きょうの散歩のときに、出会った猫です。まだ幼いようで、冬の陽ざしを浴びて物憂げに
こちらを見ていました。
猫の詩と言えば、萩原朔太郎の「猫」が、すぐにあたまに浮かんできます。
・-・-・-・-・-・-・-・
「猫」
萩原朔太郎
まつくろけの猫が二疋、
なやましいよるの家根のうへで、
ぴんとたてた尻尾のさきから、
糸のやうなみかづきがかすんでゐる。
『おわあ、こんばんは』
『おわあ、こんばんは』
『おぎやあ、おぎやあ、おぎやあ』
『おわああ、ここの家の主人は病気です』
・-・-・-・-・-・-・-・
引用 萩原朔太郎詩集「青猫」集英社文庫35p
真っ黒な猫が二匹、そしてその尻尾の先には、ほそ~い三日月、シュールな世界ですが、病的なほどの感受性だなあといつも思います。
萩原朔太郎は、室生犀星と友人だったのですが、室生犀星も猫の詩をいくつか書いていますので、引用させていただきます。
・-・-・-・-・-・-・-・
猫のうた
猫は時計のかはりになりますか。
それだのに
どこの家にも猫がゐて
ぶらぶらあしをよごしてあそんでゐる。
猫の性質は
人間の性質をみることがうまくて
やさしい人についてまはる、
きびしい人にはつかない、
いつもねむつてゐながら
はんぶん眼《め》をひらいて人を見てゐる。
どこの家にも一ぴきゐるが、
猫は時計のかはりになりますか。
・-・-・-・-・-・-・-・
引用 「動物詩集」室生犀星
室生犀星の家で飼われていた猫のジーノの写真を見たことがあるのですが、火鉢の縁に両手をかけて暖をとっているかわいい姿でした。室生犀星のこの詩も、とても彼らしく現実的で人間観察も彼独特のものがあり、ユーモアさえ感じられる詩だと思います。
朔太郎と犀星、彼らの猫の詩は、二人の個性の違いがはっきりと感じられ、比較してみると、とてもおもしろく思いました。
0 件のコメント:
コメントを投稿