2026年1月17日土曜日

読書・「プルースト評論選Ⅱ芸術篇」マルセル・プルースト著 保刈瑞穂・編 ちくま文庫

 

 雑木林を散歩していると、落ち葉の中に、あざやかな若草色の「ウスタビガのまゆ」を、見つけました。最近はめったに見つけることができないので、超ラッキー!!と、うれしくなってしまいました。

 それにしても、若草色は、春の贈り物のようで、イヤリングにしてもかわいいかもしれません。




 プルーストの評論選を前回の文学篇に続き、芸術篇を読みました。この本も、ずっと本箱にある本で、久しぶりの再読でした。

 本の帯には、「「卓越した美術批評家でもあったプルースト。渾身の雄篇「ジョン・ラスキン」「読書について」、絵画論などを収める。」」と、書いてあるように、読み応えのあるプルーストの評論本です。

 特に「読書について」は、プルーストが翻訳したラスキンの「胡麻と百合」の翻訳本の序文ということもあり、おもしろく読みました。プルーストは、ラスキンのというよりも、ほとんど自分の読書論を書いているのですが、出だしの文などは、まるで「失われた時を求めて」を、読んでいるのかなと思ってしまうほどで、こんなはじまりなのです。

・-・-・

 もしかしたら、私たちの少年時代の日々のなかで、生きずに過ごしてしまったと思い込んでいた日々、好きな本を読みながら過ごした日々ほど十全に生きた日はないのかもしれない。

                   ・-・-・引用「読書について」78p



 また、79pのパンジーについての描写も、まるで、「失われた時を求めて」の中の一文のようです。

・-・-・

 そしてパンジーは、あまりにも美しく色とりどりな空、時おり村の家々の屋根のあいだに見える教会のステンドグラスを映したかのような空、夕立のまえ、あるいはあと、あまりにも遅く、一日が終わろうとしている時になってあらわれる淋しい空から摘み取られたかのようだった。・・・

           ・-・-・ 引用「読書について」79p~80p


 視覚に訴えてくるすてきな文ですが、このようなプルーストらしい文を読むと、彼の細部にこだわる感性の表現は、このころからすでに確立されてきたのかと思えました。

 プルーストの文学の美学は、ラスキンを翻訳したことから影響を受け、それがプルースト自身の文学論の確立をへて、最後には「失われた時を求めて」に、いきついたのだと確信したのでした・・。

「読書について」の最後の文は、ヴェネツィアのピアツェッタに立つ二本の花崗岩の円柱、一本は灰色、一本は薔薇色についてですが、プルーストは

・-・-・

「夢のような印象を感じる」

         ・-・-・

と表現し、それについてのすてきな長い文を書き、最後に

・-・-・

「その過去はじっと動かずに日を浴びている。」

         ・-・-・

でこの「読書について」の序文は、終わっています・・。


 わたしは、ヴェネツィアにも行っているのですが、そのときにはまだ、この文を知らず、とても残念に思うのですが、ギリシャのアテネやコリントの遺跡で見た、円柱を思い出すと、このプルーストの文が、あまりにもぴったりとわたしの感性に訴えてきて、胸がきゅんとしてきてしまうのでした・・・。





 

 


  




2026年1月7日水曜日

読書・「プルースト評論選Ⅰ文学篇」マルセル・プルースト著 保刈瑞穂・編 ちくま文庫

 

  散歩道では、サルトリイバラや、ノイバラの赤い実は、もうすっかり姿を消してしまい、もういまでは、こんなヘクソカズラの飴色の実だけが、残っています。

 見慣れているヘクソカズラの実ですが、よく見ると、色もシックで茎の造形もすてきなことに気づきました・・。

 


  「ブルースト評論選Ⅰ文学篇」穂刈瑞穂選 ちくま文庫を昨年の12月からランダムに再読しています。この本は、わたしの本箱でいつも見慣れているのですが、発行年を見てみると、2        002年に第一刷と書いてありますので、もう20年以上も前に購入したもので、愛着のある本になっています。

