2024年6月24日月曜日

読書・「ルナアル詞画集」Jules Renard 著 内藤濯 選訳 グラフ社

 

 6月20日は、まぶしいほどの良い天気。

   朝の午前9時ちょうどに、東の窓の方から、

     カッコーの初鳴きが、聞こえてきたのです。             

         大好きなカッコーの鳴き声ですが、

             こんなに近くで聞いたのは初めて。

                  一日中とても良い気分でした!

 



 散歩道にスイカズラが咲いています。花の色が、白からうすい黄色に変わるので、キンギンカ(金銀花)という別名もあるのですが、わたしは英語のハニーサックルという名前が、好きです。



 ひさしぶりにルナアルの「ルナアル詞画集」を読んでみました。

 この本は、あの「星の王子様」を名訳された内藤濯さんが、訳されています。

 内藤濯さんは、ルナアルの日記から警句のみを選択し、うつくしい日本語に翻訳なさっています。警句とは、アフォリズムのことで、考え方や見たままを、短く気の利いた言葉であらわした真理の表現とのこと。



 わたしが、おもしろいと思った警句をランダムに引用してみます。

・-・-・-・-・

「得意満面の小鳥。パリの空を飛んできたらしい様子だ。」

「今年はじめての上天気。パセリ入りのオムレツといった感じがする。」

「ーいちばんきれいなイヤリングは、なんで作るんですか。

 ーさくらんぼうで。」

「青空ー「われは大いなる青き花なり」」

「散歩は、頭を思想の籠にしてゆすぶる。」

「幕ひとつで、へだてられる人生と芝居。」

「やさしさには、刃むかうわけにはいかぬ。」

「いちばんの健康は、自分の健康を感じないこと。」

・-・-・-・-・ 引用おわり 


 わたしは「得意満面の小鳥、パリの空を飛んできたらしい様子だ。」というフレーズが、小粋でおしゃれで好きですが、その他の警句にもルナアルのエスプリを感じます。

 ルナアルの「博物誌」もそうですが、短い文で、動物や植物、そして人間の思考までも核心をついて語る彼の作品は、

 いつのまにかこころに残ってしまうキャッチコピーのようだと、いつも思ってしまいます・・。









   







 ルナアルの「博物誌」にもこんな短い好きなフレーズがあります。 「蝶」「二つ折りの恋文が、花の番地を捜している。」


2024年6月14日金曜日

読書・「津軽」太宰治著 新潮文庫 (太宰治作品の中でいちばん好きな本)

 

  このところ、散歩にちょうど良い気温の日々が続き、散歩道には、ノイバラが咲き始めています。つぼみの頃はピンク色ですが、咲き始めると、花びらが、ほんのりとうすいピンク色に染まるなるかれんな花です。



 太宰治の作品は、以前に、一時期に集中して読んだ記憶があります。本箱には、当時の名残りの新潮文庫の本が16冊、 評伝などの関連本を含めると30冊近くもあり、金木にある太宰治記念館にも、五所川原から津軽鉄道のストーブ列車に乗って訪ねたこともあったのを、懐かしく思い出します。

 太宰の本の中でいちばん好きな作品は、「津軽」です。

 「津軽」は昭和19年、彼が36歳のとき、小山書店からの依頼で津軽風土記をかくために、津軽半島を3週間かけて、一周したときの記録ですが、わたしが特に好きなのは、旅の最後に、幼少のころに太宰を愛情込めて育ててくれた子守りの「たけ」に、会いに行く場面です。

 津軽鉄道の終点の中里から、バスに乗って2時間、小泊に住んでいるたけに会いにいくのですが、途中のバスの車窓から見た十三湖の描写も 詩的ですてきだといつも思います。

・-・-・-・-

「十三湖が冷え冷えと白く目前に展開する。浅い真珠貝に水を盛ったような、気品はあるがはかない感じの湖である。」 

                       引用195p

・-・-・-・-・

 

                                                                                               

 バスは小泊に着き、ようやく探し回って、運動会のかけ小屋で、たけを見つけたとき、たけは、「あらあ」「ここさお座りになりせえ」といったきりで、その後は何も言わずきちんと正座して、運動会を見ているだけなのでした・・。

 ところが、竜神様の桜でも見に行くかと、たけに誘われてふたりで登った砂山で、たけはいきなり、久しぶりだなあと、堰を切ったように話しはじめるのです。

 たけの話は、太宰のおさないころの思い出でのあれこれであり、「愛(め)ごくてのう、それがこんなにおとなになって、みな夢のようだ。」

と語るたけの姿には、何度読んでも胸が切なくなる名場面だと、いつも感じ入ってしまいます。

 太宰は、そのように強くて不遠慮な愛情をあらわすたけに、自分はとてもよく似ていて、自分の育ちのルーツはこれだったのだと、悟ったのでした・・・。

 ところが実は、この場面は、太宰の研究者である相馬正一さんによれば、実際にはそうではなく、太宰はたけさんはそっちのけで、同行した住職の方と酒を酌み交わしていたのだとか・・。

 わたしは後にこのことを、長部日出雄さんが書かれた文によって知るのですが、さすがに太宰治は、見事なストーリーテラーだったのだと、感服したのでした。

 「津軽」は、太宰治の故郷「津軽」をめぐる旅の様子をつづっているのですが、彼の大事なこころの故郷を見つけることができた旅でもあったのではないかと思います・・。

  

    


  


2024年6月2日日曜日

読書・日々の過ぎ方 堀田善衛著 ちくま文庫 (サルトルのいないパリ・・)



  ヤマオダマキが散歩道で個性的な花を咲かせています。色や形がアールヌーヴォーのランプのようだと見るたびにいつも思うのですが、繁殖力がとても強く、散歩道はあっというまにランプだらけになってしまいました・・。
 



 堀田善衛さんが書かれた「日々の過ぎ方」を読みました。この本は、1983年に朝日ジャーナルに発表されていたエッセイをまとめて出版なさったとのことですが、当時、堀田さんは、スペインのバルセロナに住んでいらしたようです。

 「不思議な訪問客」というタイトルのエッセイからはじまり、窓や広場、訪問なさった周辺諸国などの話を通して、ヨーロッパ論にまで発展してしまうのは、やはり堀田さんらしい見識の深さだと思いました。

 このエッセイは1983年頃に書かれていますので、当時の日本人の海外での猛烈な経済活動やヨーロッパの事情などもよくわかり、短い章にわかれているので、どこから読んでも、すんなりと読むことができ、しばらくの間、気軽に読む本として、楽しめました。

 堀田善衛さんの本は、いままでに「定家明月記私抄」「定家明月記私抄続篇」「方丈記私記」など読んでいるのですが、それらの本での彼の人生への深い思索や見識の深さには脱帽していました。彼のこの本のようなエッセイを読むのは初めてでしたが、やはりところどころに彼の思索の深さが垣間見え、興味深く読みました。

 巻末の「堀田善衛氏に聞く スペイン往還」で堀田さんは、「サルトルのいないパリは、何もおもしろくない。彼のおかげで、パリに文化というか、文学、思想、哲学があったのが、なくなってしまった」と語られていたのですが、わたしも彼の考えには、同感でした。ボーヴォワールも加えて、寂しく思っていましたから・・。

 サルトルのいないパリでは、今年2024年の夏、オリンピックが開かれる予定だとか・・。