知人から手紙が届きました。
それは、彼女の先日亡くなられたパートナーの方の納骨を無事に
終えられたというお知らせと、詩の紹介でした。
彼女がパートナーの方の遺品を整理なさっていたら、彼の机の
引き出しの中に、本を見つけられたそうです。
その本は、クレーの絵が大好きだったパートナーの方の誕生日に
彼女が贈った「クレーの絵本 谷川俊太郎」で、ページをめくっていくと、
この詩に出あったということでした。
それは、「死と炎」という題のこんな詩で、左のクレーの絵に
添えて書かれています。
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死と炎
谷川俊太郎
かわりにしんでくれるひとがいないので
わたしはじぶんでしなねばならない
だれのほねでもない
わたしはわたしのほねになる
かなしみ
かわのながれ
ひとびとのおしゃべり
あさつゆにぬれたくものす
そのどれひとつとして
わたしはたずさえてゆくことができない
せめてすきなうただけは
きこえていてはくれぬだろうか
わたしのほねのみみに
・-・-・-・-・-・-・-・
引用「クレーの絵本 谷川俊太郎」より
彼女は、まるで夫の心を代弁しているようなこの詩に、読むたびに
涙がこみあげてくると、おっしゃっていました。
彼女の胸中を思うと、高村光太郎の「悲しみは光と化す」という言葉を
思い出してしまいました。光太郎はこの言葉を、ベストパートナーを
亡くされた方に贈っています。
光太郎も最愛のパートナーの智恵子さんに先立たれていますが、その
悲しみの究極を経験した後、やがて悲しみは光のようになって自分の
まわりに満ちてきて、生きているようにさえ感じられるようになるという
ことでした。
彼女のいまの悲しみも、光のように思える日が来ますようにと願いながら
この本を読み終えました。
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