2026年8月12日水曜日

読書・「王朝百首」塚本邦雄 講談社文芸文庫     (「花筐」としての本・・・)

 


  オカトラノオという面白い名前の花が咲いています。虎の尾に似ているから名付けられたとのことですが、かわいらしい小さな白い5弁の花が星を集めたようにいっぱいついていて、見るたびにいつも、舞妓さんの「はなかんざし」にしたら、似合うのではないかしらと、思ってしまうのです・・。




  「花筐」という美しい言葉があります。

 花などを入れる籠のことですが、うつくしい和歌を集めて入れた花かごと考えますと、この本はまさに、「花筐」だと思うのです・・。

 塚本邦雄さんが書かれた「王朝百首」は、本箱にある彼の14冊ある本の中では、いちばん多く読んでいる本かもしれません。

 この本の解説を書かれている橋本治さんの文は、何度読み返しても、読み返すたびにいつも、感服してしまうのですが、橋本治さんは、この「王朝百首」は、日本国民必読の書と、断定なさっているのが、彼らしいなあと思ってしまいます・・。

 橋本さんは、もう亡くなられていますが、1974年の12月、26歳のときに、はじめて書店で函入りのこの本を函からだして、ご覧になられ、そのときに、そこにはただ「美しいもの」が、並んでいたとのご感想なのでした・・。



 この「王朝百首」を書かれた塚本邦雄さんは、前衛歌人ですが、「小倉百人一首」に秀歌はないと断定なさり、王朝の和歌の中から、彼の審美眼で選び抜かれた百首を、掲載なさっていて、見事です。

 塚本さんによれば、王朝の和歌は、日本の言葉の「さはやかさ」「あてやかさ」であり、それを現代によみがえらせたいという趣旨でこの「王朝百首」という詞華集を編まれたとのことです・・。


わたしが一番好きな歌人の式子内親王の和歌からは、2首選ばれています。

  「盃に春のなみだをそそぎけるむかしに似たる旅のまどゐに」     式子内親王

  「ほととぎすそのかみ山のたびまくらほのかたらひし空ぞ忘れぬ」   式子内親王

定家からは、

  「移香(うつりが)の身にしむばかりちぎるとて扇の風の行方たづねむ」  藤原定家

そして、塚本さんの最愛の歌人とおっしゃる、藤原良経の和歌からはこの2首です。

  「あすよりは志賀の花園まれにだにたれかはとはむ春のふるさと」    藤原良経

  「さびしさや思ひ弱ると月見ればこころの底ぞ秋深くなる」       藤原良経


 美しい和歌を集めて入れた花かごである「花筐」という言葉がぴったりの本だと改めて思ったのでした・・。



 

 

 

2026年7月25日土曜日

読書・「プルーストへの扉」ファニー・ピション著 高遠弘美訳 白水社  (再読・・・)

 

 先日、梅雨が開け、ようやく高原にも本格的な夏がきました。夏の花は、何といってもヤマユリがプリンセスですが、今年は蕾をつけたままの1メートルを超すたくさんのヤマユリの球根がイノシシに食べられてしまったのです・・。散歩道や公園の道がわのへりにそって無数の掘られた穴の跡があり、根元の茎をかじられてしまったヤマユリが蕾をつけたまま、残っているのを見るのは辛く、とても残念でした。

 下の写真は7月20日の海の日の朝に咲いたばかりのヤマユリです。厳しい自然環境のなか、健気に咲く姿には、元気をもらえうれしくなったのでした・・。




 高遠弘美さん訳の「プルーストへの扉」を、再読しました。最初に読んだ感想をこのブログに書いたのは、2022年の8月30日でしたが、第一冊の発行が2021年の2月ですので、まだ新刊のころに購入した本でした。

 今回、気づいたのは、後ろの「本書に登場する固有名詞索引」と写真入りの「プルースト関連年表」そして、くわしい「文献目録」があることでしたが、翻訳者の高遠弘美さんの読者に対する親切心から書かれたのだと思いました。

 再読してみると、この本は、学術書とは違いきわめて平易に書かれていて、読みやすく、それでいて、内容が濃く、著者のピションさんは、パリ高等師範学校をご卒業なさってから、現在もリセで、教鞭をとられているということなので、納得でした。

 ピションさんは、ランボーについても、この本と同じシリーズで本を出版なさっているとのことなので、翻訳されれば、是非読んでみたい本です。


 

 今回の読書で、いちばんこころに残ったのは、「人生の至高の価値は藝術のうちにある」ということを、プルーストは作品の中で語っているということでした。

 音楽や絵画は、芸術家の深い内面を表現しており、事物に対するあたらしい視点を表現してくれている。

 そしてあの有名なプルーストの言葉である「ほんとうの旅とは新しい風景を見に行くことではなく、自分とは異なる眼を持つこと・・」

 それをわしたちに可能にしてくれるのは、絵画や音楽などの「芸術家」である・・。

 ピションさんは、プルーストはそういう確信をもっていたので、語り手が小説の最後で、自分も芸術家として言葉で表現する作家になるという決意を示したのだと、語られています。

 プルーストが最後に「書くこと」を決心したのは、彼が藝術家をとても愛していたからだとも・・。

 

 


2026年7月16日木曜日

読書・「源氏物語の世界」中村真一郎著 新潮選書         再読(プルーストの文学との接点・・)

 


 先日、雨上がりに散歩していますと、タケニグサの大きな葉っぱの上に、雨粒が水晶玉のように、一瞬きらりと光って見えました。

  よく見るとまわりの世界が映っていて、まるで清らかなこころが宿っているようにも見えたのですが、このようにきれいなこころで、まわりの世界を見ることができたらすてきだろうなあと、ひそかに思ったのでした・・。



 中村真一郎さんが書かれた「源氏物語の世界」を、再読しました。前回読んだのは、2022年5月11日で、このブログにも感想を書いています。

 今回もやはりいちばん心に残ったのは、プルーストとの接点でしたが、どうして「源氏物語」が、世界の文学的遺産となったのかという考察も、再確認したのでした。

 1920年代のイギリスでは、世界の知的中心のひとつとして、ブルームズベリーというグループがあり、小説家のE・M・フォースーや、ヴァージニア・ウルフなどがメンバーだったとのこと。

