2025年7月6日日曜日

読書・「モンテーニュ よく生き、よく死ぬために」        穂刈瑞穂著 講談社文芸文庫

 

 ノイバラの花も、もう終わり・・。散歩道には、白い花びらがはらはらと散っているのを見かけるようになりました。ノイバラの花を見ると、いつもわたしは、あの大好きな蕪村の俳句

「愁(うれ)ひつゝ岡にのぼれば花いばら」

を、思い出します。蕪村のこのような心情には、やはり清楚なノイバラの花がよく似合うように思うからです・・。 



 穂刈瑞穂さんが書かれた「モンテーニュ よく生き、よく死ぬために」を、もう1か月近くもランダムにゆっくりと読んでいます。

 穂刈瑞穂さんの本は、「プルースト読書の喜び 私の好きな名場面」筑摩書房と、プルーストの評論の文学と芸術を穂刈さんが選んで本になさったもの2冊、(「プルースト評論選Ⅰ文学篇」ちくま文庫「プルースト評論選Ⅱ芸術篇」ちくま文庫)を、読んでいたので、今回で4冊目になります。

 特に「プルースト読書の喜び」は、「失われた時を求めて」の中から穂刈さんのお好きな名場面を語るというもので、お人柄がしのばれるような静謐な語り口で、とても好感を持って読んだ読んだのを思いだします。



 この本も、モンテーニュの「エセー」から穂刈さんのお好きな文をとりあげて、ご自分のご感想と共に語られているのですが、ゆっくりと味わいながら読まれたことがよくわかりました。

 「モンテーニュ」は、わたしにとって未知の人でしたが、「私は何を知っているか Que  sais-je(ク・セ・ジュ) 」を、自分の座右の銘にしていたこと、

 そしてそれをソクラテスから学んだことを知り、彼の人生哲学の深さは、幼いころから古典の素養を学ぶなど英才教育を受けたことだけではなく、人間としての魅力にもあふれていた人だったからなのではと、想像をめぐらせてしまったのでした。

 「自分の無知を知ることが知恵の真の起源である」という彼の哲学は、すんなりとわたしのこころにも入りました・・。

  


 ところで、著者の穂刈さんは若いころに、2度もフランス政府の招待でパリに遊学なさっており、フランス政府にはとても感謝なさっているとのこと。そして当時のパリでの生活はとても楽しく、パリやフランスをこよなく愛するようになり、その後の人生を、フランス文学を日本に伝える道に進まれるようになったのだとか・・。 

 そういえば、「プルースト 読書の喜び」のあとがきには、2008年に長かった大学の勤めが終わったあと、思い切って日本を離れて大好きなパリに移り住まれたと書かれていたのを思い出したのですが、その後2021年7月10日に「念願のパリ」で83歳で亡くなられたのを最近知りました。

 穂刈さんの命日の7月10日は、プルーストの誕生日ですので、プルースト研究者でもあった彼のプルーストとの不思議なご縁も感じ、「モンテーニュ」の本のサブタイトル、「よく生き、よく死ぬために」という言葉は、穂刈さんご自身の人生哲学でもあったのでは・・と思いをはせた読書でした。



   



 



2025年6月25日水曜日

野生動物・アナグマさん、こんにちは!  「同じ穴の貉(むじな)」

 

 6月9日の午後3時頃、散歩の途中に何か側溝の中で、ごそごそと音がすると思いのぞいてみると、何とアナグマさんでした! 


 

 側溝の落ち葉の下には、虫やミミズがいるので、エサを探していたようでした。

 


 側溝の中から、顔を出して「こんにちは!」



 姿をあらわしたのですが、わたしを見ても、ぜんぜん警戒する様子がありません・・。




 正面から見ると、アナグマという名前のように、やはりクマに似ていました。
 こちらに向かって歩いてくるのかなと思っていたら・・



          反対方向に去っていってしまいました・・・。


  アナグマが人間に全く警戒心がないのは、天敵はオオカミとのことなので、怖い思いをしたことがないからなのかもしれません。

 アナグマは、雑食性で昆虫やミミズ、落ちた果物や野菜、穀物などを食べるとのことですが、このあたりでは、いまの季節には、野生のウグイスカグラのぐみのような赤い実や、モミジイチゴ、桑の実などの果実が実るので、アナグマさんも好物なのかなと思ったのですが・・。


                モミジイチゴの実


              ウグイスカグラの実


 アナグマは、「同じ穴の貉」ということわざの「ムジナ」のことで、以前にもこのブログ(2025年1月5日)で書いたことがあるのですが、こんなに近くで写真を何枚も写せたのは、ラッキーでした!