 この本の選者の穂刈瑞穂さんは「あとがき」で、こう書かれています。「失われた時を求めて」を読んだ読者に、今度は批評家プルーストの魅力を発見してもらえるように、プルースト全集の中から特に読んでもらいたいものを選ばれたとのこと。
 翻訳者は評論ごとに、穂刈瑞穂さんをはじめ、吉川一義さん、鈴木道彦さんなど、6人の方々です。

 わたしもいつも思っているように、すぐれた小説家はすぐれた評論家でもあるということが、再確認できるプルーストの文学の秘密のようなものが、いっぱいつまっている本で、推理小説でなぞときをするような気分で、読み直したのでした。





 わたしは、前回もそうでしたが、今回も、「プルーストによる『スワン』解説」のなかのプルーストのこんな言葉に惹かれました・・。

 357pからの引用です。
・-・-・
「文体というものは、ある人びとが考えているのとちがって、いささかも文の飾りではありません。技術の問題ですらありません。それはーー画家における色彩のようにーーヴィジョンの質であり、われわれ各人が見ていて他人には見えない特殊な宇宙の掲示です。一人の芸術家がわれわれに与える楽しみは、宇宙を一つ余分に知らせてくれるということなのです。」
・-・-・

 芸術家にとって大事なものは、「ヴィジョンの質・・」であり、
 それは「特殊な宇宙の掲示である・・」

 しびれてしまうようなすてきな言葉です・・!

 また、

 「一人の芸術家がわたしたちに与えてくれる楽しみは、宇宙を一つ余分に知らせてくれること・・。」

 これも、すてきです!






 わたしのような読者にとって、プルーストを読むということは、まさにこういうことなのだと、再認識させてくれる本なのでした・・。

 また、プルーストは本についてこのようにもいっています。

引用195p「サント=ブーヴに反論する」から
・-・-・
「優れた文学書の場合は、読み手の側のどんな誤読も、すべて美しいという風になってしまう。」
・-・-・

 「誤読を恐れずによみましょう」という言葉は、立教大学で開かれたセミナー「新訳でプルーストを読む」でも聞いた言葉ですが、ここにプルーストの言葉として書かれていたのでした・・。

 プルーストの評論は、あちこちにこのような宝石のような言葉が、ちりばめられていて、読者を楽しませてくれる本でもあったのでした・・。 







2026年1月2日金曜日

2026年1月1日の初日の出・・・(パバロッティのオペラのアリアと、スワンのマロングラッセ・・)

 

 2026年1月1日の初日の出です。

 


 日の出を見ると、いつも思い出すことがあります。だいぶ前の話ですが、アメリカに住んでいたメル友が帰国なさった折に、うちにも訪ねてきてくださったことがありました。

 みんなでワインを飲んで話がはずんで徹夜をしたのですが、朝方にパバロッティのオペラのアリアを聴きながら、日の出を見たのでした。

 その時以来、パバロッティのはりのあるすばらしい声量で歌い上げるアリアは、日の出の風景といっしょに、忘れられない思い出になっています。

 もういまでは、徹夜もしなくなりましたが、お正月になるとなぜかいつも、その時のことが思い出されて、パバロッティのアリア集を、聴いてしまうようになったのでした・・。

 それと、もうひとつ新年になると思い出すのは、プルーストの「失われた時を求めて」の中で、スワンが主人公の家に、新年になるとマロングラッセを「てみやげ」としてもってくるという場面です。

 マロングラッセは、わたしの大好物でしたので、そのせいかもしれませんが、その場面は、「新年のスワンのマロングラッセ」として、印象に残っているのです。

高遠弘美さんの訳を引用させていただきます。

・-・-・-・

スワンの気まぐれは他の人達にも興味深いだろうと考えていた大叔母は、パリにいるとき、スワンが元日にはいつもそうするようにマロングラッセを一袋持ってきたりすると、・・・・」