 彼らは、ジョイスとプルーストを、文学界に紹介しているのですが、同時期に、アーサー・ウェイレーの翻訳した源氏物語も、プルーストなどと同じ等質の文学として、紹介されたとのことでした。

 中村真一郎さんによれば、ウェイレーの源氏物語の英語の翻訳は、知的で優雅で凝っており、まさにブルームズベリー的とのことですが、わたしも彼の英訳の冒頭を読んでエレガントだと感じたのを思い出します。



 また、中村真一郎さんは、紫式部の「源氏物語」と、プルーストの「失われた時を求めて」の共通点として以下の4つを挙げられていました。

1・人間のこころの奥へ照明をあたえた。

2・美に対する繊細な趣味。

3・時間に対する形而上学的な重要さ。

4・社交的な生活への興味。 

 わたしもこの4つは、なるほどと納得したのですが、さすが、フランス文学と、源氏物語に造詣が深いご高察だと思ったのでした。

 さらに、中村さんは、ブルームズベリーのグループから、「プルーストは新しい文学として」、「源氏物語は、新しい古典として」認識され、世界文学のなかに登場したのだとも、述べられています。

 この本は、源氏物語を再読し、再確認するようにも、楽しく読むことができたのですが、さらには、源氏物語がいかにして、世界の文学の古典として認知されるようになったのかや、プルーストの文学との接点まで知ることができた、忘れがたい一冊になったのでした・・。

 


 

2026年7月3日金曜日

読書・「フランス文学者の誕生 マラルメへの旅」鈴木道彦著 筑摩書房 (世界は一冊の美しい書物に近づくべく出来ている・・)  

 

 昨日、散歩していましたら、まだノイバラが咲き残っていました。このブログにも数回写真を載せていますが、今年のノイバラです。

 つぼみは、ほんのり紅がさしていていつものようにかわいいのですが、花びらが一枚、「ハート形」になっていてサプライズでした。

 ちいさな自然の驚きは、いつもわたしの心をあたたかくしてくれるのですが、遠い時代に生きた文学者の方々のことも、なぜかなつかしく思われるのでした・・。



 鈴木道彦さんが書かれた「フランス文学者の誕生 マラルメへの旅」を、読みました。

 鈴木道彦さんは、プルーストの「失われた時を求めて」を井上究一郎さんに続いて2度目に個人全訳なさった方ですが、この本は、彼の父である鈴木信太郎さんについての評伝で、「鈴木信太郎さんは、いかにしてフランス文学者になったのか」ということが書かれています。

 鈴木信太郎さんは、1895年(明治28年)に地主と米問屋という恵まれた資産家の総領として誕生なさっています。そして、当時は、このことが「フランス文学者の誕生」にとっての大事な下地になられたのだということが、理解できました。

 事実、後に東大仏文科をいっしょに活性化なさった辰野隆さん、山田環樹さんも恵まれた資産家のご子息だったとか。(余談ですが、山田環樹さんの最初の妻だった森茉莉さんのエッセイで、パリでの生活のことや、辰野さんのお名前も出てくるのを読んだことがあります。)

 信太郎さんは、1925年30歳のとき、パリに私費で留学なさっているのですが、そのときには、芝居を観ること。本を買うこと。そして中世のフランス語を勉強するという3つのことに熱心にとりくまれた優雅な生活だったようです。

 帰国後にそのときに購入なさった貴重な本などを入れる鉄筋コンクリートの書斎を作られたようですが、第二次世界大戦の戦禍のときにも本は、無事だったとのこと。




  戦前から戦後にかけて東大仏文科の卒業生として、中村光夫さん、寺田透さん、森有正さん、吉田秀和さんがいらっしゃり、そして、辰野隆さんが小林英雄さんと三好達治さんのことを「日本一の評論家と詩人」と評されたことなどもあり、信太郎さんにとっても卒業生たちが自慢だったのだとか・・。

 わたしも吉田秀和さんの本は、読んでいますし、彼のファンでもありますが、それにしても、きら星のような方々が、日本の文化に貢献なさっているのだと実感します。

 さらに、道彦さんは、「ご自分に近いところで」として、卒業名簿に昭和16年(1941年)の卒業の中村真一郎さん、福永武彦さん、昭和18年には白井健三郎さんのお名前があることに注目なさり、医学部だった加藤周一さんも東大仏文科の研究室には絶えず出入りなさっており、戦後に華々しくデビューの「マチネ・ポエチック」を生む土壌にも、仏文科はなったのではと、推論なさっています。

 道彦さんは、中村真一郎さんのことを多く語られており、卒業のときの信太郎さんとのエピソードなどは、とくにおもしろく読みました。  

 中村真一郎さんは卒業の直前になって、一単位が足りないことに気づかれ、レポートで単位のとれるシナ文学科の「古詩源」の演習のレポート提出のアドバイスを、信太郎さんに求められたそうです。信太郎さんは、ヴァレリーの序文のついた陶淵明の仏訳豪華本を取り出して中村さんに読ませ、仏訳を原文と比較しながら、おふたりでレポートを完成し、見事に翌日の提出日まで間に合ったのだとか・・。

 信太郎さんは、1945年に「ステファン・マラルメ詩集 考」で文学博士の学位を取得なさったとのことです。

 書斎には彼のデザインの5枚のステンドグラスにまたがる形で、マラルメのあの有名な

        「世界は一冊の美しい書物に近づくべく出来ている」

 という文字がフランス語で記されているとのことです・・。

 



※鈴木道彦さんは、この本を80歳を過ぎてから書かれています。父の信太郎さんの書斎のある旧居を豊島区に有形文化財として、寄付なさっていますので、そこを訪ねる方のために、鈴木家の歴史を書き残しておきたいとのご趣旨でこの本を書かれたとのことでした・・。


