散歩道の木々の紅葉は、もう大分散り始めているのですが、まだ残っているニシキギの葉は、行儀よく並び、かわいらしく風にゆれていました。
須賀敦子全集の5巻にイタリアの詩人のウンベルト・サバの詩が載っていました。サバの詩は須賀さんの本ではじめて知ったのですが、その中でも特にこの詩が好きです。
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娘の肖像
ウンベルト・サバ (須賀敦子訳)
毬を手にもった、ぼくの娘は、
空のいろした、おおきな目をして、
かるい夏服を着て、パパちゃん、
と言う。今日はいっしょにおでかけしたいの。
ぼくはつくづく考える。この世でとびきりに
みえる物たちのいったいどれに、ぼくの
娘をたとえるべきか。たとえば、
泡。しろい波がしらの海の泡。青く、
屋根から立ちのぼっては風に散る、けむり。
そして、雲。あかるい空に、かたまっては、くだけ、
くだけては、かたまる、あるかないかの雲。
軽くて、漂う、すべてのものたちに。
・-・-・-・-・-・ 引用244p
わたしにとってトリエステは、旧ユーゴスラビアからベネチィアに行くときに、バスに乗り換えて通過したことがある街というだけなのですが、サバが住んでいた街だったのだと思うとなつかしいような特別なところに思えてなりません。
ノイバラの実
須賀さんによれば、サバは母親がユダヤ人だったために、第二次世界大戦中は国内を転々として苦労したとのこと・・。彼の詩を読むと、彼の妻や娘、そしてトリエステの街に、かぎりなくやさしい愛情を持っているのがよくわかりますし、平易な言葉で深いものを表現しているところも好きです。
サルトリイバラの実
サバの詩を、配偶者のペッピーノさんから初めて手渡されて読んだ須賀さんは、それ以来サバの詩のとりこになったようですが、わたしも須賀さん翻訳の彼の詩が好きになりました。
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