早稲田演劇博物館は、ときどき訪ねる場所ですが、
今回は思いがけず、2つのトピックがありました。
1つは、早稲田卒の篠田正浩監督に宛てた
ドナルド・キーンさんの直筆の日本語の手紙を、
見ることができたこと。
そして2つめは、早稲田演劇博物館前の舞台で、
早稲田グリークラブの歌を聴くことができたということです。(^^♪
ドナルド・キーンさんの日本語の手紙は、篠田監督作品の
「スパイ・ゾルゲ」という映画に対する賛辞の手紙ですが、
すばらしい日本語で書かれていて驚きました。
2013年にやはり、この演劇博物館で「ドナルド・キーン展」が
開かれていたときに、キーンさんの直筆の日本語の原稿を
見たことがあるのですが、手紙を見たのは今回が初めてでした。
キーンさんは、3・11の震災後に日本人になられたのですが
「わたしが日本人になった理由」というインタビューをまとめた本を、
読みなおしてみました。
わたしはキーンさんのファンなので彼の本はいろいろと読んで
いるのですが、改めて読み直してみると、頷けることがいっぱいでした。
キーンさんは、「応仁の乱で焼け残ったのはたった三つの寺院だけ、
でも、次の十年、二十年で、今日まで続くようなすばらしい生命力を
持った文化が生まれた」とおっしゃっています。
それは、日本美の原点であるとおっしゃる東山文化のことですが、
キーンさんの、3・11の震災に対するエールにもなっているようで
うれしく思いました。
演劇博物館の入り口にある舞台では、ちょうど、早稲田グリークラブの
歌う「斎太郎節」が、流れていました。
「斎太郎節」は、大漁を祝った宮城県の民謡で、歌詞には
3・11で震災に遇った石巻などが、出てきます。
この民謡は、わたしにとっても馴染みの曲なのですが、
早稲田グリークラブでは30年も前から歌われていて、
特に3・11後には、石巻を応援するという意味でも歌っている
という部員の方のお話でした。
早稲田ベアも応援に来ていたのですが、
わたしもいっしょに、写真を写させていただき
ました。(^^♪
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