6月3日に盛岡市で開催された東北絆まつりに行ってきました。
盛岡は、石川啄木・宮沢賢治にゆかりの街ですが、市の真ん中を流れる北上川に架かる開運橋からの岩手山を見ると、いつも彼等の故郷に来たのだとしみじみ思います。
ふるさとの山に向ひて
言ふことなし
ふるさとの山はありがたきかな
啄木
「岩手山」
そらの散乱反射のなかに
古ぼけて黒くゑぐるもの
ひかりの微塵系列の底に
きたなくしろく澱むもの
宮沢賢治
啄木も、賢治もそれぞれ独特の言葉の世界観を持っていて、この風土が彼等の芸術を育んだのだなあと実感します。
啄木と賢治は、今年で生誕130年と120年ということで、盛岡市内のさわや書店の店頭には、「啄木賢治の肖像」という本が山積みされていました。
この本は、岩手県の新聞社の岩手日報に連載されていたものを、新書判として出したということですが、啄木と賢治の幼少の頃から、亡くなるまでの人生を、阿部友衣子さんと志田澄子さんお二人で書かれています。
地元の取材ならではの記事もあり、興味深い内容になっていました。
第十一章「女性」には、こんなことが書かれていました。初恋の女性の節子と結ばれた啄木でしたが、函館の小学校勤務の時代、同僚の橘智恵子を心が求めた理想の女性として考えていたのではなかったのかとして、こんな短歌が紹介されていました。
☆北上川河畔に咲いていたノイバラ
山を思ふがごとくにも
かなしき時は君を思へり 啄木
わかれ来て
年を重ねて年ごとに
恋しくなれる君にしあるかな
啄木
石狩の空知郡(そらちこほり)の
牧場のお嫁さんより送り来し
バタかな
啄木
この3首の短歌は、啄木が智恵子さんのことを詠んだものです。彼女は北海道の牧場主と結婚なさった後、33歳の時に、産褥熱で亡くなられているのですが、遺品の中に「一握の砂」と「あこがれ」が残されていたということです。
☆盛岡市内で柴犬を撫でる少女
「啄木賢治の肖像」は、東北絆まつりに出かけて買った本ですが、思い出の一冊になり
ました。
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