2024年7月23日火曜日

読書・思考の生理学・外山滋比古著 ちくま文庫  (セレンディピティとは‥)

 

 2024年のヤマユリの開花は、例年通り7月10日ごろでした。ヤマユリは開花した初日が、いちばん初々しくきれいで、散歩道のあちこちで強烈な甘い香りを漂わせて、7月いっぱい、花も香りも楽しませてくれます。



 外山滋比古さんの書かれた「思考の生理学」を、読んでみました。

 実は先日来、友人とメールで「セレンディピティ」という言葉について、あれこれと話していたのですが、何と偶然に読んだこの本にも「セレンディピティ」という言葉が、章を設けて書かれていたので、びっくりしました。

 この本の「セレンディピティ」は、アメリカで対潜水艦兵器の開発をしていたとき、優秀な音波探知機の開発の実験中に、なんとなんと、イルカの交信をつきとめたということでした。

 わたしもイルカが交信するということは、知っていたのですが、こんな事情があったとは知りませんでした。



 外山さんは、このように、行きがけの駄賃のようにして生まれる発見や、発明のことを、科学者はセレンディピティと呼んでいると書かれています。

 セレンディピティの言葉の由来は、18世紀の英国の童話「セイロンの3王子」で、この王子はよくものをなくしてさがしていると、予期せぬものを探し出すという話で、この童話をもとに文人で政治家のホレス・ウォルポールという人が作った造語とのこと。

 セイロンはセレンディップと言われていたので、セレンディピティとは、セイロン性とでもいうような意味になるのだとか・・。



 この本でもう一つ面白いと思ったのは、「ホメテヤラネバ」という外山さんのお考えでした。彼によれば「ほめるのは最上のあいさつで、それによって、ほめられた人の思考は活発になる。」とのこと。

 わたしも以前から、ほめるのは大事なことと認識していたのですが、 外山さんの本で、さらに「ホメテヤラネバ」を、大事なこととして、再認識させられたのでした。



 この本は、東大・京大で1番読まれた本ということで、読んでみたのですが、さすが外山さんは思考の達人! すっきりとまとまって書かれていて、読みやすい本でした。







2024年7月18日木曜日

読書・「須賀敦子の旅路」大竹昭子著・文春文庫

 

 オカトラノオという、虎のしっぽのような形の花があちこちに咲いています。真っ白い小さな星のようにかわいい花が、つぎつぎに、しっぽの先のほうにまで咲いていくのを見るのは楽しみで、日々のちいさなしあわせを感じます・・。



 

 大竹昭子さんが書かれた「須賀敦子の旅路」を、読みました。大竹さんの本は、「須賀敦子のヴェネチツィア」に続き2冊目です。

 この本は、大竹さんの写真入りの著書の「須賀敦子のミラノ」「須賀敦子のローマ」「須賀敦子のヴェネチツィア」の3冊の内容に加筆し、さらに東京篇を加えたもので、わたしのような須賀敦子ファンにとっては、読みごたえのある興味深い内容でした。

  以前に読んだことのある大竹昭子さんの「須賀敦子のヴェネチツィア」は、まだこの本が出版されて間もないころ、東京の書店で見つけ、写真にひかれて購入したのですが、すてきなのは写真だけではなく、文も須賀さんのような雰囲気で、読みやすかったのを覚えています。

 それ以来、大竹さんとはどのような方で、須賀さんとはどのようなかかわりをお持ちだったのかと、興味を持っていたのですが、この本を読んで、その疑問がとけました。

 大竹さんは、「ミラノ 霧の風景」を読まれて以後、すっかり須賀敦子さんの文学にほれ込んでいらっしゃり、ロングインタビューなどを通じて、交流もおありだったとのことでした。




 大竹さんの文も、須賀さんと同様に美しくて読みやすく、ミラノ・ヴェネチツィア・ローマ・そして東京と、須賀さんの人生と作品とのかかわりも、丁寧にたどられていて、上質の須賀敦子論になっていると思いました。

 ロングインタビューを含む東京篇は、この本の白眉で、須賀敦子さんを深く知ることができるエピソードなども多く、特に面白いと思ったのは、須賀さんは「インチキ」という言葉をよく使われたとのこと・・。

「インチキな文章」「インチキな人間」「インチキな生き方」などなど・・。 

 そして、「書くことや、生きることにおいてインチキをしないこと」というのは、大竹さんが、須賀さんから教えていただいたことで、もっとも大切なことだったということでした・・。

 


 ロングインタビューでは、プルーストにふれていらっしゃる箇所にも、興味を持ちました。

 大竹さんは「須賀さんの長い文章について」質問なさっているのですが、「プルーストの文章が好きだったから」というお答えだったそうです。 

  須賀さんは、プルーストの文体を分析したスピッツァーという学者の論文を読まれ、たとえ悪文でも自分の文体というものを作っていいのだと思われたとのこと。

 プルーストは須賀さんにも影響を与えていたようです。

 この本は、久しぶりに読書の醍醐味を感じることができた一冊になりました・・。

 







2024年7月4日木曜日

読書・「フィレンツェだより」リルケ著・森有正訳 ちくま文庫 

 

 7月に入りましたが、今年の梅雨は雨が少ないように思います。梅雨の季節に咲くコアジサイは好きな花ですが、これは、6月に庭で写した写真です。

 パウダーブルーの小さな無数の花が、サイダーの泡のようにはじけて、さわやかな香りを漂わせていました・・。



 リルケの「フィレンツェだより」を、ひさしぶりに読みました。この本は、森有正さんが、仏訳で読まれて衝撃を受けられ、日本語に翻訳なさったとのことです。

 わたしにとってリルケは、好きな詩人ですが、彼の書いた「マルテの手記」や「若き詩人への手紙・若き女性への手紙」も、好きな本です。特に「マルテの手記」は、好きで、このブログにも以前に感想を書いています。 

     


 
 この「フィレンツェだより」は、22歳のリルケが14歳年上のルー・アンドレアス・ザロメにイタリアのフィレンツェから書き送った手紙ですが、ルーは、知性にあふれた魅力的な女性で恋人でもあり、彼の生涯の星ともいうべき存在だったようです。

 リルケはそのような存在のルーに、22歳という若い日に、フィレンツェからイタリアの芸術にふれた感動を、書き送っているのです。

 リルケは、本の中で「フィレンツェでわたくし自身の部分を発見した」と、書いているように、彼にとって、フィレンツェでの芸術にふれたという経験は、自分自身を知ることになったことでもあったようです。



 翻訳者の森有正さんは、フランス文学者で哲学者ですが、「リルケのレゾナンス」というあとがきで、プルーストにも言及なさっているのが、とても印象に残りましたので、引用させていただきます。

・-・-・-・-・
 「デカルトの「情念論」も教えているように、感性から意志に到る人間の在り方の全体がヨーロッパでは一つの世界を構成し、どこからそこに入っても、徹底すればその世界全体を見ざるをえなくなるからである。プルーストはその「喪われし時を求めて」において、この精神の徹底的遍歴を描き出している。」    引用188p
・-・-・-・-・
 
 さすが、フランス文学と哲学を学ばれた森さんらしい考察だと、思いました。そして、森さんは、異質のようにみえるリルケとアランも、本当は同質の思想傾向であることを、プルーストから学んだとも書かれていました。
 
 この「フィレンツェだより」は、森有正さんにとって、リルケに生涯にわたってレゾナンス(共鳴)なさることになった特別の本だったようです。