2025年8月11日月曜日

読書・「モーツアルトへの旅」小塩節著・主婦の友社 


 今年の夏も猛暑の日々が続いていたのですが、きょうは雨でしのぎやすい気温です。下記の写真は、先月の7月24日の朝に咲いたクジャクサボテンの花です。早朝に窓を開けると、玄関先に真っ白の大型の花が咲いていてびっくりしたのですが、夕方にはしぼんでしまいました。今年も暑さの中、咲いてくれた花に感謝しました・・。



  もう大分古びてしまったのですが、好きな本があります。小塩節(おしおたかし)さんが書かれた「モーツァルトへの旅」という本です。昭和53年第一冊発行と書いてありますので、多分、古本屋さんで購入したのだと思います。

  小塩さんは人生は旅で、 その途上の幼い日にピアノを習ったことで、モーツアルトに出会ってしまい、モーツアルトはその後の小塩さんの人生を豊かに広げてくれることになったとのことでした。

 彼は、若い日にドイツに留学なさっており、そこで多くの友人を作られ、人生の半ばには、毎年のように学生時代の友人ご夫妻と、ザルツブルグのモーツアルトの音楽祭に、モーツアルトを聴きに行かれるようになったとか・・。

 小塩さんの人生の旅は、モーツアルトに出会ったことで、より豊かに深くなられたと思うのですが、この本からは、彼のやさしい人柄と知性がにじみ出ているように感じられます。

 モーツアルトもやさしい性格だったと幼い日のエピソードでも語られているのですが、やさしさとは、天性のものもあるのでしょうが、好もしい人間性に思われます。

 モーツアルトの生まれたザルツブルグには、わたしも訪ねたことがあります。生家は黄色の壁の家で、街並みは店先の壁にとりつけられている看板がそれぞれかわいらしく、このような家と街で、あのモーツアルトが生まれたのだと、わたしも感慨深く散歩したのを思い出します。

 最近のわたしのお気に入りのモーツアルトの曲は、「クラリネット協奏曲K622」ですが、ほとんど毎日、飽きもせずに聴いています。以前には、アシュケナージの弾くピアノ協奏曲ばかり聴いていたのでしたが・・。あのクラリネットの音があんなにも上品で典雅であるにもかかわらず、軽快で明るいところが好きになったのでした。わたしがモーツアルトを好きになったのは、多分ザルツブルグを訪ねたこともきっかけだったのかもしれません。

 ザルツブルグは、オーストリアのアルプスのふもとにある街で、不順な天気の時でもアルプスの空の上にはいつも晴朗な青い空が広がっており、このようなことを土地の人たちは、ハイターカイト(ℍeiterkeit)といい、それはまた、晴ればれとした人の心の明るさも意味していると、小塩さんは書かれています。

 モーツアルトの音楽も同じで、彼の孤独の魂の上には、いつも晴朗な調べがあり、そのような音楽をわたしたちに贈ってくれたのだとも・・。

 この本は小塩さんのモーツアルトへの「愛の讃歌」であると、表紙に書かれているのですが、小塩さんの人生には、モーツアルトの音楽への愛がいつもあり、彼の人生を豊かに彩ってくれていたのだとしみじみと、思ったのでした・・。




 

 

  

 


 


2025年7月20日日曜日

読書・「漱石の白百合、三島の松」塚谷裕一著 中公文庫


  今年も、ヤマユリの季節になりました。いつもの散歩道で、ヤマユリが今年の夏一番に咲いているのを見たのは、7月の8日でした。朝のまだ涼しい高原の冷気の中、咲いたばかりのヤマユリは、とても新鮮ですてきでした。

 下の写真のヤマユリは、先日の朝、開花したばかりの花です。



  先日、友人からのすすめで「漱石の白百合、三島の松」という本を読んだのですが、タイムリーにヤマユリの話が出ていました。著者の塚谷さんは文学がお好きな植物学者で、漱石の本に出てくる白百合とは何なのかと推理なさり、「ヤマユリ」であると同定なさっていました。

 また、ヤマユリは、厳密にいえば白百合ではなく「カラフル」であるとも言及なさっているのですが、そういわれてみればよく見るとカラフルな花なのでした。



  ヤマユリのディテールを改めてよく観察してみますと、花弁の地は白ですが、真ん中に黄色の帯が走っていて、赤い褐色の斑紋が一面にちりばめられています。雄しべは6本で、先端の葯は茶色、真ん中の雌しべは1本で、それらを支えている花糸は、うすみどり色と、やはり、「カラフル」なのでした。(花糸というすてきな言葉は、この本で知りました)

