2026年4月20日月曜日

読書・「プルースト 読書の喜び」わたしの好きな名場面 保苅瑞穂著 筑摩書房 (3度目の読書・・)

 

 散歩をしていると、あちこち、いたるところに、タチツボスミレが咲いているのをみかけるようになりました。このタチツボスミレは、春一番に咲く可憐な花ですが、スミレの仲間では、いちばん多く見られる庶民的な花です。

    ♪菫程な小さき人に生まれたし   漱石

 私の好きな漱石の俳句ですが、この句のスミレは、タチツボスミレのように思えてなりません・・。




 保苅瑞穂さんの著書の「プルースト 読書の喜び」を、読みました。良い本は何度読んでも楽しめますが、今回は3度目です。(このブログでは、2020年8月9日、2023年3月21日に感想をアップしています。)

 というわけで、この本は、無性にプルーストの名場面が読みたくなったときに読む愛読書になっています。

 今回は、「Ⅶ 春の驟雨ー井上究一郎先生に」という章が心に残りました。

 わたしは、井上究一郎さんを、日本でプルーストの個人全訳を最初になさった方で、とても尊敬しているのですが、保苅さんにとっても、尊敬なさっている先生だったようです。(お二人ともに東大の仏文とのこと・・)

 保苅瑞穂さんが、井上究一郎先生に捧げるこの章は、春の驟雨という題もついているのですが、バルベックに咲くりんごの花の光景の描写がとてもすてきなのです。


      


 わたしもこの場面は以前からずっと好きでした。

 ノルマンディの青い海と、青い空を背景に、うすべにをさしたような白いりんごの花が、かがやくように咲いているところにアオガラが飛んできて、花のあいだを飛び回る光景は、いつも目に浮かぶように鮮やかに感じられるのでした・・。

 (わたしはいつも、なぜかこの場面では、ゴッホが弟のテオに息子が産まれたときに贈ったという絵を思い出してしまうのですが、それは、空のブルーを背景にして、アーモンドの木に咲く白い花が画面一面に輝いて咲いている絵です。)

 プルーストは、その光景が涙がでるほど感動的だったのは、フランスの農夫がフランスの広い街道に立っているのと同じように、野原の真ん中に立っているのが感じられたからとのこと・・。

 ノルマンディの大地にしっかりと根を下ろし、海と空の青を背景に咲いている白いりんごの花、そのまぶしいばかりに感動的な光景は、すてきです。

 そしてその光景は、まるで記憶の中の絵のように、読み返すたびにいつもわたしの脳裏に浮かんでくるのでした・・。






2026年4月10日金曜日

読書・「ユルスナールの靴」須賀敦子著・河出文庫 (再読・・)

  

 4月に入り、散歩していると「ホーホケキョ」というお馴染みのウグイスの鳴き声が、聞こえるようになりました。のどかですてきなBGMです・・。

 ウグイスの声が聞こえるようになると、ピンクの小さなかわいらしい「ミヤマウグイスカグラ」が、咲き始めます。初夏には、真っ赤な実をつけるのですが、甘いということです。



 須賀敦子さんの書かれた「ユルスナールの靴」を、再読しました。以前にもこのブログにアップしているので、2度目です。

 この本は、須賀さんの生前の最後の著作で、1996年10月に単行本として出されたようですが、わたしは、文庫本で読みました。

 本の最初に、プロローグとして、「きっちり足に合った靴さえあれば、どこまでも歩いていけるはずだが、そういう靴に出会わなかったことを不幸に思い、生きてきたような気がする」という意味のことを、書かれています。

 ですので、わたしには、須賀さんはこの本で、ご自分の足にきっちりと合った靴を探すため、ユルスナールの足跡をたどられたようにも思えてきます・・。

 ユルスナールの著作のことを、「強靭な知性にささえられた、古典的な香気を放つ文体」と書かれ、長年、魅了されてきたとのことですから。

 この本のあとがきで、須賀さんはこのように書かれています。

 ユルスナールのあとについて歩くような文章を書いてみたい。

 また、須賀さんが長い年月暮らされたヨーロッパとヨーロッパ人についての報告書でもあるとも・・。

 そして、究極的には、作品をたのしみ、著者であるユルスナールに興味を持たれて、ユルスナールが晩年暮らしたマウント・デザート島にまで、足を運ばれているのでした。



 須賀さんが、それほど魅了されたユルスナールですが、わたしもベルギーのアントワープに住んでいたときに、親しくなった知的な女性の大家さんから、ユルスナールの本の魅力について、教えていただいたことがあるのを思い出します。

 彼女はとてもユルスナールを誇りに思っているようで、著作を是非読むようにと、強く薦めてくださったのでした。ユルスナールは1980年にフランスで女性初のアカデミー・フランセーズの会員に選ばれています。

 須賀さんは、このようなヨーロッパの知性を代表するようなユルスナールの足跡を追うことにより、ご自分の文学を確立なさりたかったのかなと、いまはしみじみと思います・・・。