2026年6月15日月曜日

読書・「プルーストによる人生改善法」アラン・ド・ボトン著・畔柳和代訳 白水社 (プルーストするとは・・)

 

 雨の日が多いこの季節になりますと、コアジサイのさわやかな香りが漂ってくるようになりました。 コアジサイに香りがあるのを知ったのは数年前ですが、梅雨の季節のうれしい発見でした。 花の色も薄水色でさわやか・・。 まるで、サイダーの泡がプチプチと、はじけたようで見ていると気分も明るくなりそうです・・。



 アラン・ド・ボトンさんが書かれた「プルーストによる人生改善法」を、再読しました。 最初に読んだのは、2018年の1月29日で、このブログにも感想をアップしています。

 今回、おもしろいと思ったのは、第六章の「よき友になる方法」で、その中の「プルーストする」という動詞についての著者の考察がユニークなのでした。

 著者によれば、「プルーストする」とは、プルーストの友人たちが、仲間内で創造した言葉のことで、「プルーストが良き友人を得るために、相手に高価なプレゼントや、お世辞の誉め言葉を浴びせていた」という行為を指していたようです・・。 

 その典型的な例として、ロール・エイマンという有名な高級娼婦、そしてもうひとりは、詩人で小説家のアンナ・ド・ノアイユをあげているのですが、もちろん彼女たちは「プルーストにプルーストされ」、プルーストの友人になったのでした。 

  わたしは、このプルーストするという行為の裏には、彼女たちとの交流を通じてあたたかい愛情や親切心などの、人間としての「ぬくもり」が欲しかったというプルーストの切実な気持ちがよく表れているようにも思ったのですが・・。 

 アランさんは、この行為を分析し、プルーストはあまりにも繊細に「プルーストした人生」を生きたので、その解毒剤として、「失われた時を求めて」を、書いたのではとの結論で、パロディとしてしめくくっていることに、クスリとしたのでした。



 そもそも、「失われた時を求めて」のような小説を書くプルーストが、人間観察や心理分析に長けていたのは自明て、「友情をあざ笑う人々は・・・・世界で一番立派な友人になりうる」。 と、言ったとか・・。

 わたしは、ラ・ロシュフコーの書いた「箴言集」を、思い出してしまったのですが、フランス文学とは、このようなものだという白眉のような「失われた時を求めて」は、アランさんのような現代の哲学者にとっても、料理するのには、おもしろい素材がいっぱいある作品なのだと実感した読書でした。 



 

2026年6月5日金曜日

読書・「『失われた時を求めて』への招待」吉川一義著 岩波新書 (吉川一義さんのプルースト研究の清華の1冊・・)

 

 6月に入り、散歩道や庭などに、ニガナが次々に咲くようになりました。ニガナの花びらは5枚ですが、花びらが7~12枚もあるのがハナニガナです。花びらが白いシロバナニガナもときどき見かけます。茎を切ると、粘り気のある乳液がでてくるのですが、この乳液をなめると苦いので、この名前が付いたとのこと。ニガナはゆでると少し苦いのですが、食べられるそうです・・。

 茎は細くて長いので、少しの微風にもゆらゆらと揺れ、蝶が舞っているようにも見える、愛おしい花です。

 



  「『失われた時を求めて』への招待」を、再読しました・・。

 著者の吉川一義さんは、「失われた時を求めて」の翻訳者でもありますが、わたしはこの本を、立教大学で開かれていた「新訳でプルーストを読む」というセミナーに参加して、全巻読了したというなつかしい思い出があります。

 最後の14巻が発行されたのは、2019年の11月15日で、わたしが最後の14巻を読了したのは、2019年の11月29日でした。吉川さんは、ほぼ10年かけて翻訳なさったとのことですが、彼の講演をお聞きしたときに、「毎日、翻訳のため机に向かうのが、日課だった」とおっしゃっていた真摯なお姿が、とても印象に残っています。

 吉川一義さんの「失われた時を求めて」の岩波文庫版の翻訳は、端正で正確、図版も多く、注が、同じページ内にあるのも読みやすく、最後の14巻には、人名や地名、作品名が、網羅されて載っているのも、好感を持ちました・・。



 吉川一義さんは、「プルースト美術館」や「プルーストの世界を読む」「プルーストと絵画」などの著書もあるプルースト研究者ですが、この「『失われた時を求めて』への招待」という本は、まさに彼の研究の清華であるプルーストの本の核心を、書かれているように思いました・・。

 本の帯には、

・-・-・-・

「ついに発見された人生・・・それが文学である」-プルースト

        ・-・-・-・

と、書かれているのですが、この言葉の意味が、くわしく本文で説明されています。

 彼は、あとがきで「プルーストの小説の大きな魅力は、登場人物たちの実に滑稽な言動にあるので、読者がみずから発見して楽しんでほしい」とも、書かれているのですが、わたしも楽しんで読んでいますから、共感でした。

 本の最後に、「プルーストとその作品に関する近年の主要な文献」がくわしく載っているのも、好感を持ちました。わたしのようなプルーストファンにとっては、ここを読むだけでも十分に楽しめますので・・。

 吉川一義さんの長年のプルースト研究の精華がよくわかる本で、このような本を書いていただいたことに、感謝した読書でした・・。

 この本は、2021年6月に第1刷が発行されています。

 


 

2026年5月30日土曜日

読書・「プルーストからコレットへ いかにして風俗小説を読むか」工藤庸子著 中公新書   (プルーストからコレットへの手紙・・)

 


 ユキザサが散歩道で咲いています。葉が笹のようで、白い小さな花が雪のように見えることから「ユキザサ」という名前がつけられたようですが、同じ場所に群れて咲いているのを遠くから見ると、やはり雪がふわっと積もっているようにも見えます・・。

 よく見ると、小さな6枚の白い花びらが、それぞれ、くっきりと、ひろがっていて、まるで線香花火の火花がパチパチとはじけるようにも見え、元気をもらえる花です・・。



 
 工藤庸子さんが書かれた「プルーストからコレットへ いかにして風俗小説を読むか」1991年5月発行を、再読しました。最初に、この本を読んだ後、工藤庸子さんが翻訳なさったコレットの本、「シェリ」「シェリの最後」「牝猫」「わたしの修業時代」などを、次々に読んだのを思い出します。