  

  


2025年6月11日水曜日

読書・「ジェイムズ・ジョイス殺人事件」バーソロミュー・ギル 岡真知子訳 角川文庫

 

 

 6月に入りました。散歩していますと、5月の中頃に咲き始めたキンポーゲが、まだあちこちで咲いているのを見かけます。そよ風が吹くと長い茎の先のレモンイエローの花が揺れて金色に光り、バターカップという英語の名前が思い出されるのですが、雨に濡れた風情もすてきです。  



  「ジェイムズ・ジョイス殺人事件」を、読みました。この本は、最近わたしがジェイムズ・ジョイスの「ユリシーズ」を読んだのを知った推理小説好きの友人からプレゼントしていただいたものです。推理小説を読むのは久しぶりでしたが、「ユリシーズ」を読んだばかりでしたので、おもしろく読むことができました。

 作者のバーソロミュー・ギルさんは、アイルランド系のアメリカ人で、ダブリンのトリニティ・カレッジで文学修士号を取得したとのこと。「ユリシーズ」はもちろん、ダブリンの街に住む人々や、アイルランドの国民性や文化の背景などにも通じており、ジョイス好きの読者にも興味深い文学ミステリーになっていると思いました。



  殺人事件の被害者は、ダブリンのトリニティ・カレッジの教授ケヴィン・コイル。世界的に有名なジェイムズ・ジョイスの研究家という設定で、ジョイスが使用していたというカンカン帽をオークションで買ったり、ジョイスと同様にトネリコのステッキなども持っているのですが、ブルームズディの6月16日(ユリシーズの主人公レオポルド・ブルームを記念する日)の翌朝に死体で発見されるのです。そして、その事件を解決するのが、容姿がジェイムズ・ジョイスとよく似ているピーター・マッガー警視正と部下なのでした。

 翻訳者の岡真知子さんによれば、「ユリシーズ」の舞台にもなっているマーテロ塔の「ジョイス博物館」には、この本「ジェイムズ・ジョイス殺人事件」も展示されているとのことですが、たしかにこの本を読めば、ダブリンに住む人々のことや、アイルランド気質などもわかり、よりおもしろくユリシーズの世界の余韻を楽しむことができると思いました。



 この本の最後は、「ユリシーズ」の本文の最後の部分(あのイエスがたくさん出てくる区切りのない長い文)からの引用の「イエス」で終わっているのですが、ジョイスの言葉遊びの世界の延長のようで、なぜかとても「粋」に感じました。

 作者の筆名のギルは、もしかしてアイルランドの詩人イェイツの詩「湖の島イニスフリー」にも出てくる「ギル」湖からとったのかな?と推理したのですが、どうなのでしょう・・。






 

2025年4月29日火曜日

読書・イェイツの詩「湖の島イニスフリー」・・・

 


 春の妖精(スプリング・エフェメラル)と呼ばれるキクザキイチゲが、あちこちで咲いています。花の色は、白とうすむらさきの2種類あるのですが、春風に揺れている姿は、どちらもすてきです。




 イェイツは、アイルランドの詩人ですが、最近ジェイムズ・ジョイスの「ユリシーズ」を読んだばかりでしたので、同じアイルランド出身の詩人イェイツの詩を思い出し、久しぶりに読んでみました。

 イエィツの詩に初めて出会ったのは、岩波文庫の「イギリス名詩選・平井正穂編」という本でした。

  その本の中にイェイツの詩は、2篇載っており、そのなかのひとつの、「The Lake Isle of Innisfree」という詩に、とても惹かれたのでした。

 その後、イエィツの詩集を購入して読むようになったのですが、やはりわたしは、あの「The Lake Isle of Innisfree」が一番好きです。

 この詩は、彼の祖国であるアイルランドにある湖に浮かぶ小さな島を思い出して書いているのですが、ロンドンの街のショーウンドウに飾られていた、噴水を見て、この詩のインスピレーションが浮かんできたとのこと・・。

