モーパッサンの「女の一生」を、初めて読んだのは、高校生の頃でした。
担任だった先生が、この本を人生のいろいろな年代で読むと味わい方が違って面白いと、薦めてくださったのを、覚えています。
その後、30代の初めの頃、モーパッサンが住んでいたエトルタの家を訪ねたことがありました。
モーパッサンの母は、離婚してこの別荘に2人の息子を連れて住むようになったということでしたが、昔のままに保存してあり、モーパッサンが執筆した机などもそのまま残してありました。
その訪問の後で読んだ「女の一生」は、出てくる地名などにも馴染みができ、ノルマンディ地方への愛着のようなものさえ感じられたのを覚えています。
わたしが現在持っている「女の一生」の本は、2冊ですが、小説の最後に出てくる小間使いのロザリの言葉が好きなので、比べてみました。
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「なんのはや、世の中というものは、そんなに人の思うほど善くもなし悪くもなしですわい。」
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引用「女の一生」モーパッサン 新庄嘉章訳 新潮文庫 445p
主人公の貴族の娘ジャンヌは、夫の浮気や放蕩息子で苦労します。そして、希望を失いかけた人生の晩年に孫(母親を亡くした息子の子供)を、育てることになるのですが、その時に昔は小間使いで乳姉妹だったロザリが、ジャンヌにかけてあげる言葉がこれなのでした。
主人公の貴族の娘ジャンヌは、夫の浮気や放蕩息子で苦労します。そして、希望を失いかけた人生の晩年に孫(母親を亡くした息子の子供)を、育てることになるのですが、その時に昔は小間使いで乳姉妹だったロザリが、ジャンヌにかけてあげる言葉がこれなのでした。
「世の中は人が思うほど、良くもなく悪くもない」
19世紀のモーパッサンの時代には、これが理不尽な人生に対するなぐさめの言葉だと思ったのでした・・。
この後の20世紀に出てきたプルーストとは、比較にもならないのは自明ですが、この物語を、モーパッサンは、ささやかな真実といったとのことです・・。
新庄さんの解説に、モーパッサンは最晩年に精神の病にかかるのですが、それでも、なつかしい母親と過ごしたあの「エトルタ」のポプラの木をこんなふうに、述懐していたと書いてありました。
「ポプラの葉が微風に吹かれてなびくときの美しさったらなかった・・。」と
※岩波文庫の杉捷夫訳では、主人公の名前は、「ジャーヌ」ですが、
新潮文庫の新庄嘉章訳では、「ジャンヌ」と訳されています。
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