2025年9月25日木曜日

「ニューヨーク散歩・街道をゆく39」司馬遼太郎著 朝日文庫

 

 9月も半ばを過ぎ、ようやく、秋らしい気候になってきました。散歩をしていると、虫の音が聞こえてきて、秋を告げています。散歩道には秋の定番の野草の「ノハラアザミ」があちこちに咲きみだれ、ハチや蝶が次々に蜜を吸いにやってくるのを見ていると、足を止めて見惚れてしまいます。




 先日、須賀敦子さんの「塩一トンの読書」という本を読んでいましたら、司馬遼太郎さんの街道をゆくシリーズの「ニューヨーク散歩」の書評が出ていました。司馬さんはドナルド・キーンさんのコロンビア大学での定年退職を記念する会での講演のためのニューヨーク訪問とのことでしたが、わたしは、キーンさんのファンでしたので、興味を持ちさっそくこの本を注文して、読んでみました。

 須賀さんは、「この本がユニークなのは、日本とかかわって「生きた」あるいは、「生きている」何人かのアメリカ人を司馬さんは、愛情込めて書かれている」と、ご指摘なさっているのですが、やはりその代表は、ドナルド・キーンさんなのかなと、思います。

 キーンさんは、2012年3月に日本国籍を取得し、日本人になられたほど、日本を愛していらしたのですが、キーンさんも司馬さんもいまではもう、お二人とも星になられています。須賀敦子さんもですが・・。



 キーンさんの本は、20冊以上持っているのですが、その中には司馬さんとの対談本「世界のなかの日本」もあります。本のなかで司馬さんは、キーンさんのことを「懐かしさ」と、表現なさっていたのですが、わたしも、講演会でお会いした時の印象では、やはりそのような感じがしたのを思い出します。

 コロンビア大学には、「ドナルド・キーン日本文化センター」があり、その設立には、バーバラ・ルーシュさんのご活躍があったというのは、知りませんでした。彼女はコロンビア大学の教授で、「奈良絵本」の研究もなさっているとのことですが、彼女のエピソードにとても惹かれました。



 それは、バーバラさんが少女時代に来日なさったときに、奈良の尼寺のパンフレットの尼僧の写真に魅せられ、財布にいれて長年大事に持っていらしたそうですが、後に「御伽草子」という本に出ていた「横笛」という名前の女性であることがわかり、感激なさったとのことでした。

  このエピソードにはわたしも感動してしまったのですが、司馬さんのこの本で、このようなお話を知ることができたのは、うれしいことでした。

 司馬さんの街道をゆくシリーズの「ニューヨーク散歩」は、須賀敦子さんの書評から、たどりついた本ですが、キーンさんの日本の文学を世界に広めてくださった功績のことなどを改めて思い感謝してしまった読書でした・・。





2025年9月13日土曜日

読書・「清川妙の萬葉集」清川妙著 集英社

 

 我が家の庭で見つけた小さな秋・・・。

 まだ青い「ヤマグリ」の「イガ」ですが、朝のひかりの中でシルバーグリーンに輝いていて、とてもすてきでした・・。





  秋のはじめのこの季節になると、わたしの好きな額田王のこの歌がいつも思いだされます。

 「君待つと我(わ)が恋ひ居(を)れば我(わ) がやどの簾(すだれ)動かし秋の風吹く」
                        (四八八 巻四)



 額田王が、夫である天智天皇がいらっしゃるのをお待ちしていると、すだれを動かして秋の風が吹いてきますというさりげない歌ですが、額田王の恋の心情が、季節感の中でさらりと歌われていて、光景が目に浮かぶようで、大好きな歌です。




 そして、この歌も同じぐらい好きな歌です。
 
「あかねさす紫野(むらさきの)行き標野(しめの)行き野守(のもり)は見ずや君が袖(そで)振る」
                          (二○ 巻一)
 
 この歌は、学生時代に国文のA先生が、朗誦してくださったお声がいまでも耳に残っているほどで、あの「あかねさす、むらさきのゆき、しめのゆき」というやさしい語感にも好感を持ったのを思い出します。

 標野での狩りのときに、昔の恋人の大海皇子(おおあまのみこ)が、額田王に手を振っているのですが、野守に見られてしまうことを心配しているようです。

 袖や手を振るのは、相手を愛していますというジェスチャーで、この野守というのは、大海皇子の兄の天智天皇なのではと、清川さんは、書かれているのが新説かなとおもしろく感じたのですが、わたしは、やはりそのまま野守のほうが自然かなと思うのですが・・。






 また、この歌には、大海皇子のこの歌が返されています。

「紫草(むらさき)のにほへる妹(いも)を憎くあらば人妻故(ゆゑ)に我(わ)れ恋ひめやも」
                       (ニ一 巻一)