 わたしは、噴水の流れる水音が、イエィツにとってあのなつかしいアイルランドのギル湖に浮かぶ小さな島イニフスリーに打ち寄せる、ひたひたという波音に聞こえたのかしらと、思ってしまったのでした・・。



  
 彼が異国に住んで故郷をなつかしく思う気持ちがよくわかりますし、さらに彼の場合には、アイルランド出身という複雑で特別な母国愛もあったと思いますから・・。

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  湖の島イニスフリー

         ウィリアム・バトラー・イエィツ (高松雄一訳)


さあ、立って行こう、イニフスリーの島へ行こう、

あの島で、枝を編み、泥壁を塗り、小さな小屋を建て、


九つの豆のうねを耕そう。それに蜜蜂の巣箱を一つ。

そうして蜂の羽音響く森の空地に一人で暮らそう。

あそこなら心もいくらかは安らぐか。安らぎはゆっくりと

朝の帷(とばり)からこおろぎが鳴くところに滴(したた)り落ちる。

あそこでは真夜中は瞬(またた)く微光にあふれ、真昼は紫に輝き、

夕暮れは紅ひわの羽音に満ち満ちる。


さあ、立って行こう、なぜならいつも、夜も昼も、道に立っても、灰いろの舗道(ほどう)に佇(たたず)むときも、

心の深い奥底に聞こえてくるのだ、

ひたひたと騎士によせる湖のあの波音が。

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The Lake Isle of Innisfree

                                        William Butler Yeats

I will arise and go now, and go to Innisfree,

And a small cabin build there, of clay and wattles made:

Nine bean-rows will I have there, a hive for the honey-bee,

And live alone in the bee-loud glade.


And I shall have some peace there, for peace comes dropping slow,

Dropping from the veils of the morning to where the cricket sings;

There midnight`s all a glimmer, and noon a purple glow,

And evening full of the linnet`s wings.


I will arise  and go now, for always night and day 

I hear lake water lapping with low sounds by the shore;

・-・-・-・-・

    


 



  


2025年4月20日日曜日

2025年・白河関の森公園の桜・みちのくの桃源郷


 2025年4月19日の「白河関の森公園」の桜です。ちょうど桜が満開で、濃いピンクの花桃の濃淡もアクセントになり、桃源郷のようなすてきな風景が広がっていました。



  

 ソメイヨシノの桜並木には、黄色のレンギョウが背景に植えられていて、桜をひきたてていたのですが、のんびりとしたおだやかな山里の雰囲気がただよっていて、こころを休めてくれるような春の景色でした。



 広場では、鯉のぼりが泳ぎ、子供たちがせせらぎで遊ぶ姿が微笑ましく桜と鯉のぼりには、やはり子供たちの声がいちばん、似あっているように思ったのでした。



 この公園は、白河の関に隣接しているのですが、白河の関には、芭蕉も曾良と奥の細道の旅の途中に立ち寄っていました。公園の中には二人の像と、こんな曾良の歌碑が建てられています。

 ♪卯の花をかざしに関の晴れ着かな    曾良

 芭蕉と曾良が、歌枕であったこの白河の関を訪ねたのは、1689年5月下旬で今の暦では、6月の上旬とのこと。真っ白の卯の花が咲いていたのだろうと思いますが、もし桜のこの季節でしたら、

「山桜をかざしに関の晴れ着かな」とでも、なっていたのかもしれませんね・・。

 


 それにしても、ちょうど見ごろで、桃源郷のようなすばらしい桜でした・・・。


2025年4月9日水曜日

読書・「ユリシーズⅣ」ジェイムズ・ジョイス著    丸谷才一・永川玲二・高松雄一訳           集英社文庫ヘリテージシリーズ

 

 

