雑木林を散歩していると、落ち葉の中に、あざやかな若草色の「ウスタビガのまゆ」を、見つけました。最近はめったに見つけることができないので、超ラッキー!!と、うれしくなってしまいました。
それにしても、若草色は、春の贈り物のようで、イヤリングにしてもかわいいかもしれません。
プルーストの評論選を前回の文学篇に続き、芸術篇を読みました。この本も、ずっと本箱にある本で、久しぶりの再読でした。
本の帯には、「「卓越した美術批評家でもあったプルースト。渾身の雄篇「ジョン・ラスキン」「読書について」、絵画論などを収める。」」と、書いてあるように、読み応えのあるプルーストの評論本です。
特に「読書について」は、プルーストが翻訳したラスキンの「胡麻と百合」の翻訳本の序文ということもあり、おもしろく読みました。プルーストは、ラスキンのというよりも、ほとんど自分の読書論を書いているのですが、出だしの文などは、まるで「失われた時を求めて」を、読んでいるのかなと思ってしまうほどで、こんなはじまりなのです。
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もしかしたら、私たちの少年時代の日々のなかで、生きずに過ごしてしまったと思い込んでいた日々、好きな本を読みながら過ごした日々ほど十全に生きた日はないのかもしれない。
・-・-・引用「読書について」78p
また、79pのパンジーについての描写も、まるで、「失われた時を求めて」の中の一文のようです。
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そしてパンジーは、あまりにも美しく色とりどりな空、時おり村の家々の屋根のあいだに見える教会のステンドグラスを映したかのような空、夕立のまえ、あるいはあと、あまりにも遅く、一日が終わろうとしている時になってあらわれる淋しい空から摘み取られたかのようだった。・・・
・-・-・ 引用「読書について」79p~80p
視覚に訴えてくるすてきな文ですが、このようなプルーストらしい文を読むと、彼の細部にこだわる感性の表現は、このころからすでに確立されてきたのかと思えました。
プルーストの文学の美学は、ラスキンを翻訳したことから影響を受け、それがプルースト自身の文学論の確立をへて、最後には「失われた時を求めて」に、いきついたのだと確信したのでした・・。
「読書について」の最後の文は、ヴェネツィアのピアツェッタに立つ二本の花崗岩の円柱、一本は灰色、一本は薔薇色についてですが、プルーストは
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「夢のような印象を感じる」
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と表現し、それについてのすてきな長い文を書き、最後に
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「その過去はじっと動かずに日を浴びている。」
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でこの「読書について」の序文は、終わっています・・。
わたしは、ヴェネツィアにも行っているのですが、そのときにはまだ、この文を知らず、とても残念に思うのですが、ギリシャのアテネやコリントの遺跡で見た、円柱を思い出すと、このプルーストの文が、あまりにもぴったりとわたしの感性に訴えてきて、胸がきゅんとしてきてしまうのでした・・・。
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