 紫草のように美しく匂うようなあなたが憎かったら、このように恋いこがれるでしょうかという意味の答歌ですが、わたしには、狩りの夜の宴会のような席で、大人の男女として座興のように昔の恋人に対して、歌った歌にも見えてしまいます。

 額田王が、大海王子と恋していたときには、娘まで生れていた仲だったのに、いまでは大海皇子の兄の天武天皇と結婚しており、そのようになってしまったいきさつについては、清川さんもわからないと書かれていますが、それにしても、いろいろと想像してしまうような興味深い二首だと思います。

 二人の天皇になった兄弟に愛された額田王の絵は、以前に滋賀県立美術館を訪ねたときに
見て、印象に残っています。安田靫彦さんの描かれた「飛鳥の春の額田王」ですが、その絵からも、やはり彼女は、「美貌と知性に輝いていた人だった」のではと、想像できました。

 わたしにとって万葉集といえば、学生時代に国文科で学んだこともある歌集ですが、斎藤茂吉さんの「万葉秀歌」、大岡信さんの「わたしの万葉集」、中西進さんの「万葉集」そして関連本などもあわせると、30冊近くも人生のおりおりに、それぞれに興味を持って、読んできた懐かしい本です。

 でも、最近では、この清川妙さんの書かれた「清川妙の万葉集」が読みやすく手に取ることが多くなりました。古本屋さんで求めた装丁の美しい単行本と、読みやすい文庫本の2冊を大事に本箱に置いてあります。

 



2025年9月5日金曜日

読書・「翻訳はおわらない」野崎歓著・ちくま文庫

 

 9月に入り、散歩道でツリガネニンジンが風に揺れて咲いているのを、見かけるようになりました。今年の夏は、昨年よりも酷暑とのことですが、ツリガネニンジンのようなかわいらしい花を見ると、すずやかな風鈴の音色がひびいてくるようで、ほっとします。




 野崎歓さんの書かれた「翻訳はおわらない」を読みました。この本は、友人からのプレゼントで、著者の野崎さんは、先月の8月にNHKのTV番組【「100分de名著」・「人間の大地」サン=テグジュペリ】にも出演なさっており、穏やかに話されるお姿に好感を持ったばかりでしたので、興味深く読むことができました。

 この本でわたしが特に興味深く感じたのは、「シルヴィ」という本を書いて、プルーストにも影響を与えたジェラール・ド・ネルヴァルが、翻訳家として紹介されていることでした。ネルヴァルは19歳でゲーテの「ファウスト」を翻訳し、その本は21世紀のいまでもフランスでは文庫版で広く読まれているとのこと。

 「シルヴイ」を本箱から探して開いてみると、はしがきにやはりネルヴァルは、ゲーテの「ファウスト」第一部を翻訳して、ゲーテの激賞するところとなり一躍有名になったと、書いてありました。野崎さんは、「シルヴイ」も入っているネルヴァルの作品集「火の娘たち」を翻訳なさっているとのことなので、出版されるのが楽しみになりました。何といってもジェラール・ド・ネルヴァルの書いた「シルヴイ」は、あのプルーストに影響を与えた作品なのですから・・。



 

  また、ゲーテの「ファウスト」は、森鴎外も翻訳しているという話から、鴎外の孫の山田ジャック(ジャックとは難しい漢字一文字です。)さんのお話になり、何と野崎さんは、仏文の学生時代にジャック先生の生徒だったとか。以前に読んだ森茉莉さんのエッセイにご子息のジャックさんのお話が出てきたことがあるので、お名前は知っていたのですが、彼は仏文の先生だったのですね・・。ジャック先生は、フローベールの「ボヴァリー夫人」や「感情教育」なども翻訳なさっており、翻訳家や仏文の先生としてのジャック先生のことを敬愛なさってなさっていたことが、伺えたのでした・・。



 本の中ほどに、野崎さんが通訳なさった小説家のナンシー・ヒューストンさんの講演でのこんな言葉が紹介されていました。

「翻訳は、裏切りではないというだけではありません。それは人類にとっての希望なのです」

                         引用28p

 野崎さんは、これ以上の翻訳論はないと書かれていますので、この言葉は彼の翻訳人生の指針になられたのではと、想像できました。

 わたしの場合、翻訳といえばいつもプルーストの「失われた時を求めて」を翻訳なさった井上究一郎先生、鈴木道彦先生、吉川一義先生、そして、高遠弘美先生など4人の先生方のことを考えてしまうのですが、わたしに「読書の喜び」を与えてくださった先生方の翻訳には、いつも感謝しております。

 野崎歓さんの今後の翻訳に期待しつつ、本を閉じました・・・。