2024年8月26日月曜日

読書・「梨のつぶて・丸谷才一文芸評論集」丸谷才一著 晶文社      その1・嵐が丘について・・


 ツリガネニンジンが、散歩道のあちこちに咲いています。ベルの形をしたかわいい花ですが、風にゆれている姿は、もっと愛らしく見えます。

 きょうは、雨上がりのサプライズで、クモの糸に水晶のような雨粒がついていて、とてもすてきでした・・。



  
 友人に薦められ、丸谷才一さんの文芸評論集の「梨のつぶて」を、読みました。初版は1966年と大分古い本なので絶版になっており、古本で購入。目次を開いてみると、Ⅰ文明、Ⅱ日本、Ⅲ西欧の3つの章にわかれていて、Ⅲの西欧の、「「嵐が丘」とその付近」が目にとまり、最初に読んでみました。

 「嵐が丘」は中学生の頃に読んだことがあり、もうすっかり忘れていた本なのですが、すごい恋もあるものだと、強烈な印象を受けた本でしたから・・。

 英国に住んでいたときには、ブロンテ姉妹の住んでいた、ハワースの「The  Bronte Parsonage Museum」を、訪ねたことがありました。

 そのときに購入したThe  Bronte Parsonage Museumという薄い本を開いてみると、エミリー・ブロンテが描いた飼い犬のキーパーの水彩画が載っており、部屋に飾ってあった姉妹の洋服が、あまりにも小さかったことなども、いろいろと思い出したのでした・・。 




 丸谷さんによれば、「嵐が丘」の主人公のヒースクリフは、シャーロット・ブロンテの「ジェイン・エア」のロチェスターの経歴や、ドストエフスキーの「悪霊」のスタブローギンの経歴と同じように暗い過去を持ち、それは、神秘と悪の雰囲気を、漂わせるバイロン的なヒーローであるとのこと。

 また、ヒースクリフは、数年失踪した間に、教養と富を豊かにして「嵐が丘」に戻ってくるのですが、そこがまさにヒースクリフの本質で、謎めいたヒーローでもあり、「限りなく高貴で限りなく邪悪」・・と丸谷さんは分析されています。
 さらに、「嵐が丘」は、ゴシックロマンスで家庭小説であるとも・・。  

 サマセット・モームは、「嵐が丘」を、「世界の十大小説」として紹介しているとのことですが、今回、読み直してみると、プルーストやジョイスを読んでしまったいまでは、十九世紀の古い読み物のような感じがしてしまうのですが、このひりひりするような二人の愛を描いた小説は、やはりすごいという印象が残るのでした・・。

 


 
 映画化もされているので、1992年製作の映画、レイフ・ファインズのヒースクリフとジュリエット・ビノシェのキャシーとキャサリンの二役のキャストで、先日、観直してみました。映像で観た「嵐が丘」は、最初の雲が低く垂れこめるヒースの荒野のシーンに流れる坂本龍一さんの音楽も雰囲気が出ていてすばらしく、この雰囲気こそが「嵐が丘」の神髄かもしれないと思ったのでした・・。

 英国の批評家のデヴィット・セシルは、「嵐が丘」という名を耳にしただけで、ロンドンの街の喧騒はうすれ、心の耳には、河の流れの音、雷の響き、荒野の上を吹く風が聞こえてくるというようなことを書いているそうですが、丸谷さんは、世界中のどの街にいても、そうなのではという言葉でしめくくられています。
 
 そういえば、わたしも「嵐が丘」という名を思い浮かべると、いつもあのヨークシャーのヒ-スの荒野をわたってくる冷たい風の音が聞こえてくるような気がするのです・・。

 そして、エミリー・ブロンテの詩  「No coward soul is mine」わたしの魂は、臆病ではないという彼女の強いたましいの叫びが風にのって伝わってくるように感じるのでした・・。
      


  



2024年8月20日火曜日

読書・「若い藝術家の肖像」ジェイムズ・ジョイス著 丸谷才一訳 集英社文庫ヘリテージシリーズ

 


 明治の森のひまわり畑のひまわりです。8月15日に写したもので、満開を少し過ぎていたのですが、暑い中、まだまだ元気に咲いていてくれました!ひまわりの花は、いつもみるたびに、元気をもらえる花だと実感します。今年も元気に咲いてくれてありがとう!



 ジェイムズ・ジョイスの「若い藝術家の肖像」を、読み終えました。以前に購入し、積読本になっていたのですが、あの「ユリシーズ」に出てくる主人公のひとりのスティーブン・ディーダラスの若いころの話で、ジョイスの自叙伝にもなっているとのことで、興味を持ち読んでみたのでした。

 最初の出だしが、

・-・-・-・-・

「むかし、むかし、そのむかし、とても たのしい ころのこと、いっぴきの うしもうもうが、みちを やってきました。」

・-・-・-・-・               引用13p

 で始まるのですが、この童話のような書き出しは、とてもおもしろくユニークで、とくに「うしもうもう」は、忘れられない言葉になりそうです。それにしても、丸谷さんの翻訳は、すばらしいと感じました。

