2026年1月30日金曜日

読書・「ムッシュー・プルースト」セレスト・アルバレ 三輪秀彦訳 早川書房

 

 ドライフラワーになってしまったヤマユリの実に、こんもりと雪が積もっています。わたしにとっては、いつも見慣れている冬の風物詩ですが、もう少し気温が高くなれば、融けてしまいそうです。

 ヤマユリの実のドライフラワーは、空に向かって口を広げ、冬の寒さにもめげず、凛として立っている姿には、いつも元気をもらっています!




 「ムッシュー・プルースト」を、読みました。この本は、以前から読みたいと思っていたのですが、古本で見つけて購入したものです。

 1922年11月18日にプルーストが亡くなるまでの8年間、昼夜を逆にして献身的に尽くした家政婦兼秘書、そして、後には大事な話し相手にまでなったセレスト・アルバレ。

 そのセレスト・アルバレが、プルーストの没後50年に沈黙を破り、「ムッシュー・プルースト」のことを、聞き書きとして残してくれたのが、この本ですが、とてもおもしろく3日で読んでしまいました。

 彼女がプルーストに初めて会ったのは、1913年、プルーストの運転手だったオディロン・アルバレと結婚して田舎からパリに出てきたばかりの頃、プルーストの家の台所だったとのことです。

 その時のセレストのプルーストの印象は、

「偉大な殿様」

 だったとのことで、彼女にとっては、忘れられないほどの強烈な印象だったようです。

  (この本の翻訳者の三輪秀彦さんは、「偉大な殿様」と、訳されていますが、わたしの想像では、原文は「grand  monsieur」?かなと思ったのですが・・。)

 プルーストも、セレストの人間性を見抜いて気に入っていたのではと、思います。

 その後、第一次世界大戦がはじまって、セレストの夫のオディロンが戦争に行ったこともあり、家政婦として、住み込むことになったとのこと・・。

 セレストは、昼夜を逆にして、小説を書く病人プルーストの世話を献身的にするようになったのですが、それはプルーストのやさしい人柄と知性、そして彼が自身の命を削ってまで小説を書く芸術家としての真摯な姿に深く共感し、「尊敬」していたからなのだと納得したのでした。

 プルーストもそのようなセレストにいつも感謝しており、次第に二人での深夜の会話を楽しむまでになったことなどからも、この二人の間には深い絆があったのだということがよく理解できました。

 


 

  また、あたらしい発見として、プルーストは、社交界に出入りしていた若いころ、上着の襟元にはいつも「椿の花」を飾っていたそうですが、それは喘息の病があった彼が、匂いのない花を選んだからということ。

 それから「失われた時を求めて」に出てくる「パリの街の物売りの声」は、プルーストがオデュロンにパリの街の中にでかけて、声を聞いて採集してくるようにといって、その声を本の中に取り入れたということなどは、興味深く読みました。

 プルーストが、セレストとの会話を楽しむようになったときには、彼自身の初恋の話や家族の話もあったとのこと。そして、その話に対するセレストからの素朴で率直な反応は、プルーストの作品の中にもいかされていたようです。

 この本は、8年間もプルーストの身近で献身的に支えたセレストが、彼の魅力的な人間像をわたしたちに残してくれた稀有な本だと思いました・・。

 



2026年1月24日土曜日

読書・「マルセル・プルースト」エドマンド・ホワイト著 田中祐介訳 岩波書店

 

 1月20日は、大寒でした。今年の冬は例年になく寒波が続いていて、寒い冬になっています。きょうは久しぶりの冬ばれの朝で、青空が目にしみるようでした。

 庭のうさぎの置物もまだまだ雪の帽子をかぶったままです。公園に行ってみると、ウサギの足跡があちこちにあり、エサをさがしているようでした。


               庭のウサギの置物

 エドマンド・ホワイトの書いたプルーストの評伝「マルセル・プルースト」を、読みました。この本は、池袋のジュンク堂で購入した記憶があるのですが、岩波書店の「ペンギン評伝双書」で2002年に第一刷発行と、書いてありますので、20年前ぐらいから本箱にあったもので再読です。

 エドマンド・ホワイトは、アメリカで著名なゲイの作家と、紹介されていますが、いままでに読んだプルースト研究者の本とはとても違っていて、小説家の視点で非常におもしろく書かれていて数日で一気に読んでしまいました。

 エドマンド・ホワイトは、自身のゲイとしての苦悩なさった人生経験からだと思うのですが、ゲイとしてのプルーストを見る視線がとてもやさしく人間愛に満ちていて、しかも彼の小説家としての見識や彼自身の知性の深さも感じられる評伝になっていると思いました。


