2025年4月29日火曜日

読書・イェイツの詩「湖の島イニスフリー」・・・

 


 春の妖精(スプリング・エフェメラル)と呼ばれるキクザキイチゲが、あちこちで咲いています。花の色は、白とうすむらさきの2種類あるのですが、春風に揺れている姿は、どちらもすてきです。




 イェイツは、アイルランドの詩人ですが、最近ジェイムズ・ジョイスの「ユリシーズ」を読んだばかりでしたので、同じアイルランド出身の詩人イェイツの詩を思い出し、久しぶりに読んでみました。

 イエィツの詩に初めて出会ったのは、岩波文庫の「イギリス名詩選・平井正穂編」という本でした。

  その本の中にイェイツの詩は、2篇載っており、そのなかのひとつの、「The Lake Isle of Innisfree」という詩に、とても惹かれたのでした。

 その後、イエィツの詩集を購入して読むようになったのですが、やはりわたしは、あの「The Lake Isle of Innisfree」が一番好きです。

 この詩は、彼の祖国であるアイルランドにある湖に浮かぶ小さな島を思い出して書いているのですが、ロンドンの街のショーウンドウに飾られていた、噴水を見て、この詩のインスピレーションが浮かんできたとのこと・・。

 わたしは、噴水の流れる水音が、イエィツにとってあのなつかしいアイルランドのギル湖に浮かぶ小さな島イニフスリーに打ち寄せる、ひたひたという波音に聞こえたのかしらと、思ってしまったのでした・・。



  
 彼が異国に住んで故郷をなつかしく思う気持ちがよくわかりますし、さらに彼の場合には、アイルランド出身という複雑で特別な母国愛もあったと思いますから・・。

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  湖の島イニスフリー

         ウィリアム・バトラー・イエィツ (高松雄一訳)


さあ、立って行こう、イニフスリーの島へ行こう、

あの島で、枝を編み、泥壁を塗り、小さな小屋を建て、


九つの豆のうねを耕そう。それに蜜蜂の巣箱を一つ。

そうして蜂の羽音響く森の空地に一人で暮らそう。

あそこなら心もいくらかは安らぐか。安らぎはゆっくりと

朝の帷(とばり)からこおろぎが鳴くところに滴(したた)り落ちる。

あそこでは真夜中は瞬(またた)く微光にあふれ、真昼は紫に輝き、

夕暮れは紅ひわの羽音に満ち満ちる。


さあ、立って行こう、なぜならいつも、夜も昼も、道に立っても、灰いろの舗道(ほどう)に佇(たたず)むときも、

心の深い奥底に聞こえてくるのだ、

ひたひたと騎士によせる湖のあの波音が。

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The Lake Isle of Innisfree

                                        William Butler Yeats

I will arise and go now, and go to Innisfree,

And a small cabin build there, of clay and wattles made:

Nine bean-rows will I have there, a hive for the honey-bee,

And live alone in the bee-loud glade.


And I shall have some peace there, for peace comes dropping slow,

Dropping from the veils of the morning to where the cricket sings;

There midnight`s all a glimmer, and noon a purple glow,

And evening full of the linnet`s wings.


I will arise  and go now, for always night and day 

I hear lake water lapping with low sounds by the shore;

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2025年4月20日日曜日

2025年・白河関の森公園の桜・みちのくの桃源郷


 2025年4月19日の「白河関の森公園」の桜です。ちょうど桜が満開で、濃いピンクの花桃の濃淡もアクセントになり、桃源郷のようなすてきな風景が広がっていました。



  

 ソメイヨシノの桜並木には、黄色のレンギョウが背景に植えられていて、桜をひきたてていたのですが、のんびりとしたおだやかな山里の雰囲気がただよっていて、こころを休めてくれるような春の景色でした。