 「シェリ」や「シェリの最後」などは、岩波書店から1994年に第1刷発行されているのですが、「コレット」という映画が2019年に全国ロードショーされたのにあわせて、2019年にも コレットの本が新しく発売されたようでした。「シェリの最後」と「牝猫」の本の帯に、この映画の主人公のコレット役のキーラ・ナイトレイの写真が印刷されていましたから・・。

 ベル・エポックのパリで、独特の才能を咲かせたコレットという作家は、やはり現代でも、映画にもなるほど魅力的な女性だったようです。

 工藤さんは、ベルエポックという同時代に生きた、フランスの二人の作家、プルースト」とコレットを、「風俗」という独自の視点から語られているのがこの本です・・。(プルーストは、1871年生まれで、コレットは1873年生まれ)




 この本でわたしがいちばん興味を持ちこころに残ったのは、プルーストが1919年にコレットに送ったという「一通の手紙」でした。

 「マダム、もう久しくなかったことですが、今夜はちょっと泣きました。」

 で始まるプルーストのこの手紙は、コレットの作品の中の「踊り子ミツゥ」の手紙が涙するほど美しかったということ・・。コレットのことを「貴方のような大作家」と呼びかけ、そして最後には、「敬意と称賛の念」を捧げたいとまで書いています・・。

 この手紙を出した同じ年の1919年には、プルーストはゴンクール賞を、「花咲く乙女たちのかげに」で受賞し、翌年1920年にはコレットは代表作「シェリ」を書き、1920年には、ふたりそろって、「レジオン・ドヌール勲章」を授与されています。
 
 コレットはまた、1920年に、アンドレ・ジッドからも、「シェリ」の作品への賛辞の手紙を受け取っていたとのことで、その全文も引用されていました。

 プルーストやアンドレ・ジッドから、作品への称賛の手紙を受け取ったコレットは、やはり魅力のある文学者だったのだと実感します。

 そもそも、工藤さんがコレットに注目なさるようになったのは、彼女が敬愛なさっていた篠田一士先生の言葉「コレットはプルーストより難解です」が、魅力的な課題となられたと「序」に書かれています。

 そしてさらに、
・-・-・-・
「コレットが本当に味読できるか、できないかは、フランス文学といわず、フランス的感受性そのものの理解の試金石のひとつになるうるのではないかとまで考えている」
                ・-・-・-・引用4p

 という「ヨーロッパの批評言語」に書かれた篠田先生の言葉の引用も、含蓄がありました・・。

 工藤さんは、長年の課題であった「プルーストはコレットよりも難解」という篠田先生のことばの宿題として、風俗という視点から、二人の文学を語りたいというのが、この本を書かれる動機にもなったのだと、実感したのでした・・。

 でも、わたしは、何よりもこの本で、プルーストのコレットに送った手紙から、彼のコレットの文学に対するすてきな感受性を知ったということが、大きな収穫でした・・。

 
 






2026年5月18日月曜日

読書・「プルーストの花園」マルト・スガン・フォント編・画 鈴木道彦訳 (キンポウゲは、オリエントの詩的輝きを込めている花・・)

 

 キンポウゲが、あちこちで咲いているのを見かけます。この花は「ウマノアシガタ」という名前が正しく、「キンポウゲ」は別名で、八重咲きをさす名前だったとか・・。

 かわいいピカピカ光る5枚の花びらが長い茎の先で、かすかな風にも揺れて咲いているのを見るのは、初夏の訪れを告げているようで、こころがなごみます。



 この花は、プルーストの「失われた時を求めて」にも出てくる花で、わたしはキンポウゲが出てくる場面が大好きです・・。

 「プルーストの花園」というマルト・スガン・フォントさんが描かれたプルーストの本に出てくる花の絵を集めた本があるのですが、もちろん、キンポウゲも載っています。

 花の絵に添えられているプルーストの本文を読んでみると、この花のルーツはヨーロッパではなく東洋にあるのではと思い、学名を調べてみましたら、キンポウゲ科・キンポウゲ属で「Ranunculus Japonicus」と書いてありました。

 この「Ranunculus Japonicus」は、東アジアに広く自生しているとのことで、やはりルーツは東アジアのようで日本でも全国に広く分布しているとのこと・・。

 わたしが子供のころ、この花は毒があるので、さわらないようにと言われていたのを、思い出し手持ちの図鑑で確かめてみましたら、やはり毒があるとのことで、こんな句が添えられていました。「毒持ちて花美しき金鳳花」寿山淑水



 プルーストは、キンポウゲのことをこんな風に描いています。「プルーストの花園」から鈴木道彦さんの訳の引用です。

・-・-・-・-・

   キンポウゲ

   Boutons  d'or

  キンポウゲは、草の上で遊ぶために大挙してこの場所にやってきたのか、ひとり離れていたり、対になったり、群れをなしたりしながら、大変な数に上っており、それが卵の黄身のように真っ黄色で、しかも卵の黄身よりいっそう輝いているように見えた。というのもこの黄身は、視覚の喜びを与えはするが、それをこっそりなめてみようといった誘惑は起り得ないので、私はキンポウゲの黄金色の表面にただ視覚の喜びのみを積み上げてゆき、ついにそれは無用な美を作りあげるほどに強力になっていったからだ。そしてこれはごく幼いころからそうだった。そのころ私は、曳船の小径からキンポウゲに向かって手をさし出していたけれども、フランスのお伽噺の王子のように可愛らしいこのキンポウゲという名前も、まだ完全には綴れはしなかったのである。この花たちは、たぶん何世紀も前にアジアから渡ってきて、永久にこの村に住みつき、ささやかな地平線に満足し、太陽と水のほとりを愛し、汽車の駅のつつましい眺めをいつまでも見捨てることなく、しかもその庶民的な単純さのなかに、まるでフランスのある種の古い油絵のように、東方(オリエント)の詩的輝きをこめているのだった。

