散歩道のあちこちではまだ、こんなうすいむらさき色のすてきな実を見ることができます。ムラサキシキブというゆかしい名前がついているのですが、今年の秋は、もうしばらくは楽しめそうです・・。
プルーストの「失われた時を求めて」を翻訳なさった鈴木道彦さんのエッセイ「異郷の季節」を、読みました。
鈴木道彦さんは、昨年の2024年に亡くなられているのですが、須賀敦子さんと同じ1929年のお生まれで、戦後間もない同じころに、フランスに留学なさっているのを知り調べてみましたら、須賀さんは、1953年からパリのソレボンヌ大学に、鈴木道彦さんは1954年からと一年違いだったようです。
このエッセイは、フランスに3回留学なさった鈴木道彦さんの回想記ですが、鈴木さんのお言葉によれば、「第一部はフランスでの生活や、アルジェリアでの見聞、第二部は、社会の余白に生きる人々、欄外から攻め上がろうとする人びとと接触した記録、そして第三部は鈴木さんの専攻するフランスの文学や思想にかんするもの」と、まとめていらっしゃいます。
この本の中での事実や行動は、鈴木さんの知識人としての人生の生き方を決められたのではと想像できました・・。
わたしは、サルトル追悼という鈴木さんのサルトル論を、いちばんおもしろく読みました。 サルトルは、鈴木道彦さんの生き方を変えたような偉大な知識人ですが、最後にサルトルへの感謝をのべてこのエッセイは終わっています。
鈴木道彦さんは行動する知識人として社会に参加する生き方を選ばれたのですが、そういえば、須賀敦子さんもイタリアでは、コルシア書店というキリスト教左派の運営や、帰国なさってからもやはり一時エマウス活動にかかわるなど、お二人ともに社会活動に関する生き方をなさっていて、翻訳という共通点もあり、興味深く思ったのでした。
鈴木道彦さんの異郷の季節とは、異国の人々とのかかわりあいの中で過ぎ去っていった人生の季節なのかもしれません・・。