寂光院は、京都・大原にある天台宗の尼寺ですが、建礼門院徳子が源平の戦いに壇ノ浦で敗れた後、平家一門と我が子の安徳天皇の菩提を弔うために、終生過ごされたところとして、有名なお寺です。
大原のバス停から、ゆっくりと山里の細道を歩いて行くと、コスモスが咲き乱れている風景が、とてもすてきでした。
寂光院を訪ねたのは、10月1日でしたが、紅葉にはまだ少し早く、参道のもみじもまだ、あおあおとしていました。
白洲正子さんは著書の「古典の細道」の中で、能の「大原御幸」とからめて、興味深い話をなさっています。
白洲さんは能の「大原御幸」をご覧になられ、これは一種の恋愛物語に違いないと思われたのだそうです。
平家物語にも出てきますが、後白河法皇が、この寂光院の徳子を訪ねられたとき、彼女は裏山に花を摘みに行って戻られるところでした。
徳子は他の尼たちにうながされて、庵室に入って後白河法皇と対面なさるですが、そこで何があったのか、なかったのか・・・。
白洲さんは、このお話が「大原御幸」として、能などに取り上げられたのは、当時の人々の間で怪しげなものと見られたのではないからかと、分析なさっています。
そして、さらに能のような芸術は、根も葉もない話を創作することはなく、見物人の先入観を踏まえて作るのが、常識でもあったとも書かれています。
ひじょうに美しい人であったという法王の寵后建春門院は、徳子の生母と姉妹でしたので、徳子もうつくしい女性だったのでしょう・・。
建礼門院徳子の住んだ庵室跡に佇むと、彼女の数奇な人生が思われました。
建礼門院徳子の庵室跡
庵室跡にさす木漏れ日
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ここは、平家物語の諸行無常という言葉がぴったりの場所かもしれないなあと思いながら、寂光院をあとにしました。
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