☆ひねくれし一枝活けぬ花椿 子規
正岡子規が生涯を終えた家、
根岸にある「子規庵」に行ってきました。
子規は、漢詩・短歌・俳句などをたくさん作っていますが、
これらを、「詩歌」という日本語で表したのは、子規だそうです。
子規の居室
子規は34歳という若さで、脊髄カリエスで亡くなっている
のですが,病床から眺めただろう庭には、いろいろな花が
植えてあったようです。
☆ごてごてと草花植えし子庭かな 子規
わたしが訪ねた日には、菜の花や水仙、フキノトウなどが、
咲いていました。
子規庵の廊下・庭のフキノトウ
ドナルド・キーンさんは、本格的な子規の評伝を
書かれているのですが、最後に子規への評価として
日本人はもちろんのこと、日本以外の国でも
俳句や短歌を作ることが好まれるようになったのは
子規の功績と述べていらっしゃいます。
子規が居室にしていた部屋には、愛用の机のレプリカが
置いてあり、おだやかな春の陽ざしが、ガラス戸越しに
降り注いでいました。
子規庵の縁側からの居室
子規は最後に、こんな句を残しています。
☆糸瓜(へちま)咲て痰(たん)のつまりし仏かな
子規
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