できる堀田さんの見識はやはり定家と並ぶ、一流の教養人というべき人なのかもしれないと思いました。
この本には、定家の18歳のころから48歳までのことが書かれているのですが、平安末期から鎌倉初期までの乱世を、俊成の息子の職業歌人として生きた彼の現実の生活は、経済的不如意や病気、家族の心配など苦痛に満ちたものだったというのをこの本で知ることができました。
わたしは、定家と西行との出会いも心に残ったのですが、堀田さんは、定家自身の養いになったのではと分析なさっています。「人は出会いによって育つ」と・・。
続編も楽しみです・・。
この季節には、キンポウゲが道の両側に咲いているすてきな散歩道があるのですが、もうそろそろ花も終わりのようです。花びらは、金色に光っていて英語の名前のバターカップという名前が頷けます。
建礼門院右京大夫集を読みました。この本のことは、ドナルド・キーンさんが書かれた「百代の過客」に出ていて知りました。
キーンさんによればこの本「建礼門院右京大夫集」は、和歌の家集ですが、和歌を詠んだときの詞書がついていて日記のようにも読めることから日記文学に入れたとのこと。
わたしが特に興味を持ったことが、二つあります。その一つは右京大夫がまだ少女時代だったころ、式子内親王に仕えていた中将の君と呼ばれていた女房との歌のやりとりが、書かれていたことです。
大好きな歌人の式子内親王に関することにも少しふれて書かれていたので、うれしくなったのですが、内親王はそのころ、大炊御門(おおいのみかど)に住んでおり、大炊御門の斎院と呼ばれていたとのこと・・。
その大炊御門の斎院に仕えていた中将の君が、咲いていた桜の花の枝に添えて、右京大夫に和歌を贈ってきたのです。
右京大夫はそのころはまだ少女でしたが、返礼の和歌を贈っていますので、すでに歌人として認められていたのかと、少し驚いたのでした。
もうひとつは、「星月夜のあわれ」というところです。
十二月のついたちの午前二時半頃、空を見上げると、晴れた藍色の空に大きな星が光って出ているのを見た右京大夫は、縹色(はなだいろ)の紙に、金色の箔をちらしたようだと感激しています。
そのころの右京大夫は、源平の戦に敗れた平家の武者として亡くなっていた最愛の恋人を想っていたからでしょうか、旅の空で見た星月夜の美しさを、ことさらに身に染みて感じたのかもしれません。
月夜ではなく、星月夜というところに、とても惹かれたのですが、わたしも同じような経験をしたことがありました。やはり冬の夜の夜半過ぎ、カーテンを開けて空を見上げると、藍色の冴えて澄んだ冬空に、きらきらと輝く星々を見たときの光景は忘れることができません。わたしもちょうどそのころ、愛犬をなくしていたということもあり、こころにより深くしみたのだと思います。
この本の全訳注をなさった糸賀きみ江さんは、「自らの人生を大切に考える人々の共感を呼び起こさずにはいないと思われる」と書かれているのですが、わたしもまったく同感でした。
平安末期の激動の時期に生きた右京大夫の人生の心のひとこまが印象に残った一冊になりました・・・。