2026年10月6日火曜日

俳句・「漱石の赤蜻蛉の二句」 (肩に来て人懐かしや・・・と、生きて仰ぐ空の高さよ・・・)

 


 10月に入りました。今年の9月は天候不順で、晴れの日がほとんどなかったのですが、先日、久しぶりの秋晴れの日に散歩していると、アキアカネ(赤蜻蛉)がいっぱい飛んでいるのを見かけました。アキアカネは、とても人懐こく警戒心がないので驚くほどですが、近年は、数が少なくなったように感じます。最近、アキアカネが、田んぼの害虫を食べてくれるのを知り、より愛しく感じるようになったのでした・・。


       


 アキアカネといえば、漱石のこの句が、大好きです。

          「肩に来て人懐かしや赤蜻蛉(あかとんぼ)」   漱石

 秋晴れの先日も、散歩していますと、わたしの麦わら帽子や肩の上に羽音までたてて、次々と、アキアカネが止まりに来てくれて、うれしくなりました。人懐こいアキアカネに、わたしも、この句のようになつかしさを、感じたのでした・・。




 ところで昨晩、集英社文庫の漱石の「夢十夜・草枕」を読んでいましたら、偶然に、この句を書いた漱石の「書」の写真が出ていたのを、見つけました。

 その「書」には、

  「人よりも空 語よりも黙   漱石

     肩に来て人なつかしや赤蜻蛉」

             と、書かれていました。


 この書が書かれたのは、明治43年の入院中とのこと。年譜によれば、漱石が43歳のとき、胃潰瘍のため、長与胃腸病院に6月に入院、その後、8月に転地療養のため、修善寺温泉菊屋旅館へ滞在していたのですが、24日に多量の吐血で危篤状態になったとのこと。その後、次第に回復して、10月に東京に戻り、長与病院に入院と、書いてありましたので、この「書」が書かれたのは、2度目の入院のときのことのようです。

 漱石はこの「修善寺の大患」の後の心境として、「人よりも空、語よりも黙」という境地になったのかもしれません・・。

 漱石句集を見ますと、同じ明治43年の作品に、

    「生きて仰ぐ空の高さよ赤蜻蛉」    漱石

  が、出ていたのですが、この句も大好きです。

 漱石の「修善寺の大患」の後という背景を知ったうえで、この二句「肩に来て人なつかしや赤蜻蛉」と、「生きて仰ぐ空の高さや赤蜻蛉」を読むと、漱石の九死に一生をえた病の後の境地がより深く感じられたのでした・・。