 この本が最後の著作になってしまわれたのは、ほんとうに残念でなりません。



(ユルスナールがパートナーと住んだマウント・デザート島の家は、記念館になっていて、PCの公式画像でも見ることができ、緑に囲まれた真っ白のすてきな家でした。)

 

2026年4月8日水曜日

音楽・思い出のタンホイザー序曲・・・(J-WAVE TOKYO MORNING RADIO)

 


 スプリングエフェメラル(春の妖精)と呼ばれる、大好きな白のキクザキイチゲが、いつもの場所で咲いていました。この花は、うすむらさき色もあるのですが、わたしはやはり白が好きです。




 今朝4月8日の朝の8時過ぎに、朝食の準備をしながらJ-WAVEのTOKYO MORNING RADIOを聞いていましたら、突然、あの懐かしい思い出の曲「タンホイザー序曲」が、流れてきました・・・。

 ワーグナーのオペラ「タンホイザー」の序曲です。この曲を初めて聴いたのは、すばらしい音響のアムステルダム・コンセルトヘボウでした。

 曲がはじまったときからすでに、体が硬直したような状態になり、あのヒュンヒュンヒュンヒュンという独特の弦楽器の音が流れてくると、涙さえ出てきたのでした・・。

 わたしにとっては、生涯で唯一無二の音楽体験と言っていい出来事でしたので、そのときのことは、いまでもはっきりと覚えています。

 まるで、ワーグナーの音楽の魔力にでもかかってしまったかのようでした・・。

 多分、この経験は一生忘れないだろうと思ったことも・・。




 当時のアムステルダム・コンセルトヘボウ管弦楽団の常任指揮者は、リッカルド・シャイーだったと思うのですが、すばらしい演奏でした。

 そのころは、ベルギーのアントワープに住んでいたのですが、チケットも電話ですぐにとれ、車で1時間ぐらいで行けたと記憶しています。

 ところで、今朝わたしが聞いたFMラジオの番組は、J-WAVE・別所哲也さんの、「TOKYO MORNING RADIO」でしたが、この曲は、「MORNING CLASSIC」のクラシック・ソムリエの田中泰さんが、選曲なさっていました。

 たしか、今朝の「タンホイザー序曲」の演奏は、メトロポリタン管弦楽団で指揮は、ジェイムズ・レバインさんだったと記憶しているのですが・・。

 ゆったりとした、丁寧で重厚感のあるクラシカルな演奏でした。

 別所さんのこのラジオ番組はときどき聴いているのですが、なつかしい思い出の曲を流してくださったことに、感謝します。

 きょうは、一日中、散歩のときも「タンホイザー序曲」のメロディが、頭の中でながれていました・・・。





2026年4月3日金曜日

読書・「コルシア書店の仲間たち」須賀敦子著 文春文庫 (人生ほど、生きる疲れを癒してくれるものはない)

 


  冬鳥のシメが、数日前から我が家のエサ台に陣取っています。くりくりしたするどい目と、硬い実を割ることもできる口ばしでヒマワリの種をくわえ、まるで辺りをヘイゲイしているかのよう・・。

 シメがいると、いつも来ているシジューカラやヤマガラは、見かけなくなるのですが、もうすぐ、北のシベリア方面に戻っていくようです・・。



 久しぶりに、須賀敦子さんが書かれた「コルシア書店の仲間たち」を、読みました。須賀さんの本は、20年以上も前に、本好きの方におもしろいからと、教えていただいて読んだのですが、やはりわたしも好きになり、いまでは全集まで揃えているほどです。

 久しぶりに読む須賀さんの本は、やはりおもしろく、2日で読んでしまいました。

 解説を書かれている松山巌さんは、この本を読み終えたあと感動なさり涙がこぼれおちたということですが、彼の人生ともシンクロなさるものがあったから・・と想像しました。

 須賀さんは、ミラノのコルシア・ディ・セルヴィ書店で出会った人々の思い出を、ひとりひとり、魅力的に描かれていて、すてきです。

 最初は、「テレーサおばさま」と呼ばれていた書店のパトロンのような存在のツィア・テレーサ、そしてこの書店をはじめたダヴィデ・マリア・トゥロルド神父(詩人でもある)をはじめ書店の仲間や友人たち・・・その中には、須賀さんが結婚なさったペッピーノさんもいました。

 須賀さんは、二十代から三十代にかけて、カトリック左派の共同体を仲間といっしょに夢みたこのコルシア書店の物語を、帰国なさった30年後に書かれているのでした・・。


 「人生ほど、生きる疲れを癒してくれるものはない・・・」本の帯に書いてある言葉です。

 生きることに疲れたとき、その疲れを癒してくれるのもまた、「人生」という意味でしょうか・・。

 須賀さんは、この物語の最後をこんな言葉で締めくくられています。

・-・-・-・-・

 若い日に思い描いたコルシア・ディ・セルヴィ書店を徐々に失うことによって、私たちはすこしずつ、孤独が、かつて私たちを恐れさせたような荒野でないことを知ったように思う。

・-・-・-・         引用232p