2026年7月25日土曜日

読書・「プルーストへの扉」ファニー・ピション著 高遠弘美訳 白水社  (再読・・・)

 

 先日、梅雨が開け、ようやく高原にも本格的な夏がきました。夏の花は、何といってもヤマユリがプリンセスですが、今年は蕾をつけたままの1メートルを超すたくさんのヤマユリの球根がイノシシに食べられてしまったのです・・。散歩道や公園の道がわのへりにそって無数の掘られた穴の跡があり、根元の茎をかじられてしまったヤマユリが蕾をつけたまま、残っているのを見るのは辛く、とても残念でした。

 下の写真は7月20日の海の日の朝に咲いたばかりのヤマユリです。厳しい自然環境のなか、健気に咲く姿には、元気をもらえうれしくなったのでした・・。




 高遠弘美さん訳の「プルーストへの扉」を、再読しました。最初に読んだ感想をこのブログに書いたのは、2022年の8月30日でしたが、第一冊の発行が2021年の2月ですので、まだ新刊のころに購入した本でした。

 今回、気づいたのは、後ろの「本書に登場する固有名詞索引」と写真入りの「プルースト関連年表」そして、くわしい「文献目録」があることでしたが、翻訳者の高遠弘美さんの読者に対する親切心から書かれたのだと思いました。

 再読してみると、この本は、学術書とは違いきわめて平易に書かれていて、読みやすく、それでいて、内容が濃く、著者のピションさんは、パリ高等師範学校をご卒業なさってから、現在もリセで、教鞭をとられているということなので、納得でした。

 ピションさんは、ランボーについても、この本と同じシリーズで本を出版なさっているとのことなので、翻訳されれば、是非読んでみたい本です。


 

 今回の読書で、いちばんこころに残ったのは、「人生の至高の価値は藝術のうちにある」ということを、プルーストは作品の中で語っているということでした。

 音楽や絵画は、芸術家の深い内面を表現しており、事物に対するあたらしい視点を表現してくれている。

 そしてあの有名なプルーストの言葉である「ほんとうの旅とは新しい風景を見に行くことではなく、自分とは異なる眼を持つこと・・」

 それをわしたちに可能にしてくれるのは、絵画や音楽などの「芸術家」である・・。

 ピションさんは、プルーストはそういう確信をもっていたので、語り手が小説の最後で、自分も芸術家として言葉で表現する作家になるという決意を示したのだと、語られています。

 プルーストが最後に「書くこと」を決心したのは、彼が藝術家をとても愛していたからだとも・・。

 

 


2026年7月16日木曜日

読書・「源氏物語の世界」中村真一郎著 新潮選書         再読(プルーストの文学との接点・・)

 


 先日、雨上がりに散歩していますと、タケニグサの大きな葉っぱの上に、雨粒が水晶玉のように、一瞬きらりと光って見えました。

  よく見るとまわりの世界が映っていて、まるで清らかなこころが宿っているようにも見えたのですが、このようにきれいなこころで、まわりの世界を見ることができたらすてきだろうなあと、ひそかに思ったのでした・・。



 中村真一郎さんが書かれた「源氏物語の世界」を、再読しました。前回読んだのは、2022年5月11日で、このブログにも感想を書いています。

 今回もやはりいちばん心に残ったのは、プルーストとの接点でしたが、どうして「源氏物語」が、世界の文学的遺産となったのかという考察も、再確認したのでした。

 1920年代のイギリスでは、世界の知的中心のひとつとして、ブルームズベリーというグループがあり、小説家のE・M・フォースーや、ヴァージニア・ウルフなどがメンバーだったとのこと。

 彼らは、ジョイスとプルーストを、文学界に紹介しているのですが、同時期に、アーサー・ウェイレーの翻訳した源氏物語も、プルーストなどと同じ等質の文学として、紹介されたとのことでした。

 中村真一郎さんによれば、ウェイレーの源氏物語の英語の翻訳は、知的で優雅で凝っており、まさにブルームズベリー的とのことですが、わたしも彼の英訳の冒頭を読んでエレガントだと感じたのを思い出します。



 また、中村真一郎さんは、紫式部の「源氏物語」と、プルーストの「失われた時を求めて」の共通点として以下の4つを挙げられていました。

1・人間のこころの奥へ照明をあたえた。

2・美に対する繊細な趣味。

3・時間に対する形而上学的な重要さ。

4・社交的な生活への興味。 

 わたしもこの4つは、なるほどと納得したのですが、さすが、フランス文学と、源氏物語に造詣が深いご高察だと思ったのでした。

 さらに、中村さんは、ブルームズベリーのグループから、「プルーストは新しい文学として」、「源氏物語は、新しい古典として」認識され、世界文学のなかに登場したのだとも、述べられています。