 広場では、鯉のぼりが泳ぎ、子供たちがせせらぎで遊ぶ姿が微笑ましく桜と鯉のぼりには、やはり子供たちの声がいちばん、似あっているように思ったのでした。



 この公園は、白河の関に隣接しているのですが、白河の関には、芭蕉も曾良と奥の細道の旅の途中に立ち寄っていました。公園の中には二人の像と、こんな曾良の歌碑が建てられています。

 ♪卯の花をかざしに関の晴れ着かな    曾良

 芭蕉と曾良が、歌枕であったこの白河の関を訪ねたのは、1689年5月下旬で今の暦では、6月の上旬とのこと。真っ白の卯の花が咲いていたのだろうと思いますが、もし桜のこの季節でしたら、

「山桜をかざしに関の晴れ着かな」とでも、なっていたのかもしれませんね・・。

 


 それにしても、ちょうど見ごろで、桃源郷のようなすばらしい桜でした・・・。


2025年4月9日水曜日

読書・「ユリシーズⅣ」ジェイムズ・ジョイス著    丸谷才一・永川玲二・高松雄一訳           集英社文庫ヘリテージシリーズ

 

 

  4月に入ってから、先日は雪も降り、今年の春は寒のもどりが多かったのですが、フキノトウもだいぶ茎が伸びてきました。



 ユリシーズもついに、最後のⅣになりました。長い読書でしたが、読みにくさと面白さが同居する、不思議な読書体験をした本でした。

 Ⅳの解説は、「巨大な砂時計のくびれの箇所」というタイトルで、丸谷才一さんが白眉のジョイス論を書かれているのですが、読み応えがあり、ジョイスの文学がより深く理解できるように思いました。

 丸谷さんは、ジョイスの文学で重要なのは、「言語遊戯」であり、その例として、「洒落」や「合成語」「造語」「パロディ」や「パスティーシュ」「冗談」「詭弁」「変痴気論」「糞尿譚」「ポルノ」「歌詞の引用」「辞書と競争」「羅列」「目録」「雑学」「ペダントリ」「謎々」「パズル」などをあげられているのですが、これらの単語を羅列してみただけでもジョイスの特異な文学の世界が感じられます。



 わたしは、ジョイスは、かなりの知性と遊びごころで、これらのことを、いままでにない新しい文学の試みとして、思いつく限りの方法で、文字を書き連ねてユリシーズを書いたのだと理解したのですが、丸谷さんはさらにこのように書かれています・・。

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「人類の小説史全体の比喩としての巨大な砂時計の、くびれの箇所に当たるものを、ジョイスは書いた。」 

・-・-・-・-・         引用556p

 ということは、砂時計の上の部分は、いままでの小説、そしてくびれは、ジョイス、その下の部分にあたるのは、ポストジョイスの小説ということで、丸谷さんの比喩は、さすがと納得でした。

 



 プルーストの「失われた時を求めて」を読んだときにも感じたのですが、今回のジョイスの「ユリシーズ」の読後感も、すごい小説を読んでしまった!!!という同じ感想でしたが、わたしにとって、どちらの小説が好きかといえば、やはりプルーストかもしれません。

 ジョイスの本は、プロの読書人のもので、わたしのような本好きの一読者に、新しい読書の喜びの世界を広げてくれたのはプルーストでしたから・・・。






2025年3月28日金曜日

読書・「ユリシーズ」Ⅲ ジェイムズ・ジョイス著    丸谷才一・永川玲二・高松雄一訳 集英社文庫ヘリテージシリーズ

 


  雪がとけた散歩道で、枯れ葉の間から顔を出しているフキノトウです。雑木林の下一面に広がる枯れ葉のじゅうたんのところどころに、さみどり色に顔を出しているフキノトウを見ると、ようやく春が来たのだと実感します・・。



 いよいよ、ユリシーズもⅢに入ったのですが、最初のページから翻訳した方々のご苦労がよくわかるような文体になっていて、驚きました。

 英語の原文では、古代英語から始まり、マロリー「アーサー王の死」、デフォー、マコーリー、ペイターなどのパスティーシュ(作風の模倣)を経て、現代の英語の話し言葉になっており、

