永井荷風は、伝通院の近くの文京区春日で生まれています。生家はもうないのですが、生家付近に文京区教育委員会で建てた標識がありました。
永井荷風の生育地の標識
荷風は、ここで幼少時代の13年間を暮らしたということですが、幼少時代の思い出を「伝通院」という随筆にこんな風に書いています。
「わたしの幼い時の幸福なる記憶も此の伝通院の古刹を中心として常に此の周囲を離れぬのである・・・」 引用 永井荷風随筆「伝通院」より
永井荷風生育地という標識のあるところから、伝通院までは、歩いて10分もかからないところにありました。
伝通院
伝通院は、徳川将軍家の菩提寺ですが、寺の名前は家康の生母於大の方の法名の伝通院殿からとった名前だそうです。
於大の方をはじめ、千姫のお墓もあります。
千姫のお墓
永井荷風の随筆「伝通院」によれば、荷風は帰国してからすぐに伝通院を訪ねたのですが、その翌日に伝通院は焼けてしまい、この古いお墓の辺りまで丸見えになってしまっていたということでした。
荷風にとって伝通院は、郷愁を感じる特別の場所だったようです。欧米に滞在中も、この辺りの風景をなつかしく思いだしていたのかもしれません。
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