・-・-・-・  引用「失われた時を求めて①第一篇「スワン家のほうへⅠ」55p


 「失われた時を求めて」は、そういう細部の風俗や習慣なども楽しむことができ、わたしのような読者にとっては、うれしいことです・・・。



     (これは、太陽がのぼる直前に写した写真ですが、朝焼け雲が、

       ピンクの中にオレンジがかった黄色が入り、クロード・モネという名前の      

           薔薇の花のようでした・・・。)


2025年12月26日金曜日

読書・「プルースト・母との書簡」フィリップ・コルブ編 権寧訳 紀伊國屋書店 (母の呼び方について・・)

 

 毎年この季節に見かけるノササゲの実です。

   濃紺の色がシックですが、

         ほかの実は、もう干しブドウのようになってしまいました・・。



 この本には、マルセル・プルーストが、16歳の頃から、母との永遠の別れの時の34歳まで、二人の間で交わした手紙149通が載っています。

 最初の手紙の冒頭には「ぼくのすてきなお母さま」二通目は、「ぼくの大好きなお母さまへ」

 そして、母からプルーストへは、「可哀そうな狼さん」「坊や」「わたしのかわいい坊や」などから、「わが子へ」と次第にかわっています。

 これらのお互いへの呼びかけの言葉からも、ふたりのあいだでの愛情の深さは感じられるのですが、深いからこそプルーストが、精神的、経済的にも自立できていなかったことや、ぜんそくなどの虚弱体質のことなどに関する母の心配は、とても大きかったのではと思います。

 そして、プルーストは、母の亡きあとにこのことに気づき、自分がどれだけ母に心配をかけていたかを、痛切に反省し涙したのではと想像しました。事実、プルーストはしばらくの間は立ち直れなかったほどだったということでした。

 母は愛情深く、教養もある女性で、プルーストにとっては、まさに何でも話せる「ぼくのすてきで、大好きなお母さま」だったことは、この書簡集から読み取れました。

 


 ところで、プルーストの「失われた時を求めて」の4人の翻訳者の方々はそれぞれ、本の中での母親や祖母の呼び方を、

井上究一郎さんは、「ママ」 「お祖母さま」

鈴木道彦さんは、「ママン」 「お祖母(ばあ)ちゃま」

吉川一義さんは「お母さん」 「おばあちゃま」

高遠弘美さんは「お母さん」 「お祖母さま」

と訳していらっしゃいますので、それぞれ引用してみます。

(主人公がまだ子供だったころ、大好きな母親が来客のためにお休みのキスをしに来れなくなったことで、がっかりして感情が高ぶっていたところ、父の特別な口添えもあり、母親が自分のベットに来てくれることになった場面です。)

引用

・-・-・-・-・-・

井上究一郎さんの訳                                                                                                                                                                                                                                                                                 

「あら、私の小さなおたからさん、私のかわいいカナリヤさん、もうすこしでこのママもいっしょにおばかさんになるところね。さあさあ、あなたもねむくはないし、ママもねむくはないのだから、いらいらしていないで、何かしましょう、あなたのご本を一冊とりましょうね。」

      「失われた時を求めて」Ⅰ第一篇 スワン家のほうへ ちくま文庫 65p

・-・-・

鈴木道彦さんの訳

「まあまあ、この可愛いおいたさんたら、もうちょっとで、ママンまで、お前と同(おんな)じおばかさんになるとこね。さあ、お前もママンも眠くないんだから、いらいらするのはやめて、なんかしましょうよ。なにかご本を読んだらどうお?」

    「失われた時を求めて」Ⅰ第一篇スワン家のほうへ 集英社文庫 97p

・-・-・

吉川一義さんの訳

「あらあら、こんなことをしていると、かわいいお馬鹿さんになっちゃいそう。さあ、あなたは眠くないんだし、お母さんも眠くないんだから、いらいらしないで、なにかしましょう。ご本でも読みましょう。」