 古代英語の部分の翻訳は、日本語の、祝詞と「古事記」、マロリーは、「源氏」ほかの王朝物語、エリザベス朝の散文は、「平家物語」、デフォーは井原西鶴、マコーリーは夏目漱石、ディケンズは菊池寛、ペイターは谷崎潤一郎のそれぞれのパスティーシュになっているのだとか・・。



 さらに、原文の英語散文文体史のパロディやパスティーシュは、日本語文体史のパロディとパスティーシュになっているとのことです。

 そのようなわけで、Ⅲは、祝詞と古事記に翻訳した日本語で始まり、その後に続く文体も、翻訳者の方々のご苦労がよくわかったのですが、わたしなどは、ユリシーズ自体、かなりのパロディと思って楽しんで読みました。



 解説で翻訳者のおひとりの高松雄一さんが、「ジョイス、そしてイェイツとエリオット」という題で、文学論を書かれています。

 ジョイスとイェイツと、エリオットの小説や詩の文学の方法は、それぞれに違っているが、お互いに楔形になっていて、モダニズムの中核になっているとか・・。

 わたしは、イェイツの詩「湖の島イニスフリー」が好きなのですが、この詩からは、ジョイスと同じように、アイルランドへの祖国愛という共通点を感じました。

  


 

2025年3月17日月曜日

読書・「ユリシーズ」Ⅱ ジェイムズ・ジョイス著    丸谷才一・永川玲二・高松雄一訳 集英社文庫ヘリテージシリーズ



 3月ももう半ばというのに先日は、雪が降りました。散歩道のフキノトウは、みぞれのような雪の中で、「ここにいるよ」と、健気に自己主張していました。




 ユリシーズのⅡを読み終えました。前半に登場人物のひとりのスティーブン(ジョイスの分身ともいわれている)が、図書館で文学者たちに、独自の「ハムレット論」を話すシーンがあるのですが、この部分はおもしろく読みました。

 そのスティーブンのハムレット論は、こんな感じです。

 シェイクスピアは、「ハムレット」の中で、ハムレットの殺された父の亡霊に自分を投影している。

 そして、王子のハムレットは、幼いころに亡くなったシェイクスピアの息子のハムネットに投影し、

 王妃ガートルートは、シェイクスピアの妻のアンに投影している・・と。 

 わたしは、少し前に「シェイクスピアの庭」という映画を観たばかりでしたので、シェイクスピアは、幼い時に亡くなった息子の名前を永遠に残すために、「ハムレット」を書いたのではという考えには、わたしも同感でした。



 後半の部分は、ジョイスらしく、物語ごとに文体を変え、しかも登場人物の意識の中に入って書くというような、さまざまな試みをしていて新鮮です。

 それにしてもこの物語に出てくる言葉の豊饒さには、驚くのですが、ジョイスは多分、次々にあふれてくる言葉を楽しみながら書いたのかなと思いました。

 発売当時は、この本は、アイルランドはもちろん英国や、アメリカでも発禁だったということですが、何となく頷けました。



 この本の最初の見開きにある、1920年のパリのシェイクスピア書店前で写したジョイスと、経営者のシルヴィア・ビーチの写真は、とても興味深く見ました。

 ジョイスは、彼の人柄を思わせるように、少しきどって、スーツに蝶ネクタイの姿で、丸いメガネをかけて帽子をかぶり、手にはステッキを持って、入り口の柱のところによりかかっています。

 「ユリシーズ」には、何度もトネリコのステッキが出てくるのですが、このステッキも、トネリコなのかもしれません。

 「ユリシーズ」は、1922年の2月に、この写真を写したパリのシェイクスピア書店から出版されたとのことです・・。





2025年3月15日土曜日

読書・「猫と悪魔」ジェイムズ・ジョイス 訳・のどまる堂 画・米増由香 

 


 今年の冬は雪も多く、寒さも厳しかったので、例年よりも弥生・三月が待たれました。この写真は、2月の末頃に公園で写したものですが、わたしにとっては、このあたりでは、春にまず一番に咲く「マンサク」は、うれしい春の使者のような花です!



