ユキザサが散歩道で咲いています。葉が笹のようで、白い小さな花が雪のように見えることから「ユキザサ」という名前がつけられたようですが、同じ場所に群れて咲いているのを遠くから見ると、やはり雪がふわっと積もっているようにも見えます・・。
よく見ると、小さな6枚の白い花びらが、それぞれ、くっきりと、ひろがっていて、まるで線香花火の火花がパチパチとはじけるようにも見え、元気をもらえる花です・・。
工藤庸子さんが書かれた「プルーストからコレットへ いかにして風俗小説を読むか」1991年5月発行を、再読しました。最初に、この本を読んだ後、工藤庸子さんが翻訳なさったコレットの本、「シェリ」「シェリの最後」「牝猫」「わたしの修業時代」などを、次々に読んだのを思い出します。
「シェリ」や「シェリの最後」などは、岩波書店から1994年に第1刷発行されているのですが、「コレット」という映画が2019年に全国ロードショーされたのにあわせて、2019年にも コレットの本が新しく発売されたようでした。「シェリの最後」と「牝猫」の本の帯に、この映画の主人公のコレット役のキーラ・ナイトレイの写真が印刷されていましたから・・。
ベル・エポックのパリで、独特の才能を咲かせたコレットという作家は、やはり現代でも、映画にもなるほど魅力的な女性だったようです。
工藤さんは、ベルエポックという同時代に生きた、フランスの二人の作家、プルースト」とコレットを、「風俗」という独自の視点から語られているのがこの本です・・。(プルーストは、1871年生まれで、コレットは1873年生まれ)
この本でわたしがいちばん興味を持ちこころに残ったのは、プルーストが1919年にコレットに送ったという「一通の手紙」でした。
「マダム、もう久しくなかったことですが、今夜はちょっと泣きました。」
で始まるプルーストのこの手紙は、コレットの作品の中の「踊り子ミツゥ」の手紙が涙するほど美しかったということ・・。コレットのことを「貴方のような大作家」と呼びかけ、そして最後には、「敬意と称賛の念」を捧げたいとまで書いています・・。
この手紙を出した同じ年の1919年には、プルーストはゴンクール賞を、「花咲く乙女たちのかげに」で受賞し、翌年1920年にはコレットは代表作「シェリ」を書き、1920年には、ふたりそろって、「レジオン・ドヌール勲章」を授与されています。
コレットはまた、1920年に、アンドレ・ジッドからも、「シェリ」の作品への賛辞の手紙を受け取っていたとのことで、その全文も引用されていました。
プルーストやアンドレ・ジッドから、作品への称賛の手紙を受け取ったコレットは、やはり魅力のある文学者だったのだと実感します。
そもそも、工藤さんがコレットに注目なさるようになったのは、彼女が敬愛なさっていた篠田一士先生の言葉「コレットはプルーストより難解です」が、魅力的な課題となられたと「序」に書かれています。
そしてさらに、
・-・-・-・
「コレットが本当に味読できるか、できないかは、フランス文学といわず、フランス的感受性そのものの理解の試金石のひとつになるうるのではないかとまで考えている」
・-・-・-・引用4p
という「ヨーロッパの批評言語」に書かれた篠田先生の言葉の引用も、含蓄がありました・・。
工藤さんは、長年の課題であった「プルーストはコレットよりも難解」という篠田先生のことばの宿題として、風俗という視点から、二人の文学を語りたいというのが、この本を書かれる動機にもなったのだと、実感したのでした・・。
でも、わたしは、何よりもこの本で、プルーストのコレットに送った手紙から、彼のコレットの文学に対するすてきな感受性を知ったということが、大きな収穫でした・・。
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