我が家の庭で見つけた小さな秋・・・。
まだ青い「ヤマグリ」の「イガ」ですが、朝のひかりの中でシルバーグリーンに輝いていて、とてもすてきでした・・。
秋のはじめのこの季節になると、わたしの好きな額田王のこの歌がいつも思いだされます。
「君待つと我(わ)が恋ひ居(を)れば我(わ) がやどの簾(すだれ)動かし秋の風吹く」
(四八八 巻四)
額田王が、夫である天智天皇がいらっしゃるのをお待ちしていると、すだれを動かして秋の風が吹いてきますというさりげない歌ですが、額田王の恋の心情が、季節感の中でさらりと歌われていて、光景が目に浮かぶようで、大好きな歌です。
そして、この歌も同じぐらい好きな歌です。
「あかねさす紫野(むらさきの)行き標野(しめの)行き野守(のもり)は見ずや君が袖(そで)振る」
(二○ 巻一)
この歌は、学生時代に国文のA先生が、朗誦してくださったお声がいまでも耳に残っているほどで、あの「あかねさす、むらさきのゆき、しめのゆき」というやさしい語感にも好感を持ったのを思い出します。
標野での狩りのときに、昔の恋人の大海皇子(おおあまのみこ)が、額田王に手を振っているのですが、野守に見られてしまうことを心配しているようです。
袖や手を振るのは、相手を愛していますというジェスチャーで、この野守というのは、大海皇子の兄の天智天皇なのではと、清川さんは、書かれているのが新説かなとおもしろく感じたのですが、わたしは、やはりそのまま野守のほうが自然かなと思うのですが・・。
また、この歌には、大海皇子のこの歌が返されています。
「紫草(むらさき)のにほへる妹(いも)を憎くあらば人妻故(ゆゑ)に我(わ)れ恋ひめやも」
(ニ一 巻一)
紫草のように美しく匂うようなあなたが憎かったら、このように恋いこがれるでしょうかという意味の答歌ですが、わたしには、狩りの夜の宴会のような席で、大人の男女として座興のように昔の恋人に対して、歌った歌にも見えてしまいます。
額田王が、大海王子と恋していたときには、娘まで生れていた仲だったのに、いまでは大海皇子の兄の天武天皇と結婚しており、そのようになってしまったいきさつについては、清川さんもわからないと書かれていますが、それにしても、いろいろと想像してしまうような興味深い二首だと思います。
二人の天皇になった兄弟に愛された額田王の絵は、以前に滋賀県立美術館を訪ねたときに
見て、印象に残っています。安田靫彦さんの描かれた「飛鳥の春の額田王」ですが、その絵からも、やはり彼女は、「美貌と知性に輝いていた人だった」のではと、想像できました。
わたしにとって万葉集といえば、学生時代に国文科で学んだこともある歌集ですが、斎藤茂吉さんの「万葉秀歌」、大岡信さんの「わたしの万葉集」、中西進さんの「万葉集」そして関連本などもあわせると、30冊近くも人生のおりおりに、それぞれに興味を持って、読んできた懐かしい本です。
でも、最近では、この清川妙さんの書かれた「清川妙の万葉集」が読みやすく手に取ることが多くなりました。古本屋さんで求めた装丁の美しい単行本と、読みやすい文庫本の2冊を大事に本箱に置いてあります。
0 件のコメント:
コメントを投稿