2016年10月4日火曜日

プルーストの紅茶にひたしたマドレーヌ!



 先日、知人からマドレーヌをいただきました。

 プルーストの「失われた時を求めて」に出てくる
あのお菓子です。



 
 「失われた時を求めて」の中で、 マドレーヌの場面は、
こんな風に書かれていますので、3人の訳を引用させていただきました。
 ☆井上究一郎訳・ちくま文庫
 ☆鈴木道彦訳・集英社ヘリテージシリーズ
 ☆吉川一義訳・岩波文庫
です。
 
☆井上究一郎訳
「彼女はお菓子をとりにやったが、それは帆立貝の
ほそいみぞのついた貝殻の型に入れられたように見える、
あの小づくりでまるくふとったプチット・マドレーヌと呼ばれる
お菓子の一つだった。」
                  ちくま文庫・1の74p


☆鈴木道彦訳
「母は、「プチット・マドレーヌ」と呼ばれるずんぐりした
お菓子、まるで帆立貝の筋のはいった貝殻で型を
とったように見えるお菓子を一つ、持ってこさせた。」
                集英社ヘリテージシリーズ・1の108p


☆吉川一義訳
「そこで母が持って来させたのは、溝のあるホタテ貝の殻に
入れて焼きあげたような「プチット・マドレーヌ」という
小ぶりのふっくらしたお菓子だった。」
                    岩波文庫・1の111p




 
 このお菓子は、マドレーヌの型と呼ばれている、ほたて貝の
筋の入った型に入れて焼くので、こんなかわいい形を
しているのですが、

 井上さんは「小づくりでまるくふとった」
 鈴木さんは「ずんぐりした」、
 そして
 吉川さんは「小ぶりのふっくらしたお菓子」と、
それぞれ少し違って訳されているのが、おもしろいです。




                 左が表、右がうら

 
 主人公は、ある冬の寒い日に、このプチット・マドレーヌを
お茶にひたして食べるのですが
その時に、あの有名な出来事が起こるのです。


引用してみます。

「突如として、そのとき回想が私にあらわれた。この味覚、
それはマドレーヌの小さなかけらの味覚だった、コンブレーで
日曜日の朝・・・・・・・・・・・
町も庭もともに、私の一杯の紅茶から出てきたのである。」
               井上究一郎訳・1の78p~79p


「そのとき一気に、思い出があらわれた。この味、それは
昔コンブレーで日曜の朝・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

・・・・・・町も庭も、私の一杯のお茶からとび出してきたのだ。」
                鈴木道彦訳1の112p~114p



「すると突然、想い出が私に立ちあらわれた。その味覚は、
マドレーヌの小さなかけらの味で、コンブレーで日曜の朝
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
町も庭も、私のティーカップからあらわれ出たのである。」
                 吉川一義訳1の115p~117p



(・・・・・・・の部分は、長いので文を省略させていただきました。)





 無意志的記憶というのをこのように書いたプルーストのこの挿話は
あまりにも有名です。

 わたしは以前にイリエ・コンブレーのプルーストが滞在した家や
庭を訪ねた時に、近所のお菓子屋さんでマドレーヌを買って
食べたことがあるのですが、もう少し素朴な味だったように記憶しています。





 「失われた時を求めて」という二十世紀の最高傑作と言われている
本を、次々に新訳で読めるのは、幸せです。

 井上究一郎さんの訳の10巻から始まり、鈴木道彦さんの訳の13巻、
そして、いまは吉川一義さんの訳で、読んでいます。

 「読書というのは、自分を読むことだ」とわたしに教えてくれたのは
プルーストだったのだと、マドレーヌを食べながら紅茶を飲み、
しみじみと思いました。




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