2018年11月5日月曜日

シュペルヴィエルの「樹」




 今朝のいつもの散歩道の写真です。
 一年のうちでいちばん饒舌になる森の木々を見ていると、フランスの詩人の
シュペルヴィエルの詩を思い浮かべてしまいます。




 シュペルヴィエルは、両親はフランス人ですが、ウルグアイ生まれで両国の国籍を持っているということです。彼の詩を読んでいると不思議にやさしい気持ちになってきます。

 わたしの好きな「樹」という詩です。





       「樹」
                   ジュール・シュペルヴィエル
                          (安藤元雄訳)
むかし愛情があった、いろいろの優しい感情があった、
それが木になった。
この上なく上品な言葉があった、
いまはそれが木になり、小枝や葉むらになった。
恋する心臓にまとう綺麗な着物があった、
女だったか、それとも男だったか?
それもいまは木になって うわべには心が見えない。
枝を折って筋を見つめても
何も言わない
少なくとも人間の耳にはわからない。
折れ口は一言も語らず ひたすらの沈黙だけが
あらゆる細い筋からあふれ そこを小さな蟻が這って行く。



何と体をよじるのだ 樹は あらゆる方角へ行くかのように、
それでいて一歩も動くでなしに!
風が空から 樹を進ませようと躍起になる。
あれは樹を むらがる鳥の中でも
普通より形の大きい 一種の鳥にしたいのだろう。
だが樹の方はそ知らぬ顔だ。
知らなければならない 四季を通じて一本の樹であること、
もっと口をつぐみ じっと見つめること、
人間の言葉を聴き 決して答えないこと、
知らなければならない 一枚の葉にそっくり自分を移し
そして それが飛び去って行くのを見送ること。
ー・-・-・-・-・-・-・-・
            引用 フランス名詩選 327p~329p 岩波文庫
 



 わたしの散歩道にある木々を、シュペルヴィエルのような目で見ると、なぜかいつもの木々と違って見えてきます。
 
 木は何も言わないけれども、人間の言葉を聴いているのだということ。
 そして、一枚の葉に自分を移して飛び去って行くのを見送ること・・・。

 シュペルヴィエルは、大事なことを教えてくれているようです。



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