きょうの散歩で「セリバオウレン」が咲いているのを、見つけました。いつもと同じ群生地です。セリバオウレンは、葉がセリの形をしているので名付けられたそうですが、数年前に初めてこの花を見たときには、小さな春の妖精たちが踊っているように見えたのを思い出します!
また、植物学的にもとてもめずらしい花で、雌花と真っ白の雄花、そして両性花と三種類もあるのですが、下の写真は、雌花です。
わたしにとって、鈴木道彦さんといえば、プルーストの「失われた時を求めて」を、井上究一郎さんの翻訳に続いて読んだ、二番目のプルースト翻訳者ですが、彼の著書「異郷の季節」も、昨年の11月に読んでこのブログにもアップしており、親しみのある方です
鈴木道彦さんは、2001年に「失われた時を求めて」を、全巻訳し終えられて翌年の2002年にこの本を、書かれたようですが、本の帯には、「最高のプルースト入門」と、大きく書かれていますので、そのころに新刊で読み、それ以来、本箱にいつもある本です。
鈴木さんとプルーストとの出会いは、第二次世界大戦後まもなくのころ、旧制高校の三年の十八歳の春に「スワンの恋」を読まれ、人生の方向を決めてしまうほどに、この本に惹きつけられてしまったということです。そしてそれ以来、プルーストを知ったおかげで人生が豊かになられたとのことですが、人生が豊かになったという点では、わたしもまったく同じでした・・。
鈴木さんは、1929年のお生まれで、東京大学文学部仏文科卒業後、1954年からのフランス留学をへて、フランス文学者になられていますが、父上の鈴木信太郎さんもフランス文学者でしたので、やはりサルトルのように本に囲まれた恵まれた環境で育たれたのかなと想像します。
プルーストの作品は、作家や批評家や専門の外国文学者に限らず、別の仕事を持った人々や主婦たちの中にも熱心な読者がいると書かれていますが、わたしはこのような鈴木さんの知識人としてのリベラルなお考えにとても惹かれます!!!
また彼は、作品理解の上でプルーストの実人生を知ることが大事ではないというお考えで、この作品は「虚構の自伝」であり虚構であるからこそ、自分の真実を語ることができると、言われていますが、わたしもそう思います。
プルーストの「失われた時を求めて」の第一巻「スワン家のほうへ」が、1913年に出版されたとき、「ル・マタン」紙の記者のインタビューにプルーストはこのようなことを答えたとか・・。
私の作品は、無意識的記憶と、意志的記憶の区別に貫かれているが、意志的記憶は、知性と目の記憶であって、真実を欠いた面しか与えてくれない。それに比べて匂いや味というようなものが、われわれのこころによびさましてくれるものは、意志的記憶とはどんなに違っているかと、感じる・・。
鈴木さんはこのことから、
「要するに、無意志的記憶の合図によって始まるのは、死んだ過去を語る自伝とは異なって、蘇った過去の魂の物語なのである。」と、書かれています。
「過去の魂の物語」という彼の表現がとてもすてきだなと思いました・・。
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