ユキザサが散歩道で咲いています。葉が笹のようで、白い小さな花が雪のように見えることから「ユキザサ」という名前がつけられたようですが、同じ場所に群れて咲いているのを遠くから見ると、やはり雪がふわっと積もっているようにも見えます・・。
よく見ると、小さな6枚の白い花びらが、それぞれ、くっきりと、ひろがっていて、まるで線香花火の火花がパチパチとはじけるようにも見え、元気をもらえる花です・・。
ユキザサが散歩道で咲いています。葉が笹のようで、白い小さな花が雪のように見えることから「ユキザサ」という名前がつけられたようですが、同じ場所に群れて咲いているのを遠くから見ると、やはり雪がふわっと積もっているようにも見えます・・。
よく見ると、小さな6枚の白い花びらが、それぞれ、くっきりと、ひろがっていて、まるで線香花火の火花がパチパチとはじけるようにも見え、元気をもらえる花です・・。
キンポウゲが、あちこちで咲いているのを見かけます。この花は「ウマノアシガタ」という名前が正しく、「キンポウゲ」は別名で、八重咲きをさす名前だったとか・・。
かわいいピカピカ光る5枚の花びらが長い茎の先で、かすかな風にも揺れて咲いているのを見るのは、初夏の訪れを告げているようで、こころがなごみます。
この花は、プルーストの「失われた時を求めて」にも出てくる花で、わたしはキンポウゲが出てくる場面が大好きです・・。
「プルーストの花園」というマルト・スガン・フォントさんが描かれたプルーストの本に出てくる花の絵を集めた本があるのですが、もちろん、キンポウゲも載っています。
花の絵に添えられているプルーストの本文を読んでみると、この花のルーツはヨーロッパではなく東洋にあるのではと思い、学名を調べてみましたら、キンポウゲ科・キンポウゲ属で「Ranunculus Japonicus」と書いてありました。
この「Ranunculus Japonicus」は、東アジアに広く自生しているとのことで、やはりルーツは東アジアのようで日本でも全国に広く分布しているとのこと・・。
わたしが子供のころ、この花は毒があるので、さわらないようにと言われていたのを、思い出し手持ちの図鑑で確かめてみましたら、やはり毒があるとのことで、こんな句が添えられていました。「毒持ちて花美しき金鳳花」寿山淑水
プルーストは、キンポウゲのことをこんな風に描いています。「プルーストの花園」から鈴木道彦さんの訳の引用です。
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キンポウゲ
Boutons d'or
キンポウゲは、草の上で遊ぶために大挙してこの場所にやってきたのか、ひとり離れていたり、対になったり、群れをなしたりしながら、大変な数に上っており、それが卵の黄身のように真っ黄色で、しかも卵の黄身よりいっそう輝いているように見えた。というのもこの黄身は、視覚の喜びを与えはするが、それをこっそりなめてみようといった誘惑は起り得ないので、私はキンポウゲの黄金色の表面にただ視覚の喜びのみを積み上げてゆき、ついにそれは無用な美を作りあげるほどに強力になっていったからだ。そしてこれはごく幼いころからそうだった。そのころ私は、曳船の小径からキンポウゲに向かって手をさし出していたけれども、フランスのお伽噺の王子のように可愛らしいこのキンポウゲという名前も、まだ完全には綴れはしなかったのである。この花たちは、たぶん何世紀も前にアジアから渡ってきて、永久にこの村に住みつき、ささやかな地平線に満足し、太陽と水のほとりを愛し、汽車の駅のつつましい眺めをいつまでも見捨てることなく、しかもその庶民的な単純さのなかに、まるでフランスのある種の古い油絵のように、東方(オリエント)の詩的輝きをこめているのだった。
スワン家の方へ Ⅰ
・-・-・-・-・-・-・ 引用104p
わたしは、このキンポウゲが、ロンドンの運河のほとりの原っぱに一面に咲いているのを見たことがあるのを思い出したのですが、プルーストが見たのも、やはり水のほとりの曳船の小径だったようです。
英国では、このピカピカと光る花びらのことからか、バターカップと呼ばれていましたが、フランスでは、Boutons d'or 金色のボタン なのですね。
プルーストは、キンポウゲのことを「フランスのお伽噺の王子のように可愛らしい名前・・」と言っていますが、サン=テグジュペリの描く金色の髪の「星の王子さま」の姿を思い出してしまいました。
また、キンポウゲは、「オリエントの詩的輝きをこめている」とも言っていますが、さすがプルースト、すてきな言葉です・・。
毎年、初夏のこの季節に咲くキンポウゲを見ると、いつもプルーストの花だと思ってしまうのでした・・。
チゴユリが、林の下で咲き始めました。チゴユリは、名前につく「稚児」のように小さな白い可愛い花です。この花を最初に見たときには、何とかわいらしい花だと、いっぺんに好きになったのを思い出します。小さくて白い花が大好きですから・・。