 ユリシーズを書いたジェイムズ・ジョイスが、孫のために書いた手紙が「猫と悪魔」という絵本になっているというのを、友人に教えていただき、早速、取り寄せて読んでみました。

 この本は、第一部と、第二部に分かれています。

 第一部の絵本の部分の米増由香さんの画もおしゃれで好感が持てましたし、特に眼鏡をかけている悪魔の顔は、なぜか作者のジョイスに似ていて、クスリとしてしまったのですが、彼は自分のことを悪魔と呼んでいたということなので、納得でした・・。

 そういえば、いま読んでいる「ユリシーズ」のⅡにも「悪魔」という言葉が出てきます。

 絵本の中のフランスのボージョンシーの市長の名前が、アルフレッド・バーンで、何と当時のアイルランドの実在の政治家と同じということですが、ジョイスのことですから猫に水をかけてしまうような市長の名前は、あの名前にしちゃえという感じだったのだと思ったのでした・・。



 第二部には、英語の原文が対訳付きで載っていて、翻訳者ののどまる堂さんによるジョイスの作品の紹介などもあり、楽しめる内容になっています。

 のどまる堂さんは、ジョイスの翻訳なのでやはり苦心なさったようですが、フランス語で「Messieurs les Balgentiens.」と、悪魔がボージョンシー市民に呼び掛けるフランス語のところでは、何と「ビーナンビージョンシーの諸君」と、おもしろ訳をなさっていました・・!

 悪魔のジョイスもびっくり!メガネを落としてしまったかもしれません。

 


 それにしても、ジョイスは猫好きだったようで、チューリッヒのレストランの牝猫にモリィと名前をつけたということですが、「ユリシーズ」の主人公の妻の名前も同じモリィなのでした!

 この絵本は、ジョイスのファンでしたら、とても楽しめる内容になっていて、いま「ユリシーズ」を読んでいるわたしにとっても、タイムリーな読書でした・・。





2025年3月11日火曜日

きみがため春の野にいでて・・・

 

 三月にはいり、先日降った春の雪で、庭のうさぎは、こんなふうになっていました。



 春の雪はパウダースノーのふわふわの雪ですぐにとけてしまったのですが、春蘭の青い葉に積もった雪を見ていましたら、古今和歌集の光孝天皇のあの歌を思い出してしまいました。

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きみがため春の野に出でてわかなつむ我が衣手(ころもで)に

                   雪はふりつゝ

 ・-・-・-・-・ 古今和歌集 巻第一 春歌上 27p



 

 この歌の詞書には、こう書いてあります。「仁和のみかど、親王(みこ)におましける時に、人に若菜たまひける御うた」

 仁和のみかどとは、光孝天皇のことで、まだ親王でいらっしゃったときに、若菜をつんでどなたかに下されたときに添えられた御歌とのことです。

 若菜とは、春の七草などのことかと思うのですが、贈る相手の健康や幸いを願うやさしいこころ遣いも感じられます。




 この歌は、定家の百人一首の15番にも選ばれていてなじみがあり、学生時代からいつのまにかそらで覚えているわたしの好きな歌でした。

 調べてみると、光孝天皇は、55歳で天皇になられたとか。容姿端麗で教養もあり謙虚な人柄で、源氏物語の光源氏のモデルともいわれているようです。

 このような背景を知ると、ますますこの歌が、好きになりました。


♪きみがため春の野に出でてわかなつむ我が衣手(ころもで)に

                   雪はふりつゝ

                           光孝天皇