マムシグサの実が、今年もきれいに色づきました。オレンジときみどりのコントラストは、見事ですが、有毒とのこと。実の色が全部、赤にかわるころには、自然に首を垂れ、枯れていくその姿も趣があり、芸術的な造形を、毎年、楽しんでいます・・。
フランス文学者の鹿島茂さんが書かれた「子供より古書が大事と思いたい」を、読みました。鹿島茂さんのお名前は、文庫本の解説などで、ときどきお見みかけしていたのですが、特に丸谷才一さんの著書「快楽としての読書」の解説などは、適格でユーモアのある解説をなさっていたのが印象に残っており、是非彼の著書も読んでみたいと思い、手に入れた本でした。
「子供より古書が大事と思いたい」は、1996年に第12回講談社エッセイスト賞を、受賞なさったとのことで、少し古い本ですが、さすがに鹿島茂さんと思われる洒脱な内容で、題名も、太宰治の短編「櫻桃」の中の「子供より親が大事、と思ひたい」からのもじりなのでした・・。
この本は、鹿島茂さんの19世紀フランスの古書蒐集にまつわるエッセイですが、すべてのコレクション好きの方々の身につまされるようなお話を、ユーモアを交えてさらりと、書かれています。彼の古書蒐集のすべてのはじまりは、図書館から借りた「パリの悪魔」を、ご覧になられたことからはじまるのですが、彼のキャラクターも垣間見え、くすりとしながら読んだのでした。
何かに夢中になりコレクションをはじめたという経験は、わたしの場合は、子供のころの切手収集にはじまり、ロンドンに住んでいたころには、訪ねた名所のスプーンコレクションと、皮で作られた本のしおりコレクション、アンティークの卓上ベルコレクション、指ぬきコレクションなどなど、たわいもないものですが、それらの品々を見ると、その時々の自分の精神史のようなものがわかり、苦笑してしまうのです。
それに比べれば、鹿島茂さんの19世紀古書蒐集ともなると、経済的にも物理的にも容易ではないというのは、想像できる世界でした。
解説は、古書店店主の出久根達郎さんで、何か鹿島茂さんと、ユーモアを競っているかのような余裕に満ちた書き方をなさっており、こちらもおもしろく読ませていただきました。
何かにのめりこむというのは、人生の愉しさだと思うのですが、その「のめり込み加減」がすぎると、辛さが待っていることも事実だと思います。鹿島茂さんは、このようにまで、書かれているのですから・・。
「だが、いずれ、この病も、裁判所の執達史が癒してくれることだろう。どうやら、全快の日はそれほど遠くはなさそうである」
「古書店店主」の出久根達郎さんは、もちろんこの「古書収集家」の鹿島茂さまのお言葉に、乾杯なさっているのでした・・。(万歳かもしれませんが・・)
そして、鹿島茂さんへのオマージュとして「子供より古書が大事と思いたい」という言葉を捧げて、解説を終わらせていらっしゃるのでした・・。
鹿島茂さんの知的でユーモアとペーソスの感じられるエッセイでした。