雪がとけた散歩道で、枯れ葉の間から顔を出しているフキノトウです。雑木林の下一面に広がる枯れ葉のじゅうたんのところどころに、さみどり色に顔を出しているフキノトウを見ると、ようやく春が来たのだと実感します・・。
いよいよ、ユリシーズもⅢに入ったのですが、最初のページから翻訳した方々のご苦労がよくわかるような文体になっていて、驚きました。
英語の原文では、古代英語から始まり、マロリー「アーサー王の死」、デフォー、マコーリー、ペイターなどのパスティーシュ(作風の模倣)を経て、現代の英語の話し言葉になっており、
古代英語の部分の翻訳は、日本語の、祝詞と「古事記」、マロリーは、「源氏」ほかの王朝物語、エリザベス朝の散文は、「平家物語」、デフォーは井原西鶴、マコーリーは夏目漱石、ディケンズは菊池寛、ペイターは谷崎潤一郎のそれぞれのパスティーシュになっているのだとか・・。
さらに、原文の英語散文文体史のパロディやパスティーシュは、日本語文体史のパロディとパスティーシュになっているとのことです。
そのようなわけで、Ⅲは、祝詞と古事記に翻訳した日本語で始まり、その後に続く文体も、翻訳者の方々のご苦労がよくわかったのですが、わたしなどは、ユリシーズ自体、かなりのパロディと思って楽しんで読みました。
解説で翻訳者のおひとりの高松雄一さんが、「ジョイス、そしてイェイツとエリオット」という題で、文学論を書かれています。
ジョイスとイェイツと、エリオットの小説や詩の文学の方法は、それぞれに違っているが、お互いに楔形になっていて、モダニズムの中核になっているとか・・。
わたしは、イェイツの詩「湖の島イニスフリー」が好きなのですが、この詩からは、ジョイスと同じように、アイルランドへの祖国愛という共通点を感じました。