 塚谷さんによれば、ヤマユリの学名の種小名は「auratum」で、「黄金の」という意味があるとのこと。命名者 Lindreyにとっては、中央の帯の黄色が印象的だったのだろうということですが、このあたりの記述は、さすが植物学者と納得・・。

 そういえば、土壌の性質の加減でしょうか、下の写真のような花弁の帯がうすい紅色のヤマユリも、ところどころで、見かけます。



  塚谷さんは、日本の作家はなぜ、このようにカラフルなヤマユリから、白だけをとりだして、「白百合」と描写したのだろうかと、疑問を持たれているのですが、その答えは、「白百合」は、輸入概念であり、「ヤマユリ」に白百合としての脚光があてられたのではと結論なさっています。

 わたしもいままでは、何の疑問ももたず、ヤマユリは、白と決めていたのですが、よく観察してみると、花弁はとてもカラフルな花なのだと、再認識させられたのでした!

 また、ヤマユリは日本では、沖縄、北海道、四国、九州などには自生しないとのことで、このあたりの散歩道にたくさん自生しているのを見ることができるのも、とても幸運なことなのだと、改めて実感したのでした。

 濃厚な香りがただようヤマユリの咲く木陰の涼しい散歩道を歩くのは、この季節の楽しみです・・。




 


 

 


2025年7月6日日曜日

読書・「モンテーニュ よく生き、よく死ぬために」        穂刈瑞穂著 講談社文芸文庫

 

 ノイバラの花も、もう終わり・・。散歩道には、白い花びらがはらはらと散っているのを見かけるようになりました。ノイバラの花を見ると、いつもわたしは、あの大好きな蕪村の俳句

「愁(うれ)ひつゝ岡にのぼれば花いばら」

を、思い出します。蕪村のこのような心情には、やはり清楚なノイバラの花がよく似合うように思うからです・・。 



 穂刈瑞穂さんが書かれた「モンテーニュ よく生き、よく死ぬために」を、もう1か月近くもランダムにゆっくりと読んでいます。

 穂刈瑞穂さんの本は、「プルースト読書の喜び 私の好きな名場面」筑摩書房と、プルーストの評論の文学と芸術を穂刈さんが選んで本になさったもの2冊、(「プルースト評論選Ⅰ文学篇」ちくま文庫「プルースト評論選Ⅱ芸術篇」ちくま文庫)を、読んでいたので、今回で4冊目になります。

 特に「プルースト読書の喜び」は、「失われた時を求めて」の中から穂刈さんのお好きな名場面を語るというもので、お人柄がしのばれるような静謐な語り口で、とても好感を持って読んだのを思いだします。



 この本も、モンテーニュの「エセー」から穂刈さんのお好きな文をとりあげて、ご自分のご感想と共に語られているのですが、ゆっくりと味わいながら読まれたことがよくわかりました。

 「モンテーニュ」は、わたしにとって未知の人でしたが、「私は何を知っているか Que  sais-je(ク・セ・ジュ) 」を、自分の座右の銘にしていたこと、

 そして、それをソクラテスから学んだことを知り、彼の人生哲学の深さは、幼いころから古典の素養を学ぶなど英才教育を受けたことだけではなく、人間としての魅力にもあふれていた人だったからなのではと、想像をめぐらせてしまったのでした。

 「自分の無知を知ることが知恵の真の起源である」という彼の哲学は、すんなりとわたしのこころにも入りました・・。

  


 ところで、著者の穂刈さんは若いころに、2度もフランス政府の招待でパリに遊学なさっており、フランス政府にはとても感謝なさっているとのこと。そして当時のパリでの生活はとても楽しく、パリやフランスをこよなく愛するようになり、そのことがその後の彼の人生を、フランス文学者として、フランス文学を日本に伝える道に進まれるようになったきっかけにもなったとのことです・・。 

 そういえば、穂刈さんの著書「プルースト 読書の喜び」のあとがきに、彼は2008年に長かった大学の勤めが終わったあと、思い切って日本を離れて大好きなパリに移り住まれたと書かれていたのを思い出したのですが、その後2021年7月10日に「念願のパリ」で83歳で亡くなられていたのを最近知りました。

 穂刈さんの命日の7月10日は、プルーストの誕生日ですので、プルースト研究者でもあった彼のプルーストとの不思議なご縁も感じ、「モンテーニュ」の本のサブタイトル、「よく生き、よく死ぬために」という言葉は、穂刈さんご自身の人生哲学でもあったのでは・・と思いをはせた読書でした。



   



 



2025年6月25日水曜日

野生動物・アナグマさん、こんにちは!  「同じ穴の貉(むじな)」

 

 6月9日の午後3時頃、散歩の途中に何か側溝の中で、ごそごそと音がすると思いのぞいてみると、何とアナグマさんでした! 