      スワン家の方へ Ⅰ

・-・-・-・-・-・-・   引用104p

 


 わたしは、このキンポウゲが、ロンドンの運河のほとりの原っぱに一面に咲いているのを見たことがあるのを思い出したのですが、プルーストが見たのも、やはり水のほとりの曳船の小径だったようです。

 英国では、このピカピカと光る花びらのことからか、バターカップと呼ばれていましたが、フランスでは、Boutons  d'or 金色のボタン なのですね。

 プルーストは、キンポウゲのことを「フランスのお伽噺の王子のように可愛らしい名前・・」と言っていますが、サン=テグジュペリの描く金色の髪の「星の王子さま」の姿を思い出してしまいました。

 また、キンポウゲは、「オリエントの詩的輝きをこめている」とも言っていますが、さすがプルースト、すてきな言葉です・・。

 毎年、初夏のこの季節に咲くキンポウゲを見ると、いつもプルーストの花だと思ってしまうのでした・・。






2026年5月15日金曜日

読書・「プルーストの部屋」『失われた時を求めて』を読む(上・下) 海野弘著 中公文庫 (アルベルチーヌのフォルチュニーのドレス) 

 


 チゴユリが、林の下で咲き始めました。チゴユリは、名前につく「稚児」のように小さな白い可愛い花です。この花を最初に見たときには、何とかわいらしい花だと、いっぺんに好きになったのを思い出します。小さくて白い花が大好きですから・・。



 海野弘さんが、書かれた「プルーストの部屋」上・下の2冊を久しぶりに再読しました。この本は、2002年1月に初版と書かれていますので、もう20年以上も前にプルーストと並行して読んだことを、懐かしく思い出すのですが、本箱の中で、もうすっかりセピア色になっていました。

(海野さんの本は、このほかに本箱には「プルーストの浜辺」や「パリの手帖」などの単行本が2冊もあったのですが、これらは以前に古本屋さんで購入して読んだようです。)

 海野さんは、「アール・ヌーボーの世界」などの本も書かれ、プルーストが生活していた時代の専門家でもあり、当時のパリの様子や室内装飾、ファッションなど、風俗史、美術史、演劇史などの面から「失われた時を求めて」の世界を描かれていて、興味深く読むことができました。

   上の巻では、「スワンの恋」に出てくる、スワンやオデットという名前から、世紀末のアール・ヌーボーの世界は、白鳥の首の曲線を好み、また、白鳥は、「時」の象徴であることなどから、海野さんは

・-・-・-・

「失われた時を求めて」のテーマを象徴する「時」の物語として、プルーストは「スワンの恋」を置いたのではなかったろうか。

・-・-・-・  引用37p

 と、推論なさっていますが、このような彼の視点は、おもしろいと思いました・・。



 また、この「プルーストの部屋」では、多くのページに何度も、恋人のアルベルチーヌのために作ったフォルチュニーのドレスの話が出てきますが、このフォルチュニーのドレスのデザイン展が日本で2019年に開催されたときに見に行ったのを思い出します。

 「マリアノ・フォルチュニ織りなすデザイン展」というタイトルで東京の三菱一号美術館で開かれていたのですが、その時のことは、このブログの2019年7月30日にアップしています。

 「失われた時を求めて」は、このようにプルーストの世界を、ファッションなどの面からも多面的に楽しめる魅力を持っており、わたしのような読者には、うれしく思います。

 この本は、「マリ・クレール」という雑誌に写真いりで連載されていたものを、単行本化し、その後に文庫化されたとのこと・・。著者の海野さんは、長年アール・ヌーボーの研究をなさっていたことから、プルーストの生きた時代を、より視覚的、具体的に興味深く描かれており、「失われた時を求めて」の世界を、もう一度楽しく読み直すことができたのでした・・。








2026年5月5日火曜日

読書・「寝る前5分のモンテーニュ「エセー」入門」 アントワーヌ・コンパニョン著 山上浩嗣・宮下志朗訳 白水社


 先日、林の下にひっそりと咲く、「ヒトリシズカ」を見つけました。「ヒトリシズカ」は、「一人静」と書き、あの義経の恋人だった静御前の白拍子の姿が語源とのこと。4枚の葉の中央に、糸のような真っ白の花が咲く風情は、いつもさみしそうな花だと思ってしまうのは、わたしだけでしょうか・・。



 「寝る前5分のモンテーニュ」を、読みました。著者のアントワーヌ・コンパニョンさんは、プルーストやモンテーニュなどの専門家で、フランス文学者です。

 実はアントワーヌさんには、2021年5月15日と16日に、オンラインで開催された日仏シンポジウム「プルーストー文学と諸芸」に参加させていただいたときに、フランスからライブ映像で、講師のおひとりとしてお目にかかっています。

 また、アントワーヌ・コンパニョンさんが著者のおひとりの「プルーストと過ごす夏」という本も読んでいるので、この本は彼の著書の2冊目になります。どちらも、フランスではベストセラーということで、人気の本だとか・・。



 ところで、この本は、モンテーニュの入門書として、フランスのラジオ番組のために書かれた5分のシナリオを書籍化したとのことで、40章のひとつひとつが短く読みやすく、「エセー」のエッセンスを上手にまとめていらっしゃると思いました。

 モンテーニュは、父の方針で言葉を話し始めるころからラテン語の教師をつけてラテン語をフランス語よりも先に覚えさせられたとのことですが、この「エセー」をラテン語ではなく、フランス語で書いたのは、彼の想定する読者の言語であったからとのこと。

 また、彼は、父が建てた現存する丸い塔の中で、できるだけ長い時間を過ごし、読書や思索、そして執筆のために閉じこもったとのことですが、その塔の中にある図書室は、家事や公的生活からの避難場所でもあったのだとか・・。

 彼はこの本で、自分のことのみ書いて思索していますが、膨大な読書の結果、クセジュ 自分は何を知っているのか?(何も知っていない・・)という言葉を残しています。賢明なる無知のことで、知の無限さを感じさせるようで好きな言葉です。

