ここ数日、猛暑の日が続いていたのですが、きょうは少し涼しくなり、木陰で読書しました。
プルーストの「失われた時を求めて」に出てくる主人公も、休暇先のコンブレーの叔母の家の庭の木陰で読書した日々のことを、なつかしく回想するシーンが出てくるのを思い出します。
海野弘さんが書かれた「プルーストの浜辺」を、読み終えました。副題は、「「失われた時を求めて」再読」ですが、彼の本を読むのは、20年前ぐらいに出版された「プルーストの部屋」上・下を読んで以来です。
最初に読んだ「プルーストの部屋」上・下は、わたしがプルーストの「失われた時を求めて」を初めて井上究一郎さんの訳で全巻読んだときに、いっしょに読んでいたとても懐かしい本なのです。
「プルーストの部屋」は、海野さんの専門分野でもあるアール・ヌーヴォーの世界からのプルーストへのアプローチだったように覚えているのですが、この本「プルーストの浜辺」は、ノルマンディの浜辺からのプルーストへのアプローチなのでした。
海野さんは、ノルマンディが舞台になった小説として、フローベールの「ボヴァリー夫人」やモーパッサンの「女の一生」を挙げ、それらがプルーストの作品「失われた時を求めて」へと、連なっていることが見えてきたと、書かれていますが、おもしろい視点だと思いました。
わたしは、ノルマンディにあるエトルタに、結婚式に招かれて行ったことがあるのですが、あの辺りに住む人々やマルシェの様子、そして、エトルタに残されているモーパッサンの住んでいた家も訪ねたのですが、室内にあった彼の机などからは、あの時代の雰囲気や空気感も感じることができたのを思い出します・・。
「失われた時を求めて」の中で、主人公はノルマンディの架空の町バルベックの浜辺でアルベルチーヌに初めて会うのでしたから、アルベルチーヌは、海野さんのお考えのように、海の浜辺のイメージを背負っているともいえるのかもしれません。
それにしても、海野さんの書かれた「プルーストの部屋」を20年前に読み、今度は20年後に「プルーストの浜辺」をこの「コロナの夏」に読んだというのは、わたしのプルーストをめぐる年月の読書のおもしろいめぐりあわせだと感じたのでした・・。
海野さんは「プルーストの部屋」を、書かれてから20年後に、この「プルーストの浜辺」という本を、上梓なさったのですが、わたしのプルーストをめぐる読書の旅も、まだまだ続きそうです・・。
0 件のコメント:
コメントを投稿