我が家の庭に今年もボルトニアが咲き始めました。いつも夏の盛りに咲く丈夫な花ですが、うすむらさきの花は、緑に囲まれて、少しだけ涼しげです。和名は「アメリカギク」で、日本には大正年間に渡来したとのこと。ちょうど雨上がりで、はなびらに丸い雨粒が残っていました。
丸谷才一さんが書かれた「後鳥羽院 第二版」を読みました。丸谷さんは、ジェイムズ・ジョイスの「若い藝術家の肖像」の翻訳や、あの「ユリシーズ」を、3人で共訳なさっているお一人なので、英文学がご専門と思っており、彼のこのような本を読むのは、初めてでした。
あとがきによれば、丸谷さんは東大の英文科を卒業なさってまもなく、国学院大学で十数年を過ごされており、そのころのご関係のことを、何年もかかって書かれた本とのことで、納得でした。
冒頭で丸谷さんは、後鳥羽院の百人一首にも出てくるこの歌を紹介なさっています。
人もをし人もうらめしあぢきなく世をおもふ故にもの思ふ身は
後鳥羽院
丸谷さんは、以前にはこの歌を、恋の嘆きの歌というありきたりの解釈よりもむしろ、倒幕の想いをも込めている政治的な内容の浅い歌と感じ、定家がなぜこのような歌を百人一首の後鳥羽院の代表歌として選んだのかと、不審にさえ思われていたとのことです。
ところが、江戸末期の国学者岡本況齋(きょうさい)の「百首要解」という本に、この歌には源氏物語が背景にあると書かれているのを知り、見直されたということでした。
源氏物語の王朝の世界をなつかしむことによって、歌の奥行をまし、それが新鮮な味わいにもなっていると・・・。
そういえば、田辺聖子さんも「田辺聖子の小倉百人一首」という本の中で、この歌についての丸谷才一さんの見解、「源氏物語の下味がついている」ということについて書かれていたのを思い出しました。
すっかり忘れていた田辺さんの本に出ていた丸谷さんの見解でしたが、こういう発見があると、本を読むよろこびを感じます。
丸谷さんの後鳥羽院と、定家の歌に対する考え方の違いも興味深く読みました。定家の歌は純粋な芸術であろうとする姿勢に対し、後鳥羽院はご自分の宮廷の文化としての姿勢だったということ。
また、後鳥羽院を日本的モダニズムの開祖であるとも言われていますが、おもしろい見解だと感じました。
「ユリシーズ」を引き合いに出して、伝統的でありながらも新鮮で革新的なモダニズム文学に通じるものがあると・・。
このあたりは丸谷さんならではの見識だと思ったのですが・・。
丸谷さんが、「後鳥羽院一代の絶唱であるのみならず、新古今の代表的な秀歌であり、和歌史上最高の作品のひとつ」と、言葉をつくして絶賛していらっしゃるのが、後鳥羽院のこの歌ですが、わたしにも忘れられない歌になりました。
見渡せば山もと霞むみなせ川ゆふべは秋と何思ひけむ
後鳥羽院
「後鳥羽院の歌の世界」から新古今の時代にしばらくの間、ひきこまれてしまった読書でした・・・。
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