 「失われた時を求めて」1 スワン家のほうへⅠ 96p

・-・-・

高遠弘美さんの訳

「わたしのかわいい金貨(ジョネ)さん、ちょっぴりおばかなカナリヤ(スラン)さん、こんなふうだとお母さんまであなたみたいにばかになっちゃうわ。ねえ、お母さんもそうだけど、あなたも眠くないんだったら、気を落ち着けなきゃだめね。何かしましょう。あなたの本を読む?」

「失われた時を求めて」①第一篇「スワン家のほうへⅠ」 103p

・-・-・

 翻訳者の方々はそれぞれのお考えで、熟考なさった結果だと思うのですが、わたしは鈴木道彦さんの「ママン」という翻訳が、好きです。

 プルーストの場合、父は高名な医師、母は裕福で教養のある女性ということで、恵まれていたブルジョア階級という家庭環境でしたので、世紀末という時代背景も入れて考慮しますと、わたしは手紙でも権寧さんが訳されているように、母親のことは尊敬と親しみを込めて「お母さま」と呼ぶのも自然かなと思ったのですが・・。

 失礼させていただき、井上究一郎さんの翻訳の「ママ」を、「お母さま」に置き換えてみますと、こんな感じになりました。

・-・-・

「あら、私の小さなおたからさん、私のかわいいカナリヤさん、もうすこしでお母さまもいっしょにおばかさんになるところね。さあさあ、あなたもねむくはないし、お母さまもねむくはないのだから、いらいらしていないで、何かしましょう、あなたのご本を一冊とりましょうね。」

・-・-・

 フランス語では、母は「mère」と「maman」のふたつですが、それにしても日本語での母の呼び方は、多様性にあふれていて驚きます。 

 この本「プルースト・母との書簡」の場合、権寧さんが訳された「お母さま」は、ぴったりで、手紙から感じられるプルーストの母への愛情と尊敬が、より深く感じられたのでした。

 






2025年12月14日日曜日

読書・「プルーストのはじめの一冊」

  


毎年、冬のこの季節になると、朝焼けや夕焼けがきれいで、いつも見惚れてしまいます。

      今朝の朝焼けに染まったばら色の雲・・。

             ふわふわの綿菓子のようでした。

                        



 プルーストの「失われた時を求めて」を、最初に手にとったのは、井上究一郎訳の「プルースト全集」の1冊目の単行本でした。 

 この本は、わたしの記念すべきプルーストのはじめの1冊ですが、わくわくしながら読んだのを覚えています。

 初版の第一冊発行が1984年9月10日で、その後、全18巻プラス別巻の全集が完成したのは、15年後の1999年の4月とのこと。

 翻訳なさった井上さんは、完成の少し前の1999年の1月に亡くなられていますので、彼のライフワークともいうべき「プルースト全集の個人全訳」だったと思います。

 井上さんのことを思うとき、わたしはなぜか、「失われた時を求めて」の中で作家のベルゴットの本が、彼の死後に本屋さんのショーウィンドウに飾られているというような場面があったのを思い出してしまったのですが、調べてみますと、こんな風に書いてありました。

井上究一郎さんの翻訳からの引用です。

・-・-・-・-・-・

 彼は埋葬された。しかし弔の終夜、あかりのついた本屋のかざり窓に、三冊ずつならべられた彼の著書が、つばさをひろげた天使たちのように通夜をしていて、いまは亡い人にたいする復活の象徴のように見えるのであった。

・-・-・-・-・-・

    引用「失われた時を求めて」井上究一郎訳 8「第五篇 囚われの女」324p


 

 読み直してみますと、彼のお人柄と人生がにじみでているような少し古めかしい井上さんの翻訳は、味があって、わたしは好きです。

 井上究一郎さんは、15年もの歳月をかけて、「プルースト全集の個人全訳」を最初になさったのですから、すごいことだと思います。そしてその翻訳が、わたしたち読者に「プルーストの読書のよろこび」を与えてくださっているのですから・・。