 

 側溝の落ち葉の下には、虫やミミズがいるので、エサを探していたようでした。

 


 側溝の中から、顔を出して「こんにちは!」



 姿をあらわしたのですが、わたしを見ても、ぜんぜん警戒する様子がありません・・。




 正面から見ると、アナグマという名前のように、やはりクマに似ていました。
 こちらに向かって歩いてくるのかなと思っていたら・・



          反対方向に去っていってしまいました・・・。


  アナグマが人間に全く警戒心がないのは、天敵はオオカミとのことなので、怖い思いをしたことがないからなのかもしれません。

 アナグマは、雑食性で昆虫やミミズ、落ちた果物や野菜、穀物などを食べるとのことですが、このあたりでは、いまの季節には、野生のウグイスカグラのぐみのような赤い実や、モミジイチゴ、桑の実などの果実が実るので、アナグマさんも好物なのかなと思ったのですが・・。


                モミジイチゴの実


              ウグイスカグラの実


 アナグマは、「同じ穴の貉」ということわざの「ムジナ」のことで、以前にもこのブログ(2025年1月5日)で書いたことがあるのですが、こんなに近くで写真を何枚も写せたのは、ラッキーでした!







  

  


2025年6月11日水曜日

読書・「ジェイムズ・ジョイス殺人事件」バーソロミュー・ギル 岡真知子訳 角川文庫

 

 

 6月に入りました。散歩していますと、5月の中頃に咲き始めたキンポーゲが、まだあちこちで咲いているのを見かけます。そよ風が吹くと長い茎の先のレモンイエローの花が揺れて金色に光り、バターカップという英語の名前が思い出されるのですが、雨に濡れた風情もすてきです。  



  「ジェイムズ・ジョイス殺人事件」を、読みました。この本は、最近わたしがジェイムズ・ジョイスの「ユリシーズ」を読んだのを知った推理小説好きの友人からプレゼントしていただいたものです。推理小説を読むのは久しぶりでしたが、「ユリシーズ」を読んだばかりでしたので、おもしろく読むことができました。

 作者のバーソロミュー・ギルさんは、アイルランド系のアメリカ人で、ダブリンのトリニティ・カレッジで文学修士号を取得したとのこと。「ユリシーズ」はもちろん、ダブリンの街に住む人々や、アイルランドの国民性や文化の背景などにも通じており、ジョイス好きの読者にも興味深い文学ミステリーになっていると思いました。



  殺人事件の被害者は、ダブリンのトリニティ・カレッジの教授ケヴィン・コイル。世界的に有名なジェイムズ・ジョイスの研究家という設定で、ジョイスが使用していたというカンカン帽をオークションで買ったり、ジョイスと同様にトネリコのステッキなども持っているのですが、ブルームズディの6月16日(ユリシーズの主人公レオポルド・ブルームを記念する日)の翌朝に死体で発見されるのです。そして、その事件を解決するのが、容姿がジェイムズ・ジョイスとよく似ているピーター・マッガー警視正と部下なのでした。

 翻訳者の岡真知子さんによれば、「ユリシーズ」の舞台にもなっているマーテロ塔の「ジョイス博物館」には、この本「ジェイムズ・ジョイス殺人事件」も展示されているとのことですが、たしかにこの本を読めば、ダブリンに住む人々のことや、アイルランド気質などもわかり、よりおもしろくユリシーズの世界の余韻を楽しむことができると思いました。



 この本の最後は、「ユリシーズ」の本文の最後の部分(あのイエスがたくさん出てくる区切りのない長い文)からの引用の「イエス」で終わっているのですが、ジョイスの言葉遊びの世界の延長のようで、なぜかとても「粋」に感じました。

 作者の筆名のギルは、もしかしてアイルランドの詩人イェイツの詩「湖の島イニスフリー」にも出てくる「ギル」湖からとったのかな?と推理したのですが、どうなのでしょう・・。






 

2025年4月29日火曜日

読書・イェイツの詩「湖の島イニスフリー」・・・

 


