7月の下旬に「ヤマユリ」が咲き終わるころ、林の薄暗がりで「ウバユリ」が静かに咲いていました。緑がかった白い花は、気品が感じられ、そっと浮かぶように見えます。
花が咲くころに、葉が枯れてしまうため「ウバユリ」と名づけられたようですが、そのひびきにはどこか切なさがあり、心に残りました。
林の奥でひっそりと咲く「ウバユリ」は、そこだけ美しい時間が流れているように感じたのでした。
林の静けさが、ふと先日読んだ万葉集の一首を思い出させたのでした・・。
日本の名随筆を集めた作品社の「万葉三」を、再読しました。
この本は、万葉集に関する随筆を、中西進さんの編で20集められているのですが、今回はその中の「日本古代詩歌の魅力 ー-ウェーリーの訳を通して」という題の平川祐弘さんの書かれた随筆をおもしろく読みました。
平川さんは、比較文学者とのことですが、万葉集の詩歌を、アーサー・ウェーリーさんの英訳と比較して紹介なさっています。
万葉集巻七(一二六三)
暁(あかとき)と夜烏(よがらす)鳴けどこの山上(をか)の木末(こぬれ)の上はいまだ静けし 作者不詳
この作者不詳の万葉集の和歌を、ウェーリーさんは、このように改訳なさっています。
・-・-・
HE. 'Dawn,dawn,dawn!' the crows are calling.
SHE. Let them cry!
For round the little tree-tops
Of yonder mountain
The night is still.
男、 「夜明けだ、夜明けだ」と烏(からす)たちが時を告げている。
女、 鳴いても構わないわ。
だって向こうの山の
梢のあたりは
まだ夜が静かなのですもの。
・-・-・-・ 引用223~224p
アーサー・ウェーリーさんのこの改訳は、小さな光のようなものを感じました。
平川さんは、このウェーリーさんの改訳の英詩を読むと、わたしたち日本人は、シェイクスピアの「ロメオとジュリエット」のバルコンでのきぬぎぬの別れを惜しむ場面を、連想するのではと、言われていますが、わたしも同じように思ったのでした。
そして次に、平川さんは、「ロメオとジュリエット」の同じ場面を、紹介なさっています。
・-・-・-・
ジュリエット もう行ってしまうの?朝にはまだ間(ま)があるわ、いま聞こえたのは雲
雀(ひばり)ではなくてよ。
ロメオ いや朝を告げる雲雀だ。ほら、ごらん、あの向こうの東の空を、ほがらかな
朝がはや霧を破って山の頂きにつま先き立ちに立っている。
・-・-・-・ 引用224p
平川さんは、ウェーリーさんが、万葉集の歌を英訳なさるときに、彼と彼女との対話として、人間味の強い会話にドラマタイズなさったのは、イギリスの読者に理解されやすくするためと、分析なさっています。
そして、詩というものは、その国の伝統的な雰囲気にうまく合わないと、詩情がいきてこないのではとも・・。
アーサー・ウェーリーさんは、世界の詩の中で日本の和歌ほど外国語に翻訳しがたいものはないともいわれており、何よりも和歌の詩情を大切に尊ばれていたとのことです。
それにしても、あの源氏物語の英語の名訳で知られているアーサー・ウェーリーさんが、万葉集の歌をこのように、大胆に改訳なさっていたとは、やはり文化の違いは、おもしろいと思ったのでした。
そして、万葉集の歌のしずけさと、ロメオとジュリエットの劇的な朝の気配がひとつの光景として感じられたのでした・・。
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