              公園のウサギの足跡


  わたしが特に注目したのは、エドマンド・ホワイトが、プルーストと、あのジェイムズ・ジョイスの書き方を比べてこんな風に書いているところでした。

・-・-・

プルーストのどのページを開いても、精神の働きが転写されているーーーそれは、特異な語彙と個人の枠組に限定された偏見を備えた登場人物であるモリー・ブルームやスティーブン・ディーダラスのものである意識の乱雑な流れとは異なり、一つの精神、一つの声によってすみずみまで調整されて、つねに統制のとれている内省なのである。至高なる知性がそこにはある。

・-・-・

        引用 164~165p

 

 エドマンド・ホワイトの見識がうかがえる箇所だと思いますが、20世紀文学のプルーストと並んで、双璧といわれているジェイムズ・ジョイスをこのように比べて論じているのは、わたしのようなプルーストファンとしては、うれしくなってしまうような見解でした・・。

(ジェイムズ・ジョイスのユリシーズは、長年、積読本だったのですが、ようやく昨年読み終えたばかりでしたので、エドマンド・ホワイトの考えに共感したのでした。)

 プルーストの「失われた時を求めて」を、エドマンド・ホワイトが自身のゲイとしての立場から、プルーストのゲイとしての核心にふれているこの本は、とても読みやすく、プルーストの初心者にも読み返しているファンにとっても、おもしろい評伝になっていると思いました・・。




        凝った表紙の本で、上表紙が丸く切り取られていて、本体の

          プルーストの写真の顔が見えるようになっています。

          


2026年1月17日土曜日

読書・「プルースト評論選Ⅱ芸術篇」マルセル・プルースト著 保刈瑞穂・編 ちくま文庫

 

 雑木林を散歩していると、落ち葉の中に、あざやかな若草色の「ウスタビガのまゆ」を、見つけました。最近はめったに見つけることができないので、超ラッキー!!と、うれしくなってしまいました。

 それにしても、若草色は、春の贈り物のようで、イヤリングにしてもかわいいかもしれません。




 プルーストの評論選を前回の文学篇に続き、芸術篇を読みました。この本も、ずっと本箱にある本で、久しぶりの再読でした。

 本の帯には、「「卓越した美術批評家でもあったプルースト。渾身の雄篇「ジョン・ラスキン」「読書について」、絵画論などを収める。」」と、書いてあるように、読み応えのあるプルーストの評論本です。

 特に「読書について」は、プルーストが翻訳したラスキンの「胡麻と百合」の翻訳本の序文ということもあり、おもしろく読みました。プルーストは、ラスキンのというよりも、ほとんど自分の読書論を書いているのですが、出だしの文などは、まるで「失われた時を求めて」を、読んでいるのかなと思ってしまうほどで、こんなはじまりなのです。

・-・-・

 もしかしたら、私たちの少年時代の日々のなかで、生きずに過ごしてしまったと思い込んでいた日々、好きな本を読みながら過ごした日々ほど十全に生きた日はないのかもしれない。

                   ・-・-・引用「読書について」78p




 また、79pのパンジーについての描写も、まるで、「失われた時を求めて」の中の一文のようです。

・-・-・

 そしてパンジーは、あまりにも美しく色とりどりな空、時おり村の家々の屋根のあいだに見える教会のステンドグラスを映したかのような空、夕立のまえ、あるいはあと、あまりにも遅く、一日が終わろうとしている時になってあらわれる淋しい空から摘み取られたかのようだった。・・・

           ・-・-・ 引用「読書について」79p~80p


 視覚に訴えてくるすてきな文ですが、このようなプルーストらしい文を読むと、彼の細部にこだわる感性の表現は、このころからすでに確立されてきたのかと思えました。

 プルーストの文学の美学は、ラスキンを翻訳したことから影響を受け、それがプルースト自身の文学論の確立をへて、最後には「失われた時を求めて」に、いきついたのだと確信したのでした・・。

「読書について」の最後の文は、ヴェネツィアのピアツェッタに立つ二本の花崗岩の円柱、一本は灰色、一本は薔薇色についてですが、プルーストは

・-・-・

「夢のような印象を感じる」

         ・-・-・

と表現し、それについてのすてきな長い文を書き、最後に

・-・-・

「その過去はじっと動かずに日を浴びている。」

         ・-・-・

でこの「読書について」の序文は、終わっています・・。


 わたしは、ヴェネツィアにも行っているのですが、そのときにはまだ、この文を知らず、とても残念に思うのですが、ギリシャのアテネやコリントの遺跡で見た、円柱を思い出すと、このプルーストの文が、あまりにもぴったりとわたしの感性に訴えてきて、胸がきゅんとしてきてしまうのでした・・・。



 


2026年1月7日水曜日

読書・「プルースト評論選Ⅰ文学篇」マルセル・プルースト著 保刈瑞穂・編 ちくま文庫

 