海野弘さんが、書かれた「プルーストの部屋」上・下の2冊を久しぶりに再読しました。この本は、2002年1月に初版と書かれていますので、もう20年以上も前にプルーストと並行して読んだことを、懐かしく思い出すのですが、本箱の中で、もうすっかりセピア色になっていました。
(海野さんの本は、このほかに本箱には「プルーストの浜辺」や「パリの手帖」などの単行本が2冊もあったのですが、これらは以前に古本屋さんで購入して読んだようです。)
海野さんは、「アール・ヌーボーの世界」などの本も書かれ、プルーストが生活していた時代の専門家でもあり、当時のパリの様子や室内装飾、ファッションなど、風俗史、美術史、演劇史などの面から「失われた時を求めて」の世界を描かれていて、興味深く読むことができました。
上の巻では、「スワンの恋」に出てくる、スワンやオデットという名前から、世紀末のアール・ヌーボーの世界は、白鳥の首の曲線を好み、また、白鳥は、「時」の象徴であることなどから、海野さんは
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「失われた時を求めて」のテーマを象徴する「時」の物語として、プルーストは「スワンの恋」を置いたのではなかったろうか。
・-・-・-・ 引用37p
と、推論なさっていますが、このような彼の視点は、おもしろいと思いました・・。
また、この「プルーストの部屋」では、多くのページに何度も、恋人のアルベルチーヌのために作ったフォルチュニーのドレスの話が出てきますが、このフォルチュニーのドレスのデザイン展が日本で2019年に開催されたときに見に行ったのを思い出します。
「マリアノ・フォルチュニ織りなすデザイン展」というタイトルで東京の三菱一号美術館で開かれていたのですが、その時のことは、このブログの2019年7月30日にアップしています。
「失われた時を求めて」は、このようにプルーストの世界を、ファッションなどの面からも多面的に楽しめる魅力を持っており、わたしのような読者には、うれしく思います。
この本は、「マリ・クレール」という雑誌に写真いりで連載されていたものを、単行本化し、その後に文庫化されたとのこと・・。著者の海野さんは、長年アール・ヌーボーの研究をなさっていたことから、プルーストの生きた時代を、より視覚的、具体的に興味深く描かれており、「失われた時を求めて」の世界を、もう一度楽しく読み直すことができたのでした・・。
先日、林の下にひっそりと咲く、「ヒトリシズカ」を見つけました。「ヒトリシズカ」は、「一人静」と書き、あの義経の恋人だった静御前の白拍子の姿が語源とのこと。4枚の葉の中央に、糸のような真っ白の花が咲く風情は、いつもさみしそうな花だと思ってしまうのは、わたしだけでしょうか・・。
「寝る前5分のモンテーニュ」を、読みました。著者のアントワーヌ・コンパニョンさんは、プルーストやモンテーニュなどの専門家で、フランス文学者です。
実はアントワーヌさんには、2021年5月15日と16日に、オンラインで開催された日仏シンポジウム「プルーストー文学と諸芸」に参加させていただいたときに、フランスからライブ映像で、講師のおひとりとしてお目にかかっています。
また、アントワーヌ・コンパニョンさんが著者のおひとりの「プルーストと過ごす夏」という本も読んでいるので、この本は彼の著書の2冊目になります。どちらも、フランスではベストセラーということで、人気の本だとか・・。
ところで、この本は、モンテーニュの入門書として、フランスのラジオ番組のために書かれた5分のシナリオを書籍化したとのことで、40章のひとつひとつが短く読みやすく、「エセー」のエッセンスを上手にまとめていらっしゃると思いました。
モンテーニュは、父の方針で言葉を話し始めるころからラテン語の教師をつけてラテン語をフランス語よりも先に覚えさせられたとのことですが、この「エセー」をラテン語ではなく、フランス語で書いたのは、彼の想定する読者の言語であったからとのこと。
また、彼は、父が建てた現存する丸い塔の中で、できるだけ長い時間を過ごし、読書や思索、そして執筆のために閉じこもったとのことですが、その塔の中にある図書室は、家事や公的生活からの避難場所でもあったのだとか・・。
彼はこの本で、自分のことのみ書いて思索していますが、膨大な読書の結果、クセジュ 自分は何を知っているのか?(何も知っていない・・)という言葉を残しています。賢明なる無知のことで、知の無限さを感じさせるようで好きな言葉です。
この「エセー」についてモンテーニュは、こんな風にも書いています。
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わたしがこの書物を作ったというよりも、むしろ、この書物がわたしを作ったのである。これはその著者と実体を同じくする書物である。
・-・-・-・ 引用90p
この本は、モンテーニュの「エセー」の入門書ですが、短い40章の部分、部分が、大著「エセー」のエッセンスになっており、楽しんで味わって何度でも読み直したくなる本になっていると思ったのでした・・。