 春の妖精(スプリング・エフェメラル)と呼ばれるキクザキイチゲが、あちこちで咲いています。花の色は、白とうすむらさきの2種類あるのですが、春風に揺れている姿は、どちらもすてきです。




 イェイツは、アイルランドの詩人ですが、最近ジェイムズ・ジョイスの「ユリシーズ」を読んだばかりでしたので、同じアイルランド出身の詩人イェイツの詩を思い出し、久しぶりに読んでみました。

 イエィツの詩に初めて出会ったのは、岩波文庫の「イギリス名詩選・平井正穂編」という本でした。

  その本の中にイェイツの詩は、2篇載っており、そのなかのひとつの、「The Lake Isle of Innisfree」という詩に、とても惹かれたのでした。

 その後、イエィツの詩集を購入して読むようになったのですが、やはりわたしは、あの「The Lake Isle of Innisfree」が一番好きです。

 この詩は、彼の祖国であるアイルランドにある湖に浮かぶ小さな島を思い出して書いているのですが、ロンドンの街のショーウンドウに飾られていた、噴水を見て、この詩のインスピレーションが浮かんできたとのこと・・。

 わたしは、噴水の流れる水音が、イエィツにとってあのなつかしいアイルランドのギル湖に浮かぶ小さな島イニフスリーに打ち寄せる、ひたひたという波音に聞こえたのかしらと、思ってしまったのでした・・。



  
 彼が異国に住んで故郷をなつかしく思う気持ちがよくわかりますし、さらに彼の場合には、アイルランド出身という複雑で特別な母国愛もあったと思いますから・・。

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  湖の島イニスフリー

         ウィリアム・バトラー・イエィツ (高松雄一訳)


さあ、立って行こう、イニフスリーの島へ行こう、

あの島で、枝を編み、泥壁を塗り、小さな小屋を建て、


九つの豆のうねを耕そう。それに蜜蜂の巣箱を一つ。

そうして蜂の羽音響く森の空地に一人で暮らそう。

あそこなら心もいくらかは安らぐか。安らぎはゆっくりと

朝の帷(とばり)からこおろぎが鳴くところに滴(したた)り落ちる。

あそこでは真夜中は瞬(またた)く微光にあふれ、真昼は紫に輝き、

夕暮れは紅ひわの羽音に満ち満ちる。


さあ、立って行こう、なぜならいつも、夜も昼も、道に立っても、灰いろの舗道(ほどう)に佇(たたず)むときも、

心の深い奥底に聞こえてくるのだ、

ひたひたと騎士によせる湖のあの波音が。

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The Lake Isle of Innisfree

                                        William Butler Yeats

I will arise and go now, and go to Innisfree,

And a small cabin build there, of clay and wattles made:

Nine bean-rows will I have there, a hive for the honey-bee,

And live alone in the bee-loud glade.


And I shall have some peace there, for peace comes dropping slow,

Dropping from the veils of the morning to where the cricket sings;

There midnight`s all a glimmer, and noon a purple glow,

And evening full of the linnet`s wings.


I will arise  and go now, for always night and day 

I hear lake water lapping with low sounds by the shore;

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2025年4月20日日曜日

2025年・白河関の森公園の桜・みちのくの桃源郷


 2025年4月19日の「白河関の森公園」の桜です。ちょうど桜が満開で、濃いピンクの花桃の濃淡もアクセントになり、桃源郷のようなすてきな風景が広がっていました。



  

 ソメイヨシノの桜並木には、黄色のレンギョウが背景に植えられていて、桜をひきたてていたのですが、のんびりとしたおだやかな山里の雰囲気がただよっていて、こころを休めてくれるような春の景色でした。



 広場では、鯉のぼりが泳ぎ、子供たちがせせらぎで遊ぶ姿が微笑ましく桜と鯉のぼりには、やはり子供たちの声がいちばん、似あっているように思ったのでした。



 この公園は、白河の関に隣接しているのですが、白河の関には、芭蕉も曾良と奥の細道の旅の途中に立ち寄っていました。公園の中には二人の像と、こんな曾良の歌碑が建てられています。

 ♪卯の花をかざしに関の晴れ着かな    曾良

 芭蕉と曾良が、歌枕であったこの白河の関を訪ねたのは、1689年5月下旬で今の暦では、6月の上旬とのこと。真っ白の卯の花が咲いていたのだろうと思いますが、もし桜のこの季節でしたら、

「山桜をかざしに関の晴れ着かな」とでも、なっていたのかもしれませんね・・。

 


 それにしても、ちょうど見ごろで、桃源郷のようなすばらしい桜でした・・・。