2018年7月20日金曜日

夏の読書・「小説家の休暇」三島由紀夫




 ここ数日の高原とは思えないほどの酷暑の中で、三島由紀夫の「小説家の休暇」を読んでいました。





 この本は、日記形式で書かれていますが、ほとんどは硬質の評論です。彼は評論は文学作品と同等と考えていたようですが、そういえばプルーストもすばらしい評論を書いていますから、評論の分野も芸術作品と言えるのかもしれません。






 この本の中でプルーストに触れている部分がいくつかあります。七月七日(木)のところでは、「失われた時を求めて」に出てくるゲルマントの貴公子のサン・ルウの死について三島は、興味深いことを書いています。

 サン・ルウは、戦死するのですが、その部分を、彼は「失われた時を求めて」の本文から下記の部分を引用して載せています。



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 「そうした最後の幾時間かは、サン・ルウは定めし美しかったに違いなかった。平生からも、坐っているときや、サロンを歩いているときでさえ、その三角状の頭のなかにある抑えられない意志を微笑で隠しながら、あの生々とした生命のなかに、常に突撃への躍動を秘めているように思われた彼、その彼がとうとう突撃したのだった。封建の塔は、文弱の書を一掃して、再び尚武の砦となった。そうしてこのゲルマントの貴公子は、一躍彼自身の姿に帰り、というよりもむしろその一族の血統に帰り、単にゲルマントの一員でしかない人間として、死んだのだった。」(井上究一郎氏訳) 40pから引用
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 この引用の後で三島は、プルーストがサン・ルウのこのような美しい自己放棄の死について、想像できたということは驚きに値すると書いています。なぜなら、美しい死の可能性は、プルーストの理論に反することなのにと・・。

 このような三島由紀夫の美意識は、彼の後のあのような行動にも繋がっていくのかと思われました・・。











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