 この単行本は、とても豪華なのですが、わたしにとっては、大きくて読みにくく、高額だったということもあり、初めて全巻通して読み終えることができたのは、ちくま文庫の出版を待ってからでした。

 このちくま文庫の全巻読了には、2年かかったのですが、読み終えたときの感動はいまでも忘れられません。


     「失われた時を求めて」マルセル・プルースト 井上究一郎訳 ちくま文庫

 わたしのプルーストの「失われた時を求めて」への長い読書の旅は、ここから始まったのですが、もう30年近くもたってしまいました。

 その後は、鈴木道彦訳全巻、吉川一義訳全巻、高遠弘美訳6冊までと、まだまだ、旅の途中ですが・・。

 どの翻訳本からも、ランダムにページをめくると、プルーストの本からは、いつものなつかしい人々が出てきておしゃべりをはじめ、わたしのそのときの感性や知性に応じて、読書の喜びや楽しみをもたらしてくれるのです。

 プルーストは、読書とは自分を読むことと言っているのですが、わたしもいつも読書によって自分を読んでいるのだと素直に思います・・。

 このような本を、個人全訳で最初に翻訳してくださった井上究一郎さんには、とても感謝し尊敬しています・・。


    左から、

「失われた時を求めて」マルセル・プルースト 井上究一郎訳 ちくま文庫 全10巻

「失われた時を求めて」マルセル・プルースト 鈴木道彦訳 集英社文庫 全13冊

「失われた時を求めて」プルースト作 吉川一義訳 岩波文庫 全14冊

「失われた時を求めて」プルースト 高遠弘美訳 光文社古典新訳文庫 6冊まで・・




2025年12月6日土曜日

読書・「ドナルド・キーンの東京下町日記」ドナルド・キーン著 東京新聞  (私の好きなキーンさんの万葉集の歌の英訳)

 

 もみじの紅葉も、すっかり散ってしまいました。倒木の上になごりのもみじ葉が散り敷き、冬のやさしい日差しがさしていました・・。



  「ドナルド・キーンの東京下町日記」を、読みました。キーンさんの本は、以前から大分読んでいるのですが、特にこの本はエッセイとして、キーンさんの魅力を全部伝えているように感じました。

 キーンさんは、すばらしい秀才でしたが、日本文学に目覚めたのは、ニューヨークでアーサー・ウエリイさんの「源氏物語」の名訳を、ただ安かったからという理由で、購入なさったのがきっかけだったということですから、人生って不思議で面白いです。

 わたしが、キーンさんの著書の中で特に好きで忘れられないのは、「日本文学の歴史」1の古代・中世篇1の中の額田王(ぬかだのおおきみ)と大海皇子のお二人の歌の英訳です。

 キーンさんの和歌の英訳は、とても簡潔で明快・・。

 引用してみます。

・-・-・-・-・-・

あかねさす紫野(むらさきの)行き標野(しめの)行き野守(のもり)は見ずや君が袖振る

                                 額田王

On your way to the fields

Of crimson-tinted lavender,

The royal preserve,

Will not the guardian notice

If you wave your sleeve at me?


紫のにほへる妹(いも)を憎くあらば人妻ゆゑに我(あれ)恋ひめやも

                        大海人皇子

If I had cruel thoughts

About you,radiant  as

Lavender blossoms

Would I have fallen in love  

with you, another man`s wife?

