昨日、ある方が、大事に育てていらっしゃる薔薇を、いただきました。
実は彼女は、長年のメル友だったのですが、昨日初めてお会いしたのです。
これからは、彼女の優しい笑顔と、あの特徴のあるおっとりとなさった幼子のような声を思い出しながら、メールできるのが、楽しみになりました。
人生には、こんな出会いもあり彼女の大好きな薔薇は、わたしのこころの思い出の薔薇にもなって、いつまでも咲いていてくれると思います。
薔薇の花をじっと見ていると、リルケの詩を思い出しました。
「薔薇の内部」というこんな詩です。
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「薔薇の内部」 リルケ
富士川英郎訳
何処にこの内部に対する
外部があるのだろう?どんな痛みのうえに
このような麻布があてられるのか?
この憂いなく
ひらいた薔薇の
内湖に映っているのは
どの空なのだろう?見よ
どんなに薔薇が咲きこぼれ
ほぐれているかを ふるえる手さえ
それを散りこぼすことがないかのよう
薔薇にはほとんど自分が
支えきれないのだ その多くの花は
みちあふれ
内部の世界から
外部へとあふれでている
そして外部はますますみちみちて 圏を閉(と)じ
ついに夏ぜんたいが 一つの部屋に
夢のなかの一つの部屋になるのだ
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引用 リルケ詩集 富士川英郎訳 新潮文庫 99p~100p
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