「ひねくれし一枝活けぬ花椿」 子規
正岡子規が生涯を終えた家、根岸にある「子規庵」を訪ねてきました。
子規は、漢詩・短歌・俳句などをたくさん作っていますが、これらを、「詩歌」という日本語で表したのは、子規なのだとか・・・。
子規の居室
子規は34歳という若さで、脊髄カリエスで亡くなっているのですが、病床から眺めただろう庭には、いろいろな花が植えてあったようです。
「ごてごてと草花植えし子庭かな」 子規
わたしが訪ねた日には、菜の花や水仙、フキノトウなどが、咲いていました。
子規庵の廊下・庭のフキノトウ
ドナルド・キーンさんは、本格的な子規の評伝を書かれているのですが、最後に子規への評価として
「日本人はもちろんのこと、日本以外の国でも俳句や短歌を作ることが好まれるようになったのは子規の功績」と述べていらっしゃいます。
子規が居室にしていた部屋には、愛用の机のレプリカが置いてあり、おだやかな春の陽ざしが、ガラス戸越しに降り注いでいました。
子規庵の縁側からの居室
子規は最後に、こんな句を残しています。
「糸瓜(へちま)咲て痰(たん)のつまりし仏かな」
子規
脊髄カリエスのため、動くこともできなかった子規の世界の全部が、この家のこの部屋、そして部屋から見える庭のながめが、彼の全世界だったのだと思うと、彼の胸中がしのばれたのでした・・。





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