  散歩道では、サルトリイバラや、ノイバラの赤い実は、もうすっかり姿を消してしまい、もういまでは、こんなヘクソカズラの飴色の実だけが、残っています。

 見慣れているヘクソカズラの実ですが、よく見ると、色もシックで茎の造形もすてきなことに気づきました・・。

 


  「ブルースト評論選Ⅰ文学篇」穂刈瑞穂選 ちくま文庫を昨年の12月からランダムに再読しています。この本は、わたしの本箱でいつも見慣れているのですが、発行年を見てみると、2        002年に第一刷と書いてありますので、もう20年以上も前に購入したもので、愛着のある本になっています。

 この本の選者の穂刈瑞穂さんは「あとがき」で、こう書かれています。「失われた時を求めて」を読んだ読者に、今度は批評家プルーストの魅力を発見してもらえるように、プルースト全集の中から特に読んでもらいたいものを選ばれたとのこと。
 翻訳者は評論ごとに、穂刈瑞穂さんをはじめ、吉川一義さん、鈴木道彦さんなど、6人の方々です。

 わたしもいつも思っているように、すぐれた小説家はすぐれた評論家でもあるということが、再確認できるプルーストの文学の秘密のようなものが、いっぱいつまっている本で、推理小説でなぞときをするような気分で、読み直したのでした。





 わたしは、前回もそうでしたが、今回も、「プルーストによる『スワン』解説」のなかのプルーストのこんな言葉に惹かれました・・。

 357pからの引用です。
・-・-・
「文体というものは、ある人びとが考えているのとちがって、いささかも文の飾りではありません。技術の問題ですらありません。それはーー画家における色彩のようにーーヴィジョンの質であり、われわれ各人が見ていて他人には見えない特殊な宇宙の掲示です。一人の芸術家がわれわれに与える楽しみは、宇宙を一つ余分に知らせてくれるということなのです。」
・-・-・

 芸術家にとって大事なものは、「ヴィジョンの質・・」であり、
 それは「特殊な宇宙の掲示である・・」

 しびれてしまうようなすてきな言葉です・・!

 また、

 「一人の芸術家がわたしたちに与えてくれる楽しみは、宇宙を一つ余分に知らせてくれること・・。」

 これも、すてきです!






 わたしのような読者にとって、プルーストを読むということは、まさにこういうことなのだと、再認識させてくれる本なのでした・・。

 また、プルーストは本についてこのようにもいっています。

引用195p「サント=ブーヴに反論する」から
・-・-・
「優れた文学書の場合は、読み手の側のどんな誤読も、すべて美しいという風になってしまう。」
・-・-・

 「誤読を恐れずによみましょう」という言葉は、立教大学で開かれたセミナー「新訳でプルーストを読む」でも聞いた言葉ですが、ここにプルーストの言葉として書かれていたのでした・・。

 プルーストの評論は、あちこちにこのような宝石のような言葉が、ちりばめられていて、読者を楽しませてくれる本でもあったのでした・・。 







2026年1月2日金曜日

2026年1月1日の初日の出・・・(パバロッティのオペラのアリアと、スワンのマロングラッセ・・)

 

 2026年1月1日の初日の出です。

 


 日の出を見ると、いつも思い出すことがあります。だいぶ前の話ですが、アメリカに住んでいたメル友が帰国なさった折に、うちにも訪ねてきてくださったことがありました。

 みんなでワインを飲んで話がはずんで徹夜をしたのですが、朝方にパバロッティのオペラのアリアを聴きながら、日の出を見たのでした。

 その時以来、パバロッティのはりのあるすばらしい声量で歌い上げるアリアは、日の出の風景といっしょに、忘れられない思い出になっています。

 もういまでは、徹夜もしなくなりましたが、お正月になるとなぜかいつも、その時のことが思い出されて、パバロッティのアリア集を、聴いてしまうようになったのでした・・。

 それと、もうひとつ新年になると思い出すのは、プルーストの「失われた時を求めて」の中で、スワンが主人公の家に、新年になるとマロングラッセを「てみやげ」としてもってくるという場面です。

 マロングラッセは、わたしの大好物でしたので、そのせいかもしれませんが、その場面は、「新年のスワンのマロングラッセ」として、印象に残っているのです。

高遠弘美さんの訳を引用させていただきます。

・-・-・-・

スワンの気まぐれは他の人達にも興味深いだろうと考えていた大叔母は、パリにいるとき、スワンが元日にはいつもそうするようにマロングラッセを一袋持ってきたりすると、・・・・」

・-・-・-・  引用「失われた時を求めて①第一篇「スワン家のほうへⅠ」55p


 「失われた時を求めて」は、そういう細部の風俗や習慣なども楽しむことができ、わたしのような読者にとっては、うれしいことです・・・。



     (これは、太陽がのぼる直前に写した写真ですが、朝焼け雲が、

       ピンクの中にオレンジがかった黄色が入り、クロード・モネという名前の      

           薔薇の花のようでした・・・。)