昨日は、小雨の中、夏目漱石の終焉の地を訪ねてきました。
そこは、漱石が亡くなるまでの最後の9年間を過ごした漱石山房があったところで、いまは新宿区立の「漱石公園」になっています。
「硝子戸の中」という随筆の冒頭には、庭の場面があり芭蕉が出てきますので、引用してみます。
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「硝子戸の中から外を見渡しても、霜除けをした芭蕉だの、赤い実の結った梅もどきの枝だの、無遠慮に直立した電信柱だのがすぐ眼に着くが、その他に、これと云って数え立てる程のものは始んど視野に入って来ない。」
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引用 夏目漱石の「硝子戸の中」冒頭より
漱石は、ここにあった家で「三四郎」「それから」「こゝろ」「道草」などの作品を書いています。
随筆の「硝子戸の中」は、短いので今回読みなおしてみたのですが、俳句が、4作品もありました。
犬のヘクトーが死んだときの
☆「秋風の聞えぬ土に埋めてやりぬ」 夏目漱石
☆ 「半鐘と並んで高き冬木哉」 夏目漱石
☆ 「影参差松(かげしんしまつ)三本の月夜かな」 夏目漱石
☆ 「ある程の菊投げ入れよ棺の中」 夏目漱石
友人の才媛の妻が亡くなったときの句
それぞれの句にまつわる出来事が書かれているのですが、最初の秋風の句と、最後のある程の菊の句は、好きな句です。
漱石の自伝ともいわれている「道草」は、以前に読んだのですが、彼も人生の悲哀がいろいろあったのだと思わせられる内容でした。
漱石はこの本のことを「自分のもっとも卑しいところ、面目を失するようなところ」を、隠さず表したといっています。
この「硝子戸の中」は、彼の日常の生活の様子などが書かれていておもしろく読みました。子供たちが、たき火にあたっているのを見て、「顔が黒くなっちゃうよ」というところなどは、思わずくすっとさせられて、彼のユーモアを感じたのですが、彼は落語が好きだったとのことで、納得でした。
漱石の孫の松岡陽子マックレインさんの講演
「漱石山房の思い出」
「漱石山房秋冬」
漱石公園内にある「道草庵」で、この2冊の本をいただきました。
夏目坂に建てられている漱石誕生の地という
石碑
漱石公園内に咲いていたボケの花
偶然ですが、帰り道、早稲田大学大隈講堂で開かれていた早稲田大学能楽連盟秋季公演を見てきたのですが、漱石も、宝生流の謡の稽古を自宅でしていたとのことです。
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