 主人公の成長にあわせて、次第に言葉も成長し、それらがすべて、スティーブンの意識の流れにそって語られているというのも読みどころかもしれません。



   スティーブンは、ジョイスですが、6歳で全寮制の名門校「グロンゴース・ウッド・コレッジ」に入学、その後は家庭の事情で授業料免除の名門校「ベルヴェディア校」に行き、大学は「ユニヴァーシティ・コレッジ・ダブリン」で学んでいます。ジョイスの父や先生は、何よりもまず、ジェントルマンになること、良いカトリック信者になることを望んでいたと書かれているのですが、それらが当時のジョイスが育ったアイルランド中流家庭の価値観だったようです。

 青年になったステイーブンは、藝術家になるという決心をするのですが、こんな風に書かれています。

・-・-・-・-・          

「ぼくは自分が信じていないものに仕えることをしない。家庭だろうと、祖国だろうと、教会だろうと。ぼくはできるだけ自由に、そしてできるだけ全体的に、人生のある様式で、それとも藝術のある様式で、自分を表現しようとするつもりだ。自分を守るためのたった一つの武器として、沈黙と流寓(りゅうぐう)とそれから狡智を使って。」

・-・-・-・-・              引用463p



 丸谷さんの翻訳の「沈黙と流寓(りゅうぐう)とそれから狡智を使って。」は、原文では、「silence,exile and cunning」とのこと。

 書かれた当時は100年前のアイルランド、ジョイスのような知的な青年が、祖国の、英国の属国としての政治問題、アイルランド語と英語の問題、そして何よりもむずかしい宗教問題などがあり、彼が祖国を離れて亡命し、藝術家を目指したのは、必然だったようにも感じました。

 



 この本は、プルーストの「失われた時を求めて」のように、訳注が多く、それらを読むだけでも知識を深くすることができ、興味深く読むことができたのですが、同じページに訳注があれば、より楽しめたのではと思います。

 2024年の夏の読書として、この積読本だったジョイスの「若い藝術家の肖像」を読んだのですが、ジョイスの面白さや深さを知る入門書として、良かったと思いました。    

 もう3冊あるジェイズ・ジョイスの積読本「ユリシーズ」も、これから読もうと思っています!!!



   

 

 

2024年8月5日月曜日

読書・「後鳥羽院 第二版」丸谷才一著 ちくま学芸文庫



 我が家の庭に今年もボルトニアが咲き始めました。いつも夏の盛りに咲く丈夫な花ですが、うすむらさきの花は、緑に囲まれて、少しだけ涼しげです。和名は「アメリカギク」で、日本には大正年間に渡来したとのこと。ちょうど雨上がりで、はなびらに丸い雨粒が残っていました。



 丸谷才一さんが書かれた「後鳥羽院 第二版」を読みました。丸谷さんは、ジェイムズ・ジョイスの「若い藝術家の肖像」の翻訳や、あの「ユリシーズ」を、3人で共訳なさっているお一人なので、英文学がご専門と思っており、彼のこのような本を読むのは、初めてでした。

 あとがきによれば、丸谷さんは東大の英文科を卒業なさってまもなく、国学院大学で十数年を過ごされており、そのころのご関係のことを、何年もかかって書かれた本とのことで、納得でした。

 

      


 冒頭で丸谷さんは、後鳥羽院の百人一首にも出てくるこの歌を紹介なさっています。


   人もをし人もうらめしあぢきなく世をおもふ故にもの思ふ身は

                        後鳥羽院

 丸谷さんは、以前にはこの歌を、恋の嘆きの歌というありきたりの解釈よりもむしろ、倒幕の想いをも込めている政治的な内容の浅い歌と感じ、定家がなぜこのような歌を百人一首の後鳥羽院の代表歌として選んだのかと、不審にさえ思われていたとのことです。

 ところが、江戸末期の国学者岡本況齋(きょうさい)の「百首要解」という本に、この歌には源氏物語が背景にあると書かれているのを知り、見直されたということでした。

 源氏物語の王朝の世界をなつかしむことによって、歌の奥行をまし、それが新鮮な味わいにもなっていると・・・。



 そういえば、田辺聖子さんも「田辺聖子の小倉百人一首」という本の中で、この歌についての丸谷才一さんの見解、「源氏物語の下味がついている」ということについて書かれていたのを思い出しました。

 すっかり忘れていた田辺さんの本に出ていた丸谷さんの見解でしたが、こういう発見があると、本を読むよろこびを感じます。

 


 丸谷さんの後鳥羽院と、定家の歌に対する考え方の違いも興味深く読みました。定家の歌は純粋な芸術であろうとする姿勢に対し、後鳥羽院はご自分の宮廷の文化としての姿勢だったということ。

 また、後鳥羽院を日本的モダニズムの開祖であるとも言われていますが、おもしろい見解だと感じました。

「ユリシーズ」を引き合いに出して、伝統的でありながらも新鮮で革新的なモダニズム文学に通じるものがあると・・。

 このあたりは丸谷さんならではの見識だと思ったのですが・・。 

 丸谷さんが、「後鳥羽院一代の絶唱であるのみならず、新古今の代表的な秀歌であり、和歌史上最高の作品のひとつ」と、言葉をつくして絶賛していらっしゃるのが、後鳥羽院のこの歌ですが、わたしにも忘れられない歌になりました。

 見渡せば山もと霞むみなせ川ゆふべは秋と何思ひけむ

                      後鳥羽院 

 

 「後鳥羽院の歌の世界」から新古今の時代にしばらくの間、ひきこまれてしまった読書でした・・・。