失われた時を求めての5「ゲルマントのほう」Ⅰ 岩波文庫・吉川一義訳を読んでいましたら、主人公がオペラ座に特別講演を見に行くシーンが出てきました。
オペラ座には、ゲルマント大公妃のベニョワール席があり、その席で大公妃は、他の燕尾服姿の紳士に、ボンボンはいかがと勧めているのでした。
そのシーンを読んだときに、たしか須賀敦子さんの「ミラノ霧の風景」にも、こんなことが書かれていたのを思い出しました。
それは、「チェデルナのミラノ、私のミラノ」という章なのですが、こちらは、ミラノのスカラ座での話です。
スカラ座の桟敷を、侯爵から遺産として貰ったカミッラ大叔母はその桟敷に訪ねてくるお客用として、いつもキャンディーを一袋持っていた・・。
という話からこの章は、始まるのでした。
このカミッラ大叔母の話しを「近いこと遠いこと」という本に書いたのは、カミッラ・チェデルナという評論家ですが、彼女はミラノのモードや上流社会のゴシップを週刊誌に寄稿していたと、須賀さんは、書かれています。
大叔母の桟敷以外にも、あのトスカニーニの娘の桟敷もあったようなミラノのスカラ座は、今日ではすっかり変貌をとげ、ブルージーンズの学生がイヴニングドレスの女性にスプレーをかけたこともあった60年代後半の「文化革命」の後、二十年余をへて、イタリアの社会は、こういう過去の遺産について距離をおいて眺める余裕をとりもどしたかに見えると、須賀さんは彼女らしい考察をされています。
パリのオペラ座や、ミラノのスカラ座での特別の専用桟敷で着飾った貴族たちのボンボングラッセや、キャンディーのやりとりは、いまではもう過去のものなのですね。
わたしはパリのオペラ座に、「シンデレラ」というオペラを見に行ったことがあるのですが、豪華な建築よりも、シャガールの天井画に、圧倒されたのを覚えています。
そのときに、もう少ししっかりと、ベニョワール席の様子を見てこなかったのが、悔やまれます。
プルーストは多分、1階のわたしが座った席の辺りから、ベニョワール席での貴族たちの
ボンボングラッセのやりとりを眺めていたのでしょうか・・・。
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