  4月に入ってから、先日は雪も降り、今年の春は寒のもどりが多かったのですが、フキノトウもだいぶ茎が伸びてきました。



 ユリシーズもついに、最後のⅣになりました。長い読書でしたが、読みにくさと面白さが同居する、不思議な読書体験をした本でした。

 Ⅳの解説は、「巨大な砂時計のくびれの箇所」というタイトルで、丸谷才一さんが白眉のジョイス論を書かれているのですが、読み応えがあり、ジョイスの文学がより深く理解できるように思いました。

 丸谷さんは、ジョイスの文学で重要なのは、「言語遊戯」であり、その例として、「洒落」や「合成語」「造語」「パロディ」や「パスティーシュ」「冗談」「詭弁」「変痴気論」「糞尿譚」「ポルノ」「歌詞の引用」「辞書と競争」「羅列」「目録」「雑学」「ペダントリ」「謎々」「パズル」などをあげられているのですが、これらの単語を羅列してみただけでもジョイスの特異な文学の世界が感じられます。



 わたしは、ジョイスは、かなりの知性と遊びごころで、これらのことを、いままでにない新しい文学の試みとして、思いつく限りの方法で、文字を書き連ねてユリシーズを書いたのだと理解したのですが、丸谷さんはさらにこのように書かれています・・。

・-・-・-・-・

「人類の小説史全体の比喩としての巨大な砂時計の、くびれの箇所に当たるものを、ジョイスは書いた。」 

・-・-・-・-・         引用556p

 ということは、砂時計の上の部分は、いままでの小説、そしてくびれは、ジョイス、その下の部分にあたるのは、ポストジョイスの小説ということで、丸谷さんの比喩は、さすがと納得でした。

 



 プルーストの「失われた時を求めて」を読んだときにも感じたのですが、今回のジョイスの「ユリシーズ」の読後感も、すごい小説を読んでしまった!!!という同じ感想でしたが、わたしにとって、どちらの小説が好きかといえば、やはりプルーストかもしれません。

 ジョイスの本は、プロの読書人のもので、わたしのような本好きの一読者に、新しい読書の喜びの世界を広げてくれたのはプルーストでしたから・・・。






2025年3月28日金曜日

読書・「ユリシーズ」Ⅲ ジェイムズ・ジョイス著    丸谷才一・永川玲二・高松雄一訳 集英社文庫ヘリテージシリーズ

 


  雪がとけた散歩道で、枯れ葉の間から顔を出しているフキノトウです。雑木林の下一面に広がる枯れ葉のじゅうたんのところどころに、さみどり色に顔を出しているフキノトウを見ると、ようやく春が来たのだと実感します・・。



 いよいよ、ユリシーズもⅢに入ったのですが、最初のページから翻訳した方々のご苦労がよくわかるような文体になっていて、驚きました。

 英語の原文では、古代英語から始まり、マロリー「アーサー王の死」、デフォー、マコーリー、ペイターなどのパスティーシュ(作風の模倣)を経て、現代の英語の話し言葉になっており、

 古代英語の部分の翻訳は、日本語の、祝詞と「古事記」、マロリーは、「源氏」ほかの王朝物語、エリザベス朝の散文は、「平家物語」、デフォーは井原西鶴、マコーリーは夏目漱石、ディケンズは菊池寛、ペイターは谷崎潤一郎のそれぞれのパスティーシュになっているのだとか・・。



 さらに、原文の英語散文文体史のパロディやパスティーシュは、日本語文体史のパロディとパスティーシュになっているとのことです。

 そのようなわけで、Ⅲは、祝詞と古事記に翻訳した日本語で始まり、その後に続く文体も、翻訳者の方々のご苦労がよくわかったのですが、わたしなどは、ユリシーズ自体、かなりのパロディと思って楽しんで読みました。



 解説で翻訳者のおひとりの高松雄一さんが、「ジョイス、そしてイェイツとエリオット」という題で、文学論を書かれています。

 ジョイスとイェイツと、エリオットの小説や詩の文学の方法は、それぞれに違っているが、お互いに楔形になっていて、モダニズムの中核になっているとか・・。

 わたしは、イェイツの詩「湖の島イニスフリー」が好きなのですが、この詩からは、ジョイスと同じように、アイルランドへの祖国愛という共通点を感じました。