 この「エセー」についてモンテーニュは、こんな風にも書いています。

・-・-・-・

 わたしがこの書物を作ったというよりも、むしろ、この書物がわたしを作ったのである。これはその著者と実体を同じくする書物である。 

・-・-・-・  引用90p

 この本は、モンテーニュの「エセー」の入門書ですが、短い40章の部分、部分が、大著「エセー」のエッセンスになっており、楽しんで味わって何度でも読み直したくなる本になっていると思ったのでした・・。



 

2026年4月20日月曜日

読書・「プルースト 読書の喜び」わたしの好きな名場面 保苅瑞穂著 筑摩書房 (3度目の読書・・こころに残るりんごの花の光景の描写・・)

 

 散歩をしていると、あちこち、いたるところに、タチツボスミレが咲いているのをみかけるようになりました。このタチツボスミレは、春一番に咲く可憐な花ですが、スミレの仲間では、いちばん多く見られる庶民的な花です。

    ♪菫程な小さき人に生まれたし   漱石

 私の好きな漱石の俳句ですが、この句のスミレは、タチツボスミレのように思えてなりません・・。




 保苅瑞穂さんの著書の「プルースト 読書の喜び」を、読みました。良い本は何度読んでも楽しめますが、今回は3度目です。(このブログでは、2020年8月9日、2023年3月21日に感想をアップしています。)

 というわけで、この本は、無性にプルーストの名場面が読みたくなったときに読む愛読書になっています。

 今回は、「Ⅶ 春の驟雨ー井上究一郎先生に」という章が心に残りました。

 わたしは、井上究一郎さんを、日本でプルーストの個人全訳を最初になさった方で、とても尊敬しているのですが、保苅さんにとっても、尊敬なさっている先生だったようです。(お二人ともに東大の仏文とのこと・・)

 保苅瑞穂さんが、井上究一郎先生に捧げるこの章は、春の驟雨という題もついているのですが、バルベックに咲くりんごの花の光景の描写がとてもすてきなのです。


      


 わたしもこの場面は以前からずっと好きでした。

 ノルマンディの青い海と、青い空を背景に、うすべにをさしたような白いりんごの花が、かがやくように咲いているところにアオガラが飛んできて、花のあいだを飛び回る光景は、いつも目に浮かぶように鮮やかに感じられるのでした・・。

 (わたしはいつも、なぜかこの場面では、ゴッホが弟のテオに息子が産まれたときに贈ったという絵を思い出してしまうのですが、それは、空のブルーを背景にして、アーモンドの木に咲く白い花が画面一面に輝いて咲いている絵です。)

 プルーストは、その光景が涙がでるほど感動的だったのは、フランスの農夫がフランスの広い街道に立っているのと同じように、野原の真ん中に立っているのが感じられたからとのこと・・。

 ノルマンディの大地にしっかりと根を下ろし、海と空の青を背景に咲いている白いりんごの花、そのまぶしいばかりに感動的な光景は、すてきです。

 そしてその光景は、まるで記憶の中の絵のように、読み返すたびにいつもわたしの脳裏に浮かんでくるのでした・・。






2026年4月10日金曜日

読書・「ユルスナールの靴」須賀敦子著・河出文庫 (再読・・)

  

 4月に入り、散歩していると「ホーホケキョ」というお馴染みのウグイスの鳴き声が、聞こえるようになりました。のどかですてきなBGMです・・。

 ウグイスの声が聞こえるようになると、ピンクの小さなかわいらしい「ミヤマウグイスカグラ」が、咲き始めます。初夏には、真っ赤な実をつけるのですが、甘いということです。



 須賀敦子さんの書かれた「ユルスナールの靴」を、再読しました。以前にもこのブログにアップしているので、2度目です。

 この本は、須賀さんの生前の最後の著作で、1996年10月に単行本として出されたようですが、わたしは、文庫本で読みました。

 本の最初に、プロローグとして、「きっちり足に合った靴さえあれば、どこまでも歩いていけるはずだが、そういう靴に出会わなかったことを不幸に思い、生きてきたような気がする」という意味のことを、書かれています。

 ですので、わたしには、須賀さんはこの本で、ご自分の足にきっちりと合った靴を探すため、ユルスナールの足跡をたどられたようにも思えてきます・・。

 ユルスナールの著作のことを、「強靭な知性にささえられた、古典的な香気を放つ文体」と書かれ、長年、魅了されてきたとのことですから。

 この本のあとがきで、須賀さんはこのように書かれています。

 ユルスナールのあとについて歩くような文章を書いてみたい。

 また、須賀さんが長い年月暮らされたヨーロッパとヨーロッパ人についての報告書でもあるとも・・。

 そして、究極的には、作品をたのしみ、著者であるユルスナールに興味を持たれて、ユルスナールが晩年暮らしたマウント・デザート島にまで、足を運ばれているのでした。



 須賀さんが、それほど魅了されたユルスナールですが、わたしもベルギーのアントワープに住んでいたときに、親しくなった知的な女性の大家さんから、ユルスナールの本の魅力について、教えていただいたことがあるのを思い出します。

 彼女はとてもユルスナールを誇りに思っているようで、著作を是非読むようにと、強く薦めてくださったのでした。ユルスナールは1980年にフランスで女性初のアカデミー・フランセーズの会員に選ばれています。

 須賀さんは、このようなヨーロッパの知性を代表するようなユルスナールの足跡を追うことにより、ご自分の文学を確立なさりたかったのかなと、いまはしみじみと思います・・・。

 この本が最後の著作になってしまわれたのは、ほんとうに残念でなりません。



(ユルスナールがパートナーと住んだマウント・デザート島の家は、記念館になっていて、PCの公式画像でも見ることができ、緑に囲まれた真っ白のすてきな家でした。)

 

2026年4月8日水曜日

音楽・思い出のタンホイザー序曲・・・(J-WAVE TOKYO MORNING RADIO)

 


