2026年9月21日月曜日

読書・「式子内親王伝 面影びとは法然」石丸晶子著 朝日新聞社 (レンゲショウマのような式子内親王)

 

 2026年8月に咲いたレンゲショウマです。レンゲショウマは、日本特産の1属1種の気品ある花・・。まん丸のみどりのかわいらしい蕾が開くと、蓮のような花がうつむいて静かに花開きます。

 この気品ある花を見ると、わたしはいつも式子内親王のことを思い出してしまうのです・・。



 
 8月に咲いていた花は、いまはもう、2つか3つに分かれた、きみどり色の細長い実に変わっています。

 このように花が終わって実になった姿を見届けたのは、今年がはじめてでしたが、変わらないものは、何もないのだと、しみじみと思ったのでした・・。




 「式子内親王伝 面影びとは法然」を、再読しました。わたしは、式子内親王のファンですので、「式子内親王伝」というタイトルにひかれて、古本で購入した本でした。

 著者の石丸晶子さんは、この本を書くにあたり、新しい資料として、法然が式子内親王に書いた返書の存在を示し、その内容から、内親王の面影びとは、法然だったではと、推論なさっています。

 本に書いてある年譜によれば、式子内親王は、後白河法皇の第三皇女で、7歳のころに、斎宮に卜定され斎院となり、17歳のころに病で斎院退下したあとは、終生、独身で過ごされたとのこと・・。

 式子内親王が、法然に初めて出会ったのは、36,7歳のころで、法然は50代なかばだったとか・・。そして、このときから、式子内親王は、法然への激しい慕情に生きるようになったのではと、石丸さんは推察なさっています。

「玉の緒よ絶えなば絶えねながらへば忍ぶることの弱りもぞする」 式子内親王

 式子内親王の有名な歌ですが、このような究極の忍ぶ恋の歌を、絶唱なさったのは、やはり、恋のお相手が心の中にいらしたように、わたしも思ってしまいます。

 石丸さんは、式子内親王のことを、このように書かれています。
・-・-・-・-・
 私が式子に心惹かれ、式子に愛情を感じるのも、彼女がついに、どこにも帰属する世界を持たず、しかもなお、この人の世に無限の想いを残し、恨みを残して死んでいった、という点にある。
・-・-・-・-・        引用273p

 式子内親王は、1201年1月25日に亡くなっているのですが、その2年前ぐらいから病になり、亡くなる直前の1月に、法然に今生での最後の対面を願う手紙を出すのですが、法然は、長い返書を書いたのみで、会うことはかないませんでした。

 法然は返書に、「この世での対面などはどうでもよいことで、阿弥陀の浄土で再びお会いできるまで、そこでどうぞ、わたしをお待ちください」という長い愛情に満ちた手紙を書いています。

 この返書を読んだ時の式子内親王の落胆を考えると、わたしも石丸さんのように、式子内親王への同情と愛情を深く感じてしまいます。

 もし、石丸さんのご推論のように、色子内親王の面影人が法然だったとすれば、彼女の白い人生に、色どりをそえることができてよかったと、思ったのでした。

 式子内親王が、晩年に住まわれていた大炊殿には、毎年見事な梅の花が咲いていたということですが、こんな歌を残されています。

「ながめつる今日は昔に成(なり)ぬとも軒端(のきば)の梅は吾を忘るな」 式子内親王

 年譜によれば、式子内親王は、1201年1月25日に49歳で亡くなり、法然は1212年1月25日に80歳で往生とのことで、お二人の命日が同じというのも、偶然ではないものを感じます。

 石丸さんの推論は、式子内親王への強いオマージュからなのだと感じた読書でした。


 

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