2026年7月3日金曜日

読書・「フランス文学者の誕生 マラルメへの旅」鈴木道彦著 筑摩書房 (世界は一冊の美しい書物に近づくべく出来ている・・)  

 

 昨日、散歩していましたら、まだノイバラが咲き残っていました。このブログにも数回写真を載せていますが、今年のノイバラです。

 つぼみは、ほんのり紅がさしていていつものようにかわいいのですが、花びらが一枚、「ハート形」になっていてサプライズでした・・。



 鈴木道彦さんが書かれた「フランス文学者の誕生 マラルメへの旅」を、読みました。

 鈴木道彦さんは、プルーストの「失われた時を求めて」を井上究一郎さんに続いて2度目に個人全訳なさった方ですが、この本は、彼の父である鈴木信太郎さんについての評伝で、「鈴木信太郎さんは、いかにしてフランス文学者になったのか」ということが書かれています。

 鈴木信太郎さんは、1895年(明治28年)に地主と米問屋という恵まれた資産家の総領として誕生なさっています。そして、当時は、このことが「フランス文学者の誕生」にとっての大事な下地になられたのだということが、理解できました。

 事実、後に東大仏文科をいっしょに活性化なさった辰野隆さん、山田環樹さんも恵まれた資産家のご子息だったとか。(余談ですが、山田環樹さんの最初の妻だった森茉莉さんのエッセイで、パリでの生活のことや、辰野さんのお名前も出てくるのを読んだことがあります。)

 信太郎さんは、1925年30歳のとき、パリに私費で留学なさっているのですが、そのときには、芝居を観ること。本を買うこと。そして中世のフランス語を勉強するという3つのことに熱心にとりくまれた優雅な生活だったようです。

 帰国後にそのときに購入なさった貴重な本などを入れる鉄筋コンクリートの書斎を作られたようですが、第二次世界大戦の戦禍のときにも本は、無事だったとのこと。




  戦前から戦後にかけて東大仏文科の卒業生として、中村光夫さん、寺田透さん、森有正さん、吉田秀和さんがいらっしゃり、そして、辰野隆さんが小林英雄さんと三好達治さんのことを「日本一の評論家と詩人」と評されたことなどもあり、信太郎さんにとっても卒業生たちが自慢だったのだとか・・。

 わたしも吉田秀和さんの本は、読んでいますし、彼のファンでもありますが、それにしても、きら星のような方々が、日本の文化に貢献なさっているのだと実感します。

 さらに、道彦さんは、「ご自分に近いところで」として、卒業名簿に昭和16年(1941年)の卒業の中村真一郎さん、福永武彦さん、昭和18年には白井健三郎さんのお名前があることに注目なさり、医学部だった加藤周一さんも東大仏文科の研究室には絶えず出入りなさっており、戦後に華々しくデビューの「マチネ・ポエチック」を生む土壌にも、仏文科はなったのではと、推論なさっています。

 道彦さんは、中村真一郎さんのことを多く語られており、卒業のときの信太郎さんとのエピソードなどは、とくにおもしろく読みました。  

 中村真一郎さんは卒業の直前になって、一単位が足りないことに気づかれ、レポートで単位のとれるシナ文学科の「古詩源」の演習のレポート提出のアドバイスを、信太郎さんに求められたそうです。信太郎さんは、ヴァレリーの序文のついた陶淵明の仏訳豪華本を取り出して中村さんに読ませ、仏訳を原文と比較しながら、おふたりでレポートを完成し、見事に翌日の提出日まで間に合ったのだとか・・。

 信太郎さんは、1945年に「ステファン・マラルメ詩集 考」で文学博士の学位を取得なさったとのことです。

 書斎には彼のデザインの5枚のステンドグラスにまたがる形で、マラルメのあの有名な

        「世界は一冊の美しい書物に近づくべく出来ている」

 という文字がフランス語で記されているとのことです・・。

 



※鈴木道彦さんは、この本を80歳を過ぎてから書かれています。父の信太郎さんの書斎のある旧居を豊島区に有形文化財として、寄付なさっていますので、そこを訪ねる方のために、鈴木家の歴史を書き残しておきたいとのご趣旨でこの本を書かれたとのことでした・・。