2025年4月20日日曜日

2025年・白河関の森公園の桜・みちのくの桃源郷


 2025年4月19日の「白河関の森公園」の桜です。ちょうど桜が満開で、濃いピンクの花桃の濃淡もアクセントになり、桃源郷のようなすてきな風景が広がっていました。



  

 ソメイヨシノの桜並木には、黄色のレンギョウが背景に植えられていて、桜をひきたてていたのですが、のんびりとしたおだやかな山里の雰囲気がただよっていて、こころを休めてくれるような春の景色でした。



 広場では、鯉のぼりが泳ぎ、子供たちがせせらぎで遊ぶ姿が微笑ましく桜と鯉のぼりには、やはり子供たちの声がいちばん、似あっているように思ったのでした。



 この公園は、白河の関に隣接しているのですが、白河の関には、芭蕉も曾良と奥の細道の旅の途中に立ち寄っていました。公園の中には二人の像と、こんな曾良の歌碑が建てられています。

 ♪卯の花をかざしに関の晴れ着かな    曾良

 芭蕉と曾良が、歌枕であったこの白河の関を訪ねたのは、1689年5月下旬で今の暦では、6月の上旬とのこと。真っ白の卯の花が咲いていたのだろうと思いますが、もし桜のこの季節でしたら、

「山桜をかざしに関の晴れ着かな」とでも、なっていたのかもしれませんね・・。

 


 それにしても、ちょうど見ごろで、桃源郷のようなすばらしい桜でした・・・。


2025年4月9日水曜日

読書・「ユリシーズⅣ」ジェイムズ・ジョイス著    丸谷才一・永川玲二・高松雄一訳           集英社文庫ヘリテージシリーズ

 

 

  4月に入ってから、先日は雪も降り、今年の春は寒のもどりが多かったのですが、フキノトウもだいぶ茎が伸びてきました。



 ユリシーズもついに、最後のⅣになりました。長い読書でしたが、読みにくさと面白さが同居する、不思議な読書体験をした本でした。

 Ⅳの解説は、「巨大な砂時計のくびれの箇所」というタイトルで、丸谷才一さんが白眉のジョイス論を書かれているのですが、読み応えがあり、ジョイスの文学がより深く理解できるように思いました。

 丸谷さんは、ジョイスの文学で重要なのは、「言語遊戯」であり、その例として、「洒落」や「合成語」「造語」「パロディ」や「パスティーシュ」「冗談」「詭弁」「変痴気論」「糞尿譚」「ポルノ」「歌詞の引用」「辞書と競争」「羅列」「目録」「雑学」「ペダントリ」「謎々」「パズル」などをあげられているのですが、これらの単語を羅列してみただけでもジョイスの特異な文学の世界が感じられます。



 わたしは、ジョイスは、かなりの知性と遊びごころで、これらのことを、いままでにない新しい文学の試みとして、思いつく限りの方法で、文字を書き連ねてユリシーズを書いたのだと理解したのですが、丸谷さんはさらにこのように書かれています・・。

・-・-・-・-・

「人類の小説史全体の比喩としての巨大な砂時計の、くびれの箇所に当たるものを、ジョイスは書いた。」 

・-・-・-・-・         引用556p

 ということは、砂時計の上の部分は、いままでの小説、そしてくびれは、ジョイス、その下の部分にあたるのは、ポストジョイスの小説ということで、丸谷さんの比喩は、さすがと納得でした。

 



 プルーストの「失われた時を求めて」を読んだときにも感じたのですが、今回のジョイスの「ユリシーズ」の読後感も、すごい小説を読んでしまった!!!という同じ感想でしたが、わたしにとって、どちらの小説が好きかといえば、やはりプルーストかもしれません。

 ジョイスの本は、プロの読書人のもので、わたしのような本好きの一読者に、新しい読書の喜びの世界を広げてくれたのはプルーストでしたから・・・。