 この本は、源氏物語を再読し、再確認するようにも、楽しく読むことができたのですが、さらには、源氏物語がいかにして、世界の文学の古典として認知されるようになったのかや、プルーストの文学との接点まで知ることができた、忘れがたい一冊になったのでした・・。

 


 

2026年7月3日金曜日

読書・「フランス文学者の誕生 マラルメへの旅」鈴木道彦著 筑摩書房 (世界は一冊の美しい書物に近づくべく出来ている・・)  

 

 昨日、散歩していましたら、まだノイバラが咲き残っていました。このブログにも数回写真を載せていますが、今年のノイバラです。

 つぼみは、ほんのり紅がさしていていつものようにかわいいのですが、花びらが一枚、「ハート形」になっていてサプライズでした。

 ちいさな自然の驚きは、いつもわたしの心をあたたかくしてくれるのですが、遠い時代に生きた文学者の方々のことも、なぜかなつかしく思われるのでした・・。



 鈴木道彦さんが書かれた「フランス文学者の誕生 マラルメへの旅」を、読みました。

 鈴木道彦さんは、プルーストの「失われた時を求めて」を井上究一郎さんに続いて2度目に個人全訳なさった方ですが、この本は、彼の父である鈴木信太郎さんについての評伝で、「鈴木信太郎さんは、いかにしてフランス文学者になったのか」ということが書かれています。

 鈴木信太郎さんは、1895年(明治28年)に地主と米問屋という恵まれた資産家の総領として誕生なさっています。そして、当時は、このことが「フランス文学者の誕生」にとっての大事な下地になられたのだということが、理解できました。

 事実、後に東大仏文科をいっしょに活性化なさった辰野隆さん、山田環樹さんも恵まれた資産家のご子息だったとか。(余談ですが、山田環樹さんの最初の妻だった森茉莉さんのエッセイで、パリでの生活のことや、辰野さんのお名前も出てくるのを読んだことがあります。)

 信太郎さんは、1925年30歳のとき、パリに私費で留学なさっているのですが、そのときには、芝居を観ること。本を買うこと。そして中世のフランス語を勉強するという3つのことに熱心にとりくまれた優雅な生活だったようです。

 帰国後にそのときに購入なさった貴重な本などを入れる鉄筋コンクリートの書斎を作られたようですが、第二次世界大戦の戦禍のときにも本は、無事だったとのこと。




  戦前から戦後にかけて東大仏文科の卒業生として、中村光夫さん、寺田透さん、森有正さん、吉田秀和さんがいらっしゃり、そして、辰野隆さんが小林英雄さんと三好達治さんのことを「日本一の評論家と詩人」と評されたことなどもあり、信太郎さんにとっても卒業生たちが自慢だったのだとか・・。

 わたしも吉田秀和さんの本は、読んでいますし、彼のファンでもありますが、それにしても、きら星のような方々が、日本の文化に貢献なさっているのだと実感します。

 さらに、道彦さんは、「ご自分に近いところで」として、卒業名簿に昭和16年(1941年)の卒業の中村真一郎さん、福永武彦さん、昭和18年には白井健三郎さんのお名前があることに注目なさり、医学部だった加藤周一さんも東大仏文科の研究室には絶えず出入りなさっており、戦後に華々しくデビューの「マチネ・ポエチック」を生む土壌にも、仏文科はなったのではと、推論なさっています。

 道彦さんは、中村真一郎さんのことを多く語られており、卒業のときの信太郎さんとのエピソードなどは、とくにおもしろく読みました。  

 中村真一郎さんは卒業の直前になって、一単位が足りないことに気づかれ、レポートで単位のとれるシナ文学科の「古詩源」の演習のレポート提出のアドバイスを、信太郎さんに求められたそうです。信太郎さんは、ヴァレリーの序文のついた陶淵明の仏訳豪華本を取り出して中村さんに読ませ、仏訳を原文と比較しながら、おふたりでレポートを完成し、見事に翌日の提出日まで間に合ったのだとか・・。

 信太郎さんは、1945年に「ステファン・マラルメ詩集 考」で文学博士の学位を取得なさったとのことです。

 書斎には彼のデザインの5枚のステンドグラスにまたがる形で、マラルメのあの有名な

        「世界は一冊の美しい書物に近づくべく出来ている」

 という文字がフランス語で記されているとのことです・・。

 



※鈴木道彦さんは、この本を80歳を過ぎてから書かれています。父の信太郎さんの書斎のある旧居を豊島区に有形文化財として、寄付なさっていますので、そこを訪ねる方のために、鈴木家の歴史を書き残しておきたいとのご趣旨でこの本を書かれたとのことでした・・。