 スプリングエフェメラル(春の妖精)と呼ばれる、大好きな白のキクザキイチゲが、いつもの場所で咲いていました。この花は、うすむらさき色もあるのですが、わたしはやはり白が好きです。




 今朝4月8日の朝の8時過ぎに、朝食の準備をしながらJ-WAVEのTOKYO MORNING RADIOを聞いていましたら、突然、あの懐かしい思い出の曲「タンホイザー序曲」が、流れてきました・・・。

 ワーグナーのオペラ「タンホイザー」の序曲です。この曲を初めて聴いたのは、すばらしい音響のアムステルダム・コンセルトヘボウでした。

 曲がはじまったときからすでに、体が硬直したような状態になり、あのヒュンヒュンヒュンヒュンという独特の弦楽器の音が流れてくると、涙さえ出てきたのでした・・。

 わたしにとっては、生涯で唯一無二の音楽体験と言っていい出来事でしたので、そのときのことは、いまでもはっきりと覚えています。

 まるで、ワーグナーの音楽の魔力にでもかかってしまったかのようでした・・。

 多分、この経験は一生忘れないだろうと思ったことも・・。




 当時のアムステルダム・コンセルトヘボウ管弦楽団の常任指揮者は、リッカルド・シャイーだったと思うのですが、すばらしい演奏でした。

 そのころは、ベルギーのアントワープに住んでいたのですが、チケットも電話ですぐにとれ、車で1時間ぐらいで行けたと記憶しています。

 ところで、今朝わたしが聞いたFMラジオの番組は、J-WAVE・別所哲也さんの、「TOKYO MORNING RADIO」でしたが、この曲は、「MORNING CLASSIC」のクラシック・ソムリエの田中泰さんが、選曲なさっていました。

 たしか、今朝の「タンホイザー序曲」の演奏は、メトロポリタン管弦楽団で指揮は、ジェイムズ・レバインさんだったと記憶しているのですが・・。

 ゆったりとした、丁寧で重厚感のあるクラシカルな演奏でした。

 別所さんのこのラジオ番組はときどき聴いているのですが、なつかしい思い出の曲を流してくださったことに、感謝します。

 きょうは、一日中、散歩のときも「タンホイザー序曲」のメロディが、頭の中でながれていました・・・。





2026年4月3日金曜日

読書・「コルシア書店の仲間たち」須賀敦子著 文春文庫 (人生ほど、生きる疲れを癒してくれるものはない)

 


  冬鳥のシメが、数日前から我が家のエサ台に陣取っています。くりくりしたするどい目と、硬い実を割ることもできる口ばしでヒマワリの種をくわえ、まるで辺りをヘイゲイしているかのよう・・。

 シメがいると、いつも来ているシジューカラやヤマガラは、見かけなくなるのですが、もうすぐ、北のシベリア方面に戻っていくようです・・。



 久しぶりに、須賀敦子さんが書かれた「コルシア書店の仲間たち」を、読みました。須賀さんの本は、20年以上も前に、本好きの方におもしろいからと、教えていただいて読んだのですが、やはりわたしも好きになり、いまでは全集まで揃えているほどです。

 久しぶりに読む須賀さんの本は、やはりおもしろく、2日で読んでしまいました。

 解説を書かれている松山巌さんは、この本を読み終えたあと感動なさり涙がこぼれおちたということですが、彼の人生ともシンクロなさるものがあったから・・と想像しました。

 須賀さんは、ミラノのコルシア・ディ・セルヴィ書店で出会った人々の思い出を、ひとりひとり、魅力的に描かれていて、すてきです。

 最初は、「テレーサおばさま」と呼ばれていた書店のパトロンのような存在のツィア・テレーサ、そしてこの書店をはじめたダヴィデ・マリア・トゥロルド神父(詩人でもある)をはじめ書店の仲間や友人たち・・・その中には、須賀さんが結婚なさったペッピーノさんもいました。

 須賀さんは、二十代から三十代にかけて、カトリック左派の共同体を仲間といっしょに夢みたこのコルシア書店の物語を、帰国なさった30年後に書かれているのでした・・。


 「人生ほど、生きる疲れを癒してくれるものはない・・・」本の帯に書いてある言葉です。

 生きることに疲れたとき、その疲れを癒してくれるのもまた、「人生」という意味でしょうか・・。

 須賀さんは、この物語の最後をこんな言葉で締めくくられています。

・-・-・-・-・

 若い日に思い描いたコルシア・ディ・セルヴィ書店を徐々に失うことによって、私たちはすこしずつ、孤独が、かつて私たちを恐れさせたような荒野でないことを知ったように思う。

・-・-・-・         引用232p





2026年3月30日月曜日

読書・「プルーストを読む」「『失われた時を求めて』の世界」 鈴木道彦著 集英社新書 (過去の魂の物語・・)

 

  きょうの散歩で「セリバオウレン」が咲いているのを、見つけました。いつもと同じ群生地です。セリバオウレンは、葉がセリの形をしているので名付けられたそうですが、数年前に初めてこの花を見たときには、小さな春の妖精たちが踊っているように見えたのを思い出します!

 また、植物学的にもとてもめずらしい花で、雌花と真っ白の雄花、そして両性花と三種類もあるのですが、下の写真は、雌花です。


               セリバオウレンの雌花

 

   わたしにとって、鈴木道彦さんといえば、プルーストの「失われた時を求めて」を、井上究一郎さんの翻訳に続いて読んだ、二番目のプルースト翻訳者ですが、彼の著書「異郷の季節」も、昨年の11月に読んでこのブログにもアップしており、親しみのある方です

   鈴木道彦さんは、2001年に「失われた時を求めて」を、全巻訳し終えられて翌年の2002年にこの本を、書かれたようですが、本の帯には、「最高のプルースト入門」と、大きく書かれていますので、そのころに新刊で読み、それ以来、本箱にいつもある本です。

 鈴木さんとプルーストとの出会いは、第二次世界大戦後まもなくのころ、旧制高校の三年の十八歳の春に「スワンの恋」を読まれ、人生の方向を決めてしまうほどに、この本に惹きつけられてしまったということです。そしてそれ以来、プルーストを知ったおかげで人生が豊かになられたとのことですが、人生が豊かになったという点では、わたしもまったく同じでした・・。


               セリバオウレンの雄花

 鈴木さんは、1929年のお生まれで、東京大学文学部仏文科卒業後、1954年からのフランス留学をへて、フランス文学者になられていますが、父上の鈴木信太郎さんもフランス文学者でしたので、やはりサルトルのように本に囲まれた恵まれた環境で育たれたのかなと想像します。

 プルーストの作品は、作家や批評家や専門の外国文学者に限らず、別の仕事を持った人々や主婦たちの中にも熱心な読者がいると書かれていますが、わたしはこのような鈴木さんの知識人としてのリベラルなお考えにとても惹かれます!!!