 引用「日本文学の歴史」1 古代中世篇1 ドナルド・キーン著 土屋政雄訳 中央公論社

                                                               170p~171p

 ・-・-・-・-・-・

  この万葉集の有名な2つの歌は、668年に天智天皇が催した狩りの場で、歌われたとのこと。(当時、額田王は、天智天皇の妻でした)

 額田王のかっての夫だった皇太子大海人皇子が、あまりにも袖を振るので、野守に気づかれてしまうではありませんかと詠んだ額田王の歌にたいして

 大海人皇子が答えた歌は、いまは兄の妻となっている額田王に、人目につくということなど気にせずに、ただご自分の好きだという気持ちだけを伝えているのです・・。

「Would I have fallen in love  with you, another man`s wife?」というように・・。

また、キーンさんは、

「あかねさす紫野」を、「crimson-tinted lavender」 深い紅色に染まったラベンダー・・

そして、

「紫のにおえる」を、 「radiant  as Lavender blossoms」 ラベンダーの花のようにひかり輝いて・・

と、野草の「ムラサキ」を「ラベンダー」と訳されているのは、詩としての雰囲気は十分に伝わっていて、すてきな仕上がりになっていると思いました。

※(調べてみましたら、ムラサキは、ムラサキ科ムラサキ属の野草で、白い小さな花が咲き、根は太く紫色で昔から、染料や薬用とされたとのこと。)

 万葉集のこの2つの歌を、キーンさんの英訳で読むことができたのは、わたしにとって、とても新鮮な経験でした。

 「ドナルド・キーンの東京下町日記」には、日本文学を世界に広めてくださった「日本文学の伝道者」だったキーンさんの人生やお人柄が感じられ、日本人になられた後の「晩年の今が一番幸せで、わたしの人生は幸運だった」と書かれていたお言葉に、こちらまでほのぼのとさせていただいたのでした・・。

 日本文学を世界に広めてくださったキーンさんの功績に感謝した読書でした。



 「日本文学の歴史」1 古代中世篇1 ドナルド・キーン著 土屋政雄訳 中央公論社 

                




 







2025年11月28日金曜日

読書・「異郷の季節」鈴木道彦著 みすず書房 

 


 散歩道のあちこちではまだ、こんなうすいむらさき色のすてきな実を見ることができます。ムラサキシキブというゆかしい名前がついているのですが、今年の秋は、もうしばらくは楽しめそうです・・。



 プルーストの「失われた時を求めて」を翻訳なさった鈴木道彦さんのエッセイ「異郷の季節」を、読みました。

 鈴木道彦さんは、昨年の2024年に亡くなられているのですが、須賀敦子さんと同じ1929年のお生まれで、戦後間もない同じころに、フランスに留学なさっているのを知り調べてみましたら、須賀さんは、1953年からパリのソレボンヌ大学に、鈴木道彦さんは1954年からと一年違いだったようです。

 このエッセイは、フランスに3回留学なさった鈴木道彦さんの回想記ですが、鈴木さんのお言葉によれば、「第一部はフランスでの生活や、アルジェリアでの見聞、第二部は、社会の余白に生きる人々、欄外から攻め上がろうとする人びとと接触した記録、そして第三部は鈴木さんの専攻するフランスの文学や思想にかんするもの」と、まとめていらっしゃいます。

 この本の中での事実や行動は、鈴木さんの知識人としての人生の生き方を決められたのではと想像できました・・。



 わたしは、サルトル追悼という鈴木さんのサルトル論を、いちばんおもしろく読みました。   サルトルは、鈴木道彦さんの生き方を変えたような偉大な知識人ですが、最後にサルトルへの感謝をのべてこのエッセイは終わっています。

 鈴木道彦さんは行動する知識人として社会に参加する生き方を選ばれたのですが、そういえば、須賀敦子さんもイタリアでは、コルシア書店というキリスト教左派の運営や、帰国なさってからもやはり一時エマウス活動にかかわるなど、お二人ともに社会活動に関する生き方をなさっていて、翻訳という共通点もあり、興味深く思ったのでした。

 鈴木道彦さんの異郷の季節とは、異国の人々とのかかわりあいの中で過ぎ去っていった人生の季節なのかもしれません・・。

    ご冥福をお祈りいたします・・・・・。