               セリバオウレンの両性花

 また彼は、作品理解の上でプルーストの実人生を知ることが大事ではないというお考えで、この作品は「虚構の自伝」であり虚構であるからこそ、自分の真実を語ることができると、言われていますが、わたしもそう思います。

 プルーストの「失われた時を求めて」の第一巻「スワン家のほうへ」が、1913年に出版されたとき、「ル・マタン」紙の記者のインタビューにプルーストはこのようなことを答えたとか・・。

 私の作品は、無意識的記憶と、意志的記憶の区別に貫かれているが、意志的記憶は、知性と目の記憶であって、真実を欠いた面しか与えてくれない。それに比べて匂いや味というようなものが、われわれのこころによびさましてくれるものは、意志的記憶とはどんなに違っているかと、感じる・・。

 鈴木さんはこのことから、

「要するに、無意志的記憶の合図によって始まるのは、死んだ過去を語る自伝とは異なって、蘇った過去の魂の物語なのである。」と、書かれています。

 「過去の魂の物語」という彼の表現がとてもすてきだなと思いました・・。






2026年3月15日日曜日

読書・「二十世紀の十大小説」篠田一士著・新潮文庫 (すべての小説の中での一冊は、プルースト・・)

 

 3月に入り、2度も雪が積もりました。そんな中で、「フキノトウ」は、元気に春を告げています。このブログで雪の中のフキノトウの蕾の写真をアップしたのは、2月8日でしたが、それから、もう一か月近く過ぎ、きょうの散歩道の「フキノトウ」は、すっかり蕾が開き、花が咲き始めていました・・。



 「すべての小説の中での一冊はプルースト」とおっしゃる評論家の篠田一士(はじめ)さんの著書、「二十世紀の十大小説」を読みました。

 手持ちの本の再読ですが、調べてみましたら、1980年代に「新潮」に連載されていたものを、1988年に新潮社から単行本化され、さらに2000年に文庫化されたものが、この本とのこと・・。

 ということは、わたしが20年以上も前に読んだ本で、内容はほとんど忘れていたのですが、「すべての小説の中での一冊はプルースト」と書かれていたのだけは、覚えていました。多分彼のプルースト論の部分を読みたくて、本屋さんで購入したのだと思います。

 当時、篠田さんはプルーストを読むのに、井上究一郎さんの訳を未訳の二篇まで残して読み、残りは鈴木道彦訳で中央公論社版「世界の文学」から、そして「逃げ去る女」は、保苅瑞穂訳で講談社版「世界文学全集」からだったということでした。

 1980年代のプルーストを読む環境は、現在の3人もの個人全訳で読むことができるという恵まれた環境とは、だいぶ違っていたようです。

 篠田さんは、井上究一郎さんの訳を、絶賛なさっているのですが、わたしも井上さんの訳で初めてプルーストを読んだ当時をなつかしく思い出しました。



 篠田さんの本文の中で、当時わたしが気に入っていた部分にマークがしてあったのですが、こんな文でした。

・-・-・-・

ママへのあこがれの思いは、ちょうどヴァーグナーの「指輪」(リング)の変ホの和音の響きが、いくつものライトモチーフをつくりだし、ついには、あの巨大な楽劇全体を構築してゆくのと同じように、この「失われた時を求めて」の、かずかずの愛と幻滅のドラマを導きだし、それらを一体化しながら、二十世紀現代の、まさしく、われわれの「神曲」ともいうべき、この言語の大伽藍の、最初の礎石定置に当るもので、その批評的意味合いは、きわめて重、かつ大である。

・-・-・-・      引用75~76p

 篠田さんの気合のこもったプルーストの「失われた時を求めて」論ですが、「二十世紀現代のわれわれの言語の大伽藍のライトモチーフ」が、「ママへのあこがれの思い」というのは、とても頷けました。(井上究一郎さんは、「失われた時を求めて」の中で、フランス語のママンを、ママと訳していらしたので、篠田さんもそのまま、ママになさっていたようです。)



 また、プルーストを楽しんで読むだけの読者にとっては、プルーストのユーモア感覚は十分味わっているので知っていることでもあると思うが、篠田さんのような評論家にとっては、批評の論題としては、説明するのがかなり至難の業なのであると、吐露なさっています。

 そして、やはりこの本は、翻訳ではなく、フランス語の原文で読むのがよく、日本語では伝えるのが難しいと、書かれていますが、わたしにもこの部分の微妙な感覚は、彼の趣旨がよくわかるような気がしました。母とフロラ叔母、セリーヌ叔母、祖父などの会話のところですが、篠田さんは、

「みな口調が少しずつ変化させられていて、それらがまた、いささか調子外れのプチット・サンフォニーを奏でているのが、何ともおかしいのである。」

と、書かれていますが、プチット・サンフォニーとは、「小さな交響曲」とでもいうような意味で、おしゃれで粋な言い方だと感じました・・。

 そういえば、たしか吉田秀和さんも、このようなユーモアにあふれたフランス語の会話を、楽しまれていたというのを、彼のエッセイで読んだことがあったのを思い出しました。

  篠田さんは、文学はもちろん、詩歌や音楽など多方面の卓越な評論もなさっていたということですが、多面的な教養をお持ちの方